【児童文学評論】 No.293 2022/07/31

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◆ぼちぼち便り◆ *作品の結末まで書かれています。

今回の読書会は『わたしが鳥になる日』(サンディ・スターク-マギニス/作 千葉茂樹/訳 北澤平祐/装画 小学館 2021年3月)を取り上げました。11歳のデセンバーは、これまで里親の家を転々とし、ソーシャルワーカーのエイドリアンに連れられてエリナーの家にやってきます。デセンバーは、鳥になって空を飛びたいと思っており、ヒマワリの種を食べ、背中の肩甲骨の傷から羽根がはえてくるのを待ちながら、木の上から何度も飛び降ります。エリナーはデセンバーをありのまま受け入れ、野生動物リハビリテーションセンターに連れていって、傷ついたアカオノスリのヘンリエッタを自然に戻す訓練をデセンバーに任せます。また、デセンバーは、学校でシェリルリンと友だちになり、12歳の誕生日を迎え、少しずつ自分の居場所を見つけていきます。

全体の感想としては、いたいたしくて読むのがつらい。読んでいて苦しかった。せつない、という発言とともに、児童文学なので、最後は何らかの解決があると希望を持って読んだという発言もありました。そして、やはり、主人公のデセンバーが鳥になることに対する感想が多く寄せられました。鳥になるということは自傷行為だと思う。そして、飛んでけがをするというのは、自分の存在を確かめるためだと思った。それにしても、4mの木から落ちるというのは恐ろしい。置いていかれた母にもらった鳥の図鑑とそこに母によって書かれた「空を飛んで、わたしを見つけて」という言葉によって、デセンバーは鳥に固執しているが、それは鳥になる夢を持つことで、自分の心の傷を隠そうとしていると思った。同じ意味で、デセンバーは『バード・ガール』に自分の物語を作って綴っている。実際にあったことではなく、別の物語を作らないと生きていけないデセンバーの状況が読み取れる。級友のいじめによってではあるものの、ミミズを食べる場面はショックだった、などです。

また、デセンバーの変化についてもさまざまな感想が述べられました。こんな過酷な状況のデセンバーですが、エリナーの家に来てから少しずつ変化を見せます。デセンバーがすぐにエリナーに心を許すのではなく、少しずつ心を許すという展開が納得できた。また、トウモロコシ畑でエリナーに心を許したと思ったら、エリナーの一言に傷ついて木から飛び降りたりするというように、エリナーへの気持ちについても、行きつ戻りつする様子がリアルに感じられた。人に甘えることができなかったデセンバーが エリナーにハロウィンのときに一緒に近所の家の入口まで来てほしいというところが心に残った。パンのにおいをかいでデセンバーがパンを口にするところが感動的だった。自分は人間で、鳥のようにはできていないと思うところに回復を感じた。とはいえ、エリナーが「わたしの家」と言って「わたしたちの家」と言わなかったという、一言だけでそれまで少しずつ積み上げてきた関係性が崩れてしまうところに、人を信頼できないデセンバーが描かれている。デセンバーの危うさが読み取れる。「永遠」という言葉が何度も出てきた。永遠の家を希求していたデセンバーがエリナーと出会ったことで、永遠を信じたいと思うようになる過程が描かれていると思った、などが語られました。

デセンバーは、声や空気を色で見ている様子が描かれ、共感覚だと思われます。しかし、作中には共感覚という言葉は出てきません。このように、デセンバーの個性に対してレッテルをはらず、説明もされていないのがよかったという感想も出されました。この作品の冒頭では、なぜ、デセンバーが鳥になりたいかが書かれず、作品を読み進むにつれて、過去の虐待の記憶が少しずつ語られていきます。そして、8歳まで母親から虐待を受け続け、8歳に捨てられたことがかなり後半でわかります。二人はトレーラーハウスに住んでおり、母親も過酷な人生を送ってきたことが予想できます。デセンバーの記憶には、お母さんがデセンバーを抱くのが苦手だったことも書かれ、お母さんも虐待されたのだろうかと思った人もいました。そして、そんな母親を、デセンバーが恨まず、自分の誕生日のことを考えてくれているだろうかと期待を持つ様子がせつないと思った人もいました。

デセンバーの次に多く語られたのは、里親になったエリナーです。エリナーのデセンバーの受け入れ方は水準をこえている。辛抱強い。デセンバーはエリナーと出会えてよかった。エリナーの名前の由来になっているビートルズの「エリナー・リグビー」を聞いた。貧困や孤独や居場所がテーマになっている歌でエリナーと重なる点もあると思うが、この歌から名前をつけたエリナーの親のことも想像してしまう。剥製師という職業は死といつも対峙している。娘を病気でなくし、孤独に生きてきたエリナーがデセンバーを受け入れるまでの葛藤を想像した。エリナーがデセンバーに一緒に暮らしたいと何度もはっきり言ったことがデセンバーには必要だったと思った。エリナーはかなり意識的に気持ちを言葉にしているが、それでもデセンバーになかなか通じない様子が伝わってきた。デセンバーの里親としての引継ぎ事項には、飛び降りるクセがあることなどが書かれていたに違いないが、そのことについてデセンバーに一言も言わない。引き受けて怖かっただろうにそれでも待ち続ける。すごい忍耐力だと思った、などが述べられました。

もう一人の重要人物が、シェリルリンです。シェリルリンは男の子から女の子へと名前も服装も変えたことで、元仲良しのジェニーたちのグループから執拗ないじめを受けています。デセンバーはジェニーに自分の物語『バード・ガール』をとられて、いじめに巻き込まれますが、最後はシェリルリンと友だちになることを決意し、それによって、デセンバー自身が救われます。その一つに、シェリルリンがデセンバーに、足の傷を見せながら、自分の父親からの虐待について告げる場面があります。そして、母親に「真実は知っておくべきだと思う。たとえ、それが気にいらなくても。―中略―母さんは覚えておくことはだいじだっていってる。これ以上傷つくのをふせいでくれるから」(p.209)と、現実にあったことを物語化していては生きていけないと思うということを伝えます。それによって、デセンバーも少しずつ自分の真実を語り、あったことを認めていくようになります。ここからは、虐待を受けた子どもが真実を認めるまでには長い時間がかかることがわかります。そして、男の子だったシェリルリンが自分は女の子だと悟るということがさりげなくかつはっきりと描かれていてすごいと思った。デセンバーが校長に呼ばれたときに、ついていって「心のささえになるためです」(p.174)と言ったのはかっこよかった。仲のよかったジェニーがシェリルリンを徹底的にいじめる。そのことも理解できるように描かれている、などの発言もありました。

そして傷ついたアカオノスリのヘンリエッタもデセンバーが生き続けるためにとても大切な役割を果たしています。これまで本の中の鳥を心のよりどころにしていたが、本当の鳥に接することで心がとけた。デセンバーは、ヘンリエッタを野生に返す役割を与えられることで、自分が役に立つことがうれしかったと思う。ヘンリエッタが自由に飛べるようになることと並行して、デセンバーも生きたいと思えるようになるというように描かれていた。ヘンリエッタが一直線に回復するのではなく、途中で飛ばなくなるということが起きた。これは、人を信頼したり、逆行したりしている様子だと読み取れ、デセンバーが人を信頼したと思ったらまた、逆行するのと並行していると思った。最後にデセンバーに投げられて飛び立ってよかった。力強く、自由に飛んでいくヘンリエッタの姿を想像した。ヘンリエッタがでてくる場面が好きでもっと読みたかった、などが語られました。

描写については、作家が映画の勉強をしたからか、場面が映画的。特にデセンバーの12歳の誕生日に鳥の折り紙が木につるされた場面は目に浮かぶように感じた。映画で見たい。人の描き方がもたついていない。いろいろなことが説明しすぎていないで読者に察することができるように描かれているところがうまい。 謎解きのような描き方によって、事実が明らかになると、そこまでに書かれていたことがぐっと浮き上がるようなおもしろさがある。たとえば、デセンバーが背中の傷について語る部分が2行(p.249)あるが、それによって、デセンバーのこれまでの言動が立体的に見えてくる。色の描写がユニーク。五感に訴えている、などの指摘がありました。

タイトルについては、『わたしが鳥になる日』というタイトルなので、デセンバーが本当に鳥になるのかと思ってしまった。原題はExtraordinary Birdsと複数形になっており、エリナーやシェリルリンやヘンリエッタのことも暗示していると思った。また、デイヴィッド・アーモンドの『肩胛骨は翼のなごり』(山田順子/訳 東京創元社 2000年9月)を思い出した。虐待や疎開など、血のつながらない人の中で暮らす子どもの作品の一つとして、傷ついた子どもは人間関係を築くのがいかに難しいかということが伝わる作品だと思った、という人もいました。

読み直してみて、みんなの感想にもあるように、読み応えがあり、デセンバーの視点で徹底的に描かれることで、読者が共感できる作品になっていると思いました。それはたとえば、「自殺」ということばが作品内で一度も使われていないことからも読み取れます。この作品は、デセンバーが母親につけられた背中の傷を、羽根がはえてくると信じるところから、母親につけられた傷であると認めるところまでが描かれています。何度も何度も木にのぼるシーンがあり、その繰り返しがデセンバーの不安定な状況を想像させます。作品内では11歳から12歳になり、自分に嘘をついて生きていくのがだんだん限界になってきた状況にあったと読むことができます。だからこそ、鳥になることをストイックに自分に課して何とか生きていたことがわかります。そしていつ死んでもおかしくない状況であったとも言えます。そんな中、愛する対象を見つけ、人間として地面に足をつけて生きていくことを決意することで、生きることとは何かということを読者に考えさせます。とはいえ、これからも二人の関係は危ういのではないかと想像しました。作品の中では、エリナーの娘が死んだことにデセンバーは心を向けていませんが、二人の関係が深くなると嫉妬も生まれてくると予想できます。しかし、エリナーの名前がビートルズの「エリナー・リグビー」に由来しており、エリナー自身が多くのことを乗り越えて生きてきたことが想像できることから、二人が何とかやっていけるのではないかという希望をもってこの作品を読み終えることができました。(土居安子)

<IICLOからのお知らせ>
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http://www.iiclo.or.jp/03_event/01_kids/index.html#ohanashimonorail

●「第39回 日産 童話と絵本のグランプリ」作品募集
アマチュア作家を対象とした創作童話と絵本のコンテストです。構成、時代などテーマは自由で、子どもを対象とした未発表の創作童話、創作絵本を募集しています。締め切りは10月31日(月)です。詳細は↓↓
http://www.iiclo.or.jp/07_com-con/02_nissan/index.html#39boshu

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◎講師:土居安子(当財団総括専門員)
◎視聴料:1300円  ◎対象:子どもの本に関心のある方ならどなたでも
※お申し込み(Peatix)→ https://iicloonline1-4.peatix.com/
◇全5回のうち、第1回、第3回、4回を配信中です。内容、詳細は ↓↓
 http://www.iiclo.or.jp/03_event/02_lecture/index.html#iicloonline1

● 新しい出版物の販売を開始しました
『報告集「シンデレラ話の多様な世界を楽しもう」』 880円
 2021年に開催した横川寿美子さんの講演会の報告集です。
『報告集「しかけ絵本に驚く、楽しむ イギリスの歴史からはじめて」』1430円
 2020年に開催した三宅興子さんの講演会の報告集です。
『大阪国際児童文学振興財団研究紀要』第35号 1650円
 朱自強さんの第18回 国際グリム賞受賞記念講演録も掲載されています。
詳細は ↓
http://www.iiclo.or.jp/06_res-pub/05_publication/index.html#hanbai

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西村醇子の新・気まぐれ図書室(55)―― この夏、読むならば ―― 

 今の時期に読むなら、こんな本がある。
 まずは『フードバンクどろぼうをつかまえろ! 秘密の大作戦』オンジャリ・Q・ラウフ作、千葉茂樹訳、スギヤマカナヨ絵(あすなろ書房2022年6月)。表紙を見ると楽しさ全開の物語風。ただし食べ物に困っている貧困家庭の子どもの話。舞台はイギリスだが、経済的余裕がない家庭があることや、それを助けようとする組織の存在は日本にもあてはまり、決して絵空事ではない。
 ネルソンと妹アシュリーは、看護師の母親と3人暮らし。家にはお金の余裕がなく、空想で空腹を紛らわせることがたびたびある。妹の気持ちを食べ物から切り替えさせるのも、彼の大事な役目だ。
学校には「朝食クラブ」の制度があるから、ネルソンのような子どもは早く登校すれば、無料で朝食を食べられる。また一家は引換券を入手したときは、フードバンクで数袋分の食べ物をもらう。これは大切な食糧になるのに、その日はいつもの半分しか受け取れなかった。運営している人によると、フードバンクに思ったほど食べ物が集まらなかったというのだ。
 その後、食料をめぐる事態がどんどん悪くなる。噂ではフードバンク泥棒がいるらしい。ネルソンは、思いきって友人2人にこのことを打ち明ける。彼らの地元では、スーパーマーケットに「フードバンクへの寄付用」のカートが設置されている。支援したい人が買い物を終えてからその一部をカートに入れると、それで寄付は完了する仕組みだ。だから泥棒がいるなら、スーパーでおこなっているに違いない。3人はこっそりスーパーで見張りをおこない、フードバンク用カートをほかのカートとすり替えていた泥棒を発見!追跡しはじめたが、相手は自動車で逃げ始めた……。
 最終的に判明したのは、ネルソンたちが見つけたのが窃盗団の一味で、組織的な犯行だったことだった。事件の一部始終は新聞にも載った。そのうえ、地元出身のサッカー選手がわざわざ彼らの学校を訪れ、自分も子どもの頃に朝食クラブやフードバンクの恩恵を受けていたと話してくれる。地域のフードバンクの存在意義が改めて注目され、利用者も運営者も一安心だ。
 「解説」には、日本における食の貧困と、フードバンクの活動が紹介されており、イギリスに比べてフードバンクの認知度が低いことが明かされている。夏休み時期、学校が休みになると、給食もなくなる。それがネルソンのような家庭にとって、どれほど大変なことか!

探偵つながりで、つぎにシヴォーン・ダウド作、越前敏弥訳『ロンドン・アイの謎』(東京創元社2022年7月)を。ただしこの本は、よくある探偵ものとは一味ちがう。語り手は主人公のテッドだが、彼は「ほかの人とちがう仕組みで働く」脳の持ち主。いろいろなことへのこだわりが強く、人の感情を読みとることが不得手な特性をもつ。どうやらアスペルガー症候群に該当しそうだが、テッドはそう言われるのを嫌っており、作者も明言を避ける。
 12歳のテッドと姉カトリーナ(カット)の一家はロンドンに住んでいる。ママの妹グロリアおばさんは、今度ニューヨークで美術館の主任学芸員の職につくことになった。おばさんは息子と暮らしてきたマンチェスターを引き払い、出国前に姉の一家を訪れた。テッドのいとこで13歳のサリムは、(別の町で医者をしている)インド系の父に似ていて、髪の毛は黒く肌の色は茶色い。そのせいでマンチェスターではいじめられたし、友人はアジア系の子1人だったという。一方、テッドにはママとパパと担任をのぞけば、友人と呼べる相手がいなかった。その晩テッドはサリムが意外にもよき話相手だと気づく。

……ぼくはこれまでだれにも話さなかったことをサリムに打ち明けた。「人とちがうなんていやだ。自分の頭のなかで生きるのなんか好きじゃない。ときどき、空っぽの大きな空間にひとりぼっちでいるような気分になるんだ。そこにはぼくのほかに何もない」中略「そういう場所ならおれもわかるよ」サリムは言った。「おれもそんな場所にいるんだ。そういうのって、すごくさびしいよな」(5章 夜のおしゃべり)

 翌日、一行はサリムの希望通り「ロンドン・アイ」に向かった。観覧車は人気があり、チケットを買う長い行列ができていたので、並んだのは子どもたちだけだ。そこへ一人の男性が通りかかり、用事ができたからといって、自分のチケットを譲ってくれた。カットは、まだ乗ったことがないサリムをそのチケットで乗らせた。
30分後、観覧車をおりてきた集団のなかにサリムはいなかった。きょうだいはつぎの観覧車を待ってみたが、ダメだった。観覧車では記念写真が撮影されるシステムだったが、サリムらしき人影は写っていない。いまや彼が行方不明になったことは明らかだ。そうなると、チケットを譲った見知らぬ男が怪しく思われる。 
その日、捜査責任者のピアース警部がテッドの家に現れ、捜査状況の説明をしてくれた。といってもサリムの携帯電話は電源が切られているし、今のところ手がかりはないとか。
テッドは、8通りの仮説をたて、カットといっしょに検討し始めた。そこへ警察から連絡があり、安置所にいるアジア系の少年の身元確認を求めてきた。それを聞いておばさんが倒れたため、代わりにテッドの父親が向かう。そして約1時間後――テッドによれば「三千二百四十秒後」に戻り、人違いだったと告げる。亡くなっていたのは路上生活者の少年らしかった。では、サリムはどこに?
これ以降のストーリー展開を語るのはやめておこう。言えるのは、驚きもスリルもあり、ミステリとして、とても読みごたえがあったことと、12,3歳の子どもたちの心の動きを扱った小説として、信ぴょう性をもっていたことだ。続きは作品を読んで確かめてもらいたい。
余談だが、本書の序文を書いているロビン・スティーヴンスは、「英国少女探偵の事件簿」シリーズで広く人気を博している作家。この物語の作者ダウドは、本書を発表した2か月後の2007年8月にガンで亡くなった。そこで、依頼をうけてロビンがこの続編を書いたところ、本家ダウドと遜色ない出来栄えになったとか。続編の訳出も楽しみである。

昨年、この季節にはオリンピックが開催され、暑さのなかで選手たちが競技をしていた。夏にぴったりのスポーツといえば、水泳はその筆頭にくるだろう。ウン・ソホル作、ノ・インギョン絵、すんみ訳『5番レーン』(すずき出版、2022年6月)は、「この地球を生きる子どもたち」シリーズに、はじめて加わった韓国の物語で、水泳部の子どもたちをとりあげている。表紙には、スタート台から飛び込もうとしている水着の子。見返しの表は水色系、裏は草色系の水玉が散りばめられ、とても涼やかだ。本文は、1章から6章が「スタート」、7章から11章が「ターン」、12章から17章「タッチ」と、レースになぞらえた区分けがされている。
物語は韓国の小学生カン・ナルを軸に展開する。ナルは漢江(ハンガン)小学校6年生で、水泳部のエースだ。ところが、全国ジュニア体育大会の自由形のレースでは、優勝どころか4位に終わる。別の小学校のキム・チョヒに抜かれてペースを崩したのだが、ひょっとしたら、チョヒのキラキラ光るキムの水着に原因があるのかも、とひそかに思う。(それを聞いたコーチは、競技で使える水着リストには入っていることを示した。)
そんなとき、ナルのクラスにチョン・テヤンという転校生が入ってきた。彼は今までは近所のスポーツクラブで泳いでいたが、ソウルへの転居を機に、学校の水泳部で本格的なトレーニングを受けたいという。でも、ナルたちの属する漢江校水泳部はエリート集団だ。今からの入部はありえないところだが、コーチは、学内の水泳大会でよい成績をとれば入部を検討してもよいという。テヤンはそれに応じ、大会ではタイム的にもまずまずの成績をあげ、バタフライが得意だと示す。これはチーム戦では有利になるので、テヤンの入部が決まった。
物語は、ナルと同じアパートに住み、幼馴染で水泳部キャプテンでもあるスンナムや、他校のチョヒも含めた水泳仲間たちのやりとりとちょっとした事件を描いている。テヤンの出現で、今まで感じたことのない初恋を経験し、心がざわつくナル。それ以上に大きいのが2歳上の姉ボドゥルのことだ。ナルといっしょに水泳をはじめた姉は、体育を専門にできる中学に進んでからも水泳を専門としていたのに、去年の冬にとつぜん、高飛び込みに転向したのだ。姉を目標にしてきただけに、ナルには納得がいかない。勝ち負けだけが水泳ではないというコーチの言葉も、心に響かない。もやもやした気持ちのまま、ライバルのキム・チョヒと競技会場で遭遇したナルは思わず、ある行動にでてしまう。
スポーツを専門とする学校の制度には正直なじみがなかった。でも、作者が描いた12、13歳ぐらいの子どもたちの悩み、衝突、和解などは、普遍的なものだし、水泳はそれとうまく絡んでいる。
      *
 朽木祥の『パンに書かれた言葉』(小学館2022年6月)は、読者に知ってほしいことや伝えていきたいことが詰めこまれていて、読んでいるうちに、置いて行かれそうになる。 
 日本が大震災に見舞われた2011年という設定で、2部構成になっている。その1部は、エリーがおもにイタリアで第2次世界大戦について学ぶ話。つづく2部では、今度は広島で同じ戦争について知る。
 エリーの本名は光・S・エレオノーラ青木。母がイタリア人で父が日本人なので、エリーはバイリンガルだ。中学2年になった4月に一家で久しぶりにイタリアへ行くはずだった。だが、震災の影響で両親は旅行どころではなくなった。エリーだけで北イタリアのノンナ(祖母のこと)たちを訪れ、しばし過ごすことになった。
 母親の故郷は、人口1500人ほどの小さな村。エリーにはなじみ深いおいしいごちそうをたっぷり食べた後、何げなく家の中を探検し、かつてお祈りをする場所だと教わった小部屋で、十字架のそばに小さな布の包みがあるのに気づく。おそるおそる布を開いてみると、なかにはカチカチのパンらしき塊があり、表面には色あせた文字が書かれている。これは何?
 エリーがみつけたものが、ノンナの兄パオロの形見だということは、墓参りのときに教わった。パオロの墓石は、彼が1944年に17歳で亡くなったことを示していた。そしてノンナは、ムッソリーニが倒された後、北イタリアがドイツに占領され、ナチスによって人びとが迫害されたと話す。ノンナの仲良しだったサラはユダヤ人だったため、強制的に連れていかれた。そしてノンナの兄は、パルチザンの活動中に捕まった……。
 物語は、エリーがノンナから話を聞く形式に加え、「サラ」の語りや、当時16歳だった「パオロ」の語りが挿入され、エリーが当時の状況について少しずつ理解を深めていくことも示されている。
 このスタイルはつづく2部でも踏襲され、今度は原爆が投下された広島で暮らすエリーの父方の家族の話となる。これまであまりに辛い経験だからと、話を封印してきた祖父だったが、この夏、同居する孫やエリーたちに昔の話をたくさんするようになった。きっかけは、フクシマ(つまり大震災と原発事故)で、祖父は自分たちが原爆の恐ろしさをちゃんと伝えてこなかったと気づく。エリーたちも、目の前で見たり、近くで経験したりしていないと、実感しにくいと感じた。空間的・時間的隔たりを意識したからこそ、伝えていく必要性があることも。
本書は重たい内容の本だが、北イタリアおよび広島それぞれの郷土料理と地元の言葉を紹介する部分が、物語にアクセントをつけている。生活文化を感じさせるといえばよいだろうか。 

最後に菱田信彦著『快読「ハリー・ポッター」』(小鳥遊[たかなし]書房、2022年7月)。J・K・ローリングの児童文学作品をとりあげた論考で、サブタイトルは「ハーマイオニーとロンの結婚をめぐるローリングの“後悔”とは?」。以前に菱田氏が出版した『快読「赤毛のアン」』(彩流社2014)もそうだったが、読みやすい。菱田氏は研究論文に限らず、ネットそのほかで話題になった事柄にも目配りし、自分の考察に反映させている。
まえがき:「ハーマイオニーはロンと結婚させるべきじゃなかった……」――作者ローリングの“後悔”。1章:ロンはなぜサッカーを知らないのか――「ハリー・ポッター」とイギリスの階級社会、2章:従順なエルフと抵抗するゴブリン──「ハリー・ポッター」シリーズの魔法種族と人種問題、3章:「ハリー・ポッター」シリーズと「学校物語」、4章:ダンブルドアはゲイだった……じゃあ、ハリーは?――「ハリー・ポッター」シリーズにおける性的少数者の表象、5章:「血を裏切る者」──ウィズリー一家は何者か。あとがき:「ハリーポッター」シリーズが“今日的”であり続けているのはなぜか――ローンリグが本当に伝えたかったこと。
1章ではイギリスの階級社会について解説をおこなったうえで、「ハリー・ポッター」というファンタジー世界でも階級を示す指標がきちんと描かれていることや、それがストーリーと不可分であることを明らかにしている。こうした文化的歴史的背景およびイギリス児童文学についての知識を踏まえた分析は彼の得意とするところで、我々がほかの作家・作品を読むときにも役立つだろう。同じことは学校物語について検証している3章にもあてはまる。
筆者が面白いと思った箇所をひとつだけ紹介する。それは、ローリングのシリーズに登場する魔法種族の特性を、過去の作品と比較した2章の「まとめ」だ。ローリングは妖精の種族を社会的他者として描いているが、これは彼女のオリジナルではなく、すでに19世紀、ジョージ・マクドナルドが『お姫さまとゴブリン』で登場させている設定だった。ところが、その後に出版したトールキンは、作中にゴブリンやオークを登場させたが「主流社会に抑圧された他者としてのイメージをほぼ完全に切り捨て」てしまっていた。そのことをふまえて菱田氏は、メッセージ性を捨てたトールキンへの批判を、ローリングが自作の妖精種族の描写でおこなったのではないか、と推測してみせているのだ。
そのほか菱田氏は、ジェンダー、人種、階級、セクシュアリティの問題が、複雑に絡み合っていて、容易に答えがだせないものであるが、ローリングはそれを提示しているのだ、と読み解いている。
きょうはこのへんで。 (2022年7月)

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スペイン語圏の子どもの本から(41)
現在、板橋区立美術館で『2022イタリア・ボローニャ国際絵本原画展』が開催されています。8月には西宮市大谷記念美術館にも巡回される今期の展示に選出されたスペインの画家の絵本が刊行されました。

『あの子はぼくらのスーパースター』(フラン・ピンタデラ文 ラクウェル・カタリーナ絵 せなあいこ訳 評論社 2022)
 タイトルの「あの子」とは、下町の小学生のサッカーチームのエース、マダーニです。マダーニは、サッカーをするとき、いつもはだしです。だから、マダーニがブリキ缶にお金を貯めているのを見たみんなは、シューズを買うためだろうと思っています。
 だいじな試合を翌日に控えた日、マダーニは練習を休んで買い物に行きました。みんなは、マダーニがシューズをはいて試合にくるものと期待します。ところが、翌日現れたマダーニは裸足のまま。けれども観客席には、はじめて試合をみにきてくれたお母さんがいて、マダーニはお母さんの前で大活躍します。マダーニが買ったのは、針仕事で忙しいお母さんのためのプレゼントだったのです。それが何かは、どうぞ絵本を読んでみてください。

 この絵本の原書を初めて開いたとき、お話も絵もなんてすてきなのだろうと思いました。
 眉の濃い、みんなとやや容貌の異なるマダーニはモロッコ系でしょうか。移民だろうが、裸足だろうが、臆することなく、のびのびとボールを蹴るマダーニと、彼を囲む仲間たちの姿は、国境を越えた人々が集まるヨーロッパの社会の一面を切り取っています。
 ていねいな筆づかいの絵はあたたかみがあり、サッカーをする子どもたちが生き生きと描かれています。ハトが飛んでいくシーン、針仕事をするお母さんのシーン、マダーニが靴を買ってこなかったシーンなど、画面の見せ方も効果的です。
 20年前に留学したとき、スペインはサッカー国だとつくづく実感しました。学校の休み時間の遊びはまずサッカーで、長男の話では、サッカーボールがないと、テニスボールでも、紙を丸めてセロハンテープをぐるぐる巻きにしたものでも、なんでもボールになるものを見つけて蹴り始めるとのこと。また、ボールが転がってきたとき、日本だと手で拾って投げ返しそうなところ、スペインではみな、みごとな足さばきで蹴りかえします。私の住んでいたアパートの隣にはスポーツバー(というほどおしゃれなものではありませんが)があり、外からの声だけでバルサの試合の行方がわかりました。この絵本を読むと、そんなことを思い出します。
 随所に、なにげない毎日の町の光景が描きこまれているのもいいです。いつも子どもたちのサッカーを見ているおじいさんのグループがいます。スペインでは公園などに、おばあさんではなくおじいさんたちがたむろしていることがよくあるのでうなずけます。建物や商店のたたずまい、道をゆく人々のようすも楽しんでください。
 ただちょっと残念だったのは、スペイン語でラケルと読む画家の名前がラクウェルとなっていること、作家フラン・ピンタデラの既刊『どうしてなくの?』(フラン・ピンタデーラ文 アナ・センデル絵 星野由美訳 偕成社)の書名がプロフィールに正しく入っていないこと、スペイン語の原書の巻末にあった作家と画家の自己紹介の文章が翻訳されていないことです。スペイン版のフラン・ピンタデラさんの紹介には、「私はお話を書くようになるまで、いろいろな仕事を経験してきました。何年かのあいだ、難民収容施設の職員として働き、そこでマダーニという男の子や、彼のような子どもたちと知り合いました。毎日放課後にそういった子どもたちと遊んでいると、地域や町に息づく歴史の大切さを思い知りました。」とあり、ラケル・カタリーナさんの文とともに、この作品の背景を知る手助けになるものだったので。
 読めば誰もがマダーニの仲間になりたくなりそうな絵本、ぜひ手にとってみてください。(宇野和美)
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三辺律子です。 

 このたび、河出書房新社から『はじめて読む! 海外文学ブックガイド』が出ました。「NHK基礎英語2」で、越前敏弥さん、金原瑞人さん、白石朗さん、芹澤恵さん、ないとうふみこさんと、わたしが、月替わりで中学生にお勧めしたい海外文学を紹介していた連載が元になっています。そこに、イタリア語、スペイン語、フランス語、韓国語、ドイツ語、ロシア語、フィンランド語、アラビア語の翻訳者の方々が、新たに十二か国語の作品を紹介してくださいました。
 自分が関わっている本をべた褒めするのもなんですが、ほんとうにおもしろい本に仕上がりました。まず地域(チベット、マヤ、ブルンジ、シリア……)の多さ、それからジャンル(ホラー、ミステリー、古典……)の多さ、そして、翻訳者の方々の熱の入った文章。英語圏の本には、その本からお気に入りの文章が原文と訳文と併記されていて、これも読みどころのひとつ。さらに、巻末には、原書の詳しい情報入り! また、「お悩み質問箱」のコーナーには、例えば、こんな「お悩み」と翻訳者からの役に立つ(?)アンサーが紹介されています。

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Q5 海外文学は正直、苦手です。理由は、登場人物のカタカナの名前がおぼえられないからです。同じような長い名前がたくさんでてきて、登場人物がこんがらかってしまうのです。何かよい方法はないでしょうか。

A 回答者―三辺律子
 この悩みを抱えている方は多いですよね。実は私は、これがあまり気にならず、理由を考えてみたところ、①小さいころから海外文学を読み、慣れている。②元々てきとうな性格なので、「ま、そのうちわかるだろう」とこんがらがったまま読み進めることができる。という二つの強み(?)があることに気づきました。だから、てきとうな性格になってください!(終)
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実際は(終)でなく、さすがに、このあとにちゃんと続きがあります。あまり役には立たないかもですが。でも、ほかの翻訳者の方々のアンサーは役に立ちます! たぶん!
 あとがきで越前敏弥さんが書いてらっしゃるように、「外国の人たちの生活を深く知り、共感した経験がある人なら、少しくらいの習慣や考えのちがいは自然に受け入れて、ちがいそのものを楽しむことができる」のではないでしょうか。最近、ずっと「知ること」の大切さについて考えています。少しでも多くの人が、このガイドブックと、ここに紹介されている本を読んでくださることを願ってます!

〈ひと言映画紹介〉

『ドンバス』
2014年から、「分離派」(親ロシア)とウクライナ軍の軍事衝突がつづいていたドンバス地方。ノボロシア(親ロシア派の住民が多いウクライナ東部の地域)の社会を、風刺を交えながら描いた本作。立場がちがう人たちから見える風景が、まったくちがうことがわかる。

『エルヴィス』
 プレスリーが世界史上最も売れたソロアーティストだと、これを観て初めて知った。マネージャーだったパーカー(トム・ハンクス)との関係が中心だが、黒人音楽・ダンスを取り入れたエルヴィスへの、政府側の“過剰”反応に改めて、アメリカという国の一端を見た気がした。

『ドント・ルック・アップ』
 今ごろ見ましたーーネットフリックスで公開されているので、ぜひ。SNS社会、テレビのワイドショーのあり方、アメリカの中間選挙戦など、「今」をぶち込んでいる作品で、バカバカしさに笑いながら、そのバカバカしさが現実であることに、ぞっとするという仕掛け。巨大彗星の衝突で地球消滅の危機に見舞われた世界の「バカぶり」を描く。

『リコリス・ピザ』
1970年代ロサンゼルス。子役として活躍している高校生のゲイリー(シーモア・ホフマンの息子!)。一方の、将来が見えぬまま働くアラサーのアラナ。いわゆる“恋のシーソーゲーム”に妙なリアルさの宿る青春映画になっているのは、ポール・トーマス・アンダーソン監督の力か。

『プアン/友だちと呼ばせて』
 タイ映画。NYでバーを経営するボスと、白血病で余命宣告を受けたウードとの友情の物語。二人は、ウードの元カノたちを訪ねる旅に出るが……。タイのアイドル映画といった趣き。

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以下、ひこです。
【絵本】
『ねこのこね』(石津ちひろ:詩 おくはらゆめ:絵 アリス館)
 詩は、世界を言葉でリズムを付けて描いていく。この詩絵本は、春から始まって、次の春までを言葉で捉え、世界の素敵さを伝えてくれる。植物、動物、空、そして食べ物まで。世界は、喜びと楽しみに満ちている。おくはらの絵は詩と呼応しながら、自由に描かれています。
http://www.alicekan.com/books/post_262.html

『かんじるえ』(大谷陽一郎:さく 福音館書店)
 細かい細かい漢字のピースを使って描いた労作です。手は、「手」という漢字を膨大に使って描かれています。海辺の町の夕空を鳶がねぐらへ帰って行く絵は、木、家、窓、海、夕空、鳶という漢字で描かれるのです。象形文字を使った図。いやあ、発想の面白さよ。
https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=6893

『ぼくのバス』(バイロン・バートン:作・絵 いとうひろし:訳 徳間書店)
 停留所ごとに違った数の猫や犬がバスに乗ってきて降ります。足し算と引き算遊びです。それはそれで楽しいのですが、そこは、バイロン。終着駅で犬を一匹残します。「ぼくのいぬになりました」。いいでしょ。
https://www.tokuma.jp/book/b581109.html

『こうもり』(アヤ井アキコ 偕成社)
 こうもりの毎日の暮らしぶりを詳しく描いています。こうもりは、なんだか怖い生きもののようですが、こうして丁寧に紹介されると、とても魅力的な生きものになります。「知る」というのは本当に大事ですね。
https://www.kaiseisha.co.jp/authors/29130

『ゆきちゃんはぼくのともだち』(武田美穂 童心社)
 ゆきちゃんはぼくのおばあちゃん。このごろなんだか物忘れも多くなって、時々子どもに戻ります。そこでぼくは、日頃はおばあちゃんと呼んでいるけれど、子どもになっているときのおばあちゃんとは、名前のゆきちゃんで呼んで、一緒に遊ぶことにした。
 武田が描く、楽しい、ぼくとゆきちゃんの毎日です。
 それでもやがてゆきちゃんは寝込むことが多くなっていきますが、ゆきちゃんはゆきちゃんなのだ。
https://www.doshinsha.co.jp/search/info.php?isbn=9784494016389

『おてんきガールズ きせつのおでかけ』(アキ:作 木坂涼:訳 ほるぷ出版)
 夏から春まで、季節の移り変わりの中、十六人の少女がおでかけします。どんな季節でも、楽しいことは一杯あります。それを一緒に味わいましょう。季節が、服装や、日の光や、風によって表現されています。ちょっとしたお遊びもありますよ。
https://www.holp-pub.co.jp/book/b582213.html

『森のなかの小さなおうち』(エリザ・ウィラー:作 ひらおようこ:訳 三辺律子:監修 工学図書)
 父親が亡くなり家を立ち退かされた母親と子ども八人は、森の中で見つけた小さな廃屋に住み始めます。母親は遠くの町まで働きに出かけ、上の子たちは狩りに出かけ、下の子たちはベリーを摘み。極貧の生活ですが、温かく、苦労の影はさしていません。生きていくことにみんなが一丸となっているからでしょう。本当に幸せそうなんです。
 そんな生活を絵本は隅々まで、まるで読者がその場にいるかのように描いています。

『すいかのたね』(グレグ・ピゾーリ:作 みやさかひろみ:訳 こぐま社)
 すいか大好きワニの子。朝昼晩。おいしいおいしい。が、種を呑み込んでしまったとたん、不安になります。お腹の中で育たないだろうか、体がすいかにならないだろうか。確かに、すいかの種を呑んでしまったとき、色々しんぱいになりますよね。この絵本、そこを巧く突いています。ワニくんには大丈夫だよと言ってやりたいけど、おい、もう食べ始めているのか。
https://www.kogumasha.co.jp/product/803/

『はっこう 地球は微生物でいっぱい』(小川忠博:写真・文 横山和成:監修 あすなろ書房)
 ワイン、パン、納豆、日本酒、味噌、チーズ、藍、腸内細菌。様々な発酵の様子を写真で解説していきます。写真の持つ情報量とリアル感が、興味をかき立ててくれます。微生物のことに関心を寄せていく子どもたちが増えればそれは長い目で見て、地球環境問題を繋がっていきます。
https://www.youtube.com/watch?v=sQAUcOp9dgA

『アレッポのキャットマン』(アイリーン。レイサム&カリーム・シャムシ・バシャ:著 清水裕子:絵 安田菜津紀:訳 あかね書房)
 アレッポに住むアラーが、内戦で飼い主から捨てられたネコたちの面倒を見ます。やがて、ボランティアや寄付が集まって。ネコのみならず捨てられたペットたちの面倒を見る家を買います。やがて彼はキャットマンと呼ばれるようになり、水を提供する井戸を掘ったりして、その活動の幅を広げていきます。
 ウクライナ戦争で、忘れられた感のあるシリアですが、ここでもまた、独裁者に抑圧された人々がたくさんいます。
 清水の詳細な絵が素晴らしい。
https://www.akaneshobo.co.jp/search/info.php?isbn=9784251099426

『からだのきもち 境界・同意・尊重ってなに?』(ジェイニーン・サンダース:作 サラ・ジェニングス:絵 上田勢子:訳 子ども未来社)
 人は周りの人との境界を持っています。それ以上近づいて欲しくない距離です。その距離を縮めるかどうかは、あくまでその人に決める権利があります。たとえどんな人であろうと、同意なしに近づくことは出来ません。相手の同意なしに境界を越えない。それは、相手を尊重することとなります。ハグしたいときは、ハグしていいか訊ねるのです。
 お互いを尊重し、境界を認めて同意を求める。それらがクリアできて、ハグしたとき、幸せは訪れることでしょう。
 そうした微妙な関係性を子どもに伝える絵本です。
http://comirai.shop12.makeshop.jp/shopdetail/000000000304/

『2ひきのカエル』(クリス・ウォーメル:作・絵 はたこうしろう:訳 徳間書店)
 蓮の上に2匹のカエル。1匹は棒きれを持っています。片方が、何に使うんだと聞くと、これで犬を追っ払うつもりらしい。っても、こんな所まで犬が来るか? 世界一泳げる犬だったら、これるとかなんとか、しょうもない会話が続いていくのがなんとも可笑しいです。話に夢中になっていると、カワカマスやサギに襲われ、もう大変。
 笑っちゃうには、よい絵本です。
https://www.tokuma.jp/serial/

『くみたて』(田中達也 福音館書店)
 ミニチュア写真による見立てです。ミニチュアの人物たちが様々な道具を使って、ミニチュアのせかいを作り上げていきます。洗濯用のクリップがブランコになったり、めがねのレンズがプールになったり。日頃見慣れている道具たちだけに、それがその大きさのままミニチュア世界に飛び込むと、どう見えるか、どう使われるかを楽しむことができます。それは、私たちの既成のイメージに別のイメージを付け加えてくれます。
https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=7097

【児童書】
『新月の子どもたち』(齋藤倫 ブロンズ新社)
 「レイン」と呼びかけられた「ぼく」が目覚めます。それは自分がレインだからなのか、自分が呼ばれたと思ったから、レインになったのか、「ぼく」にはよくわかりません。つまり、語り手の「ぼく」は、宙づりの状態で登場します。
 どうやらそこは監獄のようです。いるのは子どもたちだけ。点呼のとき、看守の熊にこう言われます。「おまえはしぬ」。それに対する子どもたちの答えは、「ぼく(わたし)はしぬ」です。ところが、シグという少女の応えは違いました。「わたしはしなない」。
 何故かはわかりませんがここでは子どもは死ぬことになっているようです。もっともこの「死ぬ」ということの意味も定かではありません
 「しなない」と言ったシグが気になったレインは、彼女がここを脱出するのを手伝います。
 実はこのトロイガルトと呼ばれる世界は、令という名の小学五年生の少年が、昼休みに爆睡してしまって見ている夢であるようなのがわかってきます。
 現実世界での令は、元聖歌隊で、天使の声を持っていたのですが今は変声期で、思うようには声を出せません。つまり、令もまたレインと同じく、大人でも子どもでもない宙づりの状態にあります。令は自分の声を見つけ出さないと行けない。レインは、シグとともに、トロイガルトという、出口も入り口も、外側も内側もはっきりしない、脱出が不可能に思える場所をさまよいます。従って、このトロイガルトもまた宙づりの場所だといえます。
 物語は、夢の部分で、レインやシグなどを通して、「わたしとは誰だ」や「わたしはどのようにしてわたしか」などの抽象度の高い問いかけを描き、現実の部分でその実感を描いていきます。もちろん両者は往還しており、どちらかが主というわけではありません。どちらもが、大切なのです。
 子どもから大人へと変わっていくのは、引き返すことの出来ないことですが、だからといって、夢の世界を捨て去る必要はありません。
 かろうじてバランスを保ちながら生きていくこと。それが大切なのでしょう。
https://www.bronze.co.jp/books/9784893097071/

『パンに書かれた言葉』(朽木祥 小学館)
 日本人とパパとイタリア人のママを持つエリーは、震災の後、鎌倉からママのふるさと、北イタリアの祖母の元に旅立ちます。そこでエリーは第二次世界大戦下でナチスドイツと闘った北イタリアのパルチザンの話などを聞かせてもらいます。大叔父パオロは若くして戦いに加わり犠牲となったのでした。彼が遺したのは、乾燥したパンの自らの血で書いたSで始まる言葉だけ。その言葉はエリーのミドルネームでもあります。
 帰国したエリーは夏休み、パパのふるさとである広島で過ごすことに。平和記念資料館をおじいちゃんと訪れたり、大叔母の真美子さんがエリーと同じ13歳で、原爆投下によって亡くなったことをしります。それから、エリーは祖父母から原爆被害の実体験を聞くのでした。
「希望」その一言に託した思いが、エリーの心に育っていきます。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09289319

『台湾の少年』(全4巻の内の1、2巻目 游珮芸・周 見信:作 倉本知明:訳 岩波書店)
 日本統治下から白色テロへと、激動の台湾史を一人の少年の運命を通して描くグラフィックノベルです。台湾語、北京語、日本語の混じった世界(色やフォントで区別してあります)はリアルで、台湾が置かれてきた歴史が伝わってきます。台湾を、そして近代アジア史を感じる上で貴重な作品です。早く3、4巻を読みたい。
https://tanemaki.iwanami.co.jp/categories/971

『空と大地に出会う夏』(濱野京子 くもん出版)
 リイチは、理屈が通ることが好きで、ムダも好きではない小学6年生。隣町に住む叔母のところでピアノを習っていますが、叔母の感覚的表現による指示がよくわかりません。「もうすこし明るく」って言われても困ってしまうのです。そんなリイチはレッスンの帰りミソラに出会います。別なクラスだけど顔は知っています。ミソラはリイチと正反対の性格で、とまどうリイチですが、やがて彼女のアバウトな性格が、リイチの堅い考え方を溶かしていってくれます。彼女からのつながりで、元同級生で今は別の校区だけど、学校に行っていないヒロトとも出会い、筋の通った理屈だけで世界は出来ていないことを理解していきます。
 人と出会い、付き合うことで成長(心の広がり)していくリイチが丁寧に描かれています。
https://www.kumonshuppan.com/yodo/yodo-syousai/?code=34639

『母の国、父の国』(小手鞠るい さ・え・ら書房)
 日本人の母、ドミニカ人の父を持つエミリの語りで物語は進みます。エミリは現在大人で、アメリカ在住の翻訳者。子どもたちの電話相談のボランティアもしています。
 小学校でのいじめ、中学での差別、高校生になって受ける初恋の屈辱。そうした経験を経て彼女が黒い肌を受け入れないこの国で、打たれ強く、タフになっていく姿が語られていきます。生きがたさ、生きづらさに向かい合うエミリの姿が気持ちいいです。
また、エミリー・ディキンソンの詩が効果的に使われています。
https://saela.co.jp/%E6%AF%8D%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%81%E7%88%B6%E3%81%AE%E5%9B%BD/

『トーキングドラム』(佐藤まどか PHP)
 高学年ながら、家に居場所を見つけられないマッキーは「放課後子ども教室」に通っています。同じ高学年のそれぞれの悩みを抱えた三人の仲間と共に打楽器を作ろうと盛り上がり、それだけでは収まらず、路上パフォーマンスまでやってしまいます。
 一つの目標に向かって協力していく姿は、やはり心地いい。彼らのドラムは、聴衆に届くのか。
 爽やかな物語です。
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-88060-0

『秘密の大作戦! フードバンクどろぼうをつかまえろ!』(オンジャリQ.ラウフ:作 千葉茂樹:訳 スギヤマカナヨ:絵 あすなろ書房)
 ネルソンの家は貧しく、フードバンクに頼っています。ところが、フードバンクの食料がだんだん減ってきている。これは、食料を寄贈しているスーパーで盗みが行われているのではないかと思ったネルソンと友人たちは、スーパーのお客たちが支払いを済ませた後、置かれたカートに寄贈の食料を入れる場所を見張ります。そしてついに、そのカートを勝手に持ち去る2人組を発見!
 決して暗くない物語。子どもたちが悪者たちを捕まえる活躍は、児童文学の爽快感ですね。
http://www.asunaroshobo.co.jp/home/search/info.php?isbn=9784751530771

【絵本カフェ】
『戦争をやめた人たち』(鈴木まもる:文・絵 あすなろ書房)
 戦争に参加させられている兵士一人一人には顔がありません。かれらは、ある意味武器の一つとして、第一大隊二千名とか、乗務員一千名といった風に数えられるだけです。生きているときですらそうなのですから、戦死すると彼らは「我が軍の損失」として数えられるだけです。そして失った分は、「補給」されるのです。そう、兵士には顔が与えられていません。
 この絵本は第一次世界大戦で実際にあった出来事を描いています。1914年の国境。ドイツ軍とイギリス軍が対峙し、それぞれが塹壕から攻撃しています。12月24日のことです。イギリス軍は疲れ果て、塹壕の中で休んでいました。すると外から人の声がします。声と言うより歌声です。それは、国境の向こう、ドイツ軍の塹壕からでした。ドイツ語の意味はわかりませんがメロディはみんなよく知っています。クリスマスソングの「きよし このよる」です。やがてイギリス軍兵士も歌い始めます。それから、互いの塹壕からいろんなクリスマスソングが行き交いました。
 12月25日。クリスマスの朝。ドイツ軍の塹壕から手を挙げた人が出てきました。イギリス軍からも出て行きます。そして、両軍は今日一日クリスマス休戦をすることを決めるのです。両軍でサッカーに興じ、家族写真を見せ合い、お酒を酌み交わします。
 顔のない兵士の顔がわかったのです。
 もちろん、だからといって戦争が終わったわけではありません。しかし、一緒にクリスマスを祝った兵士たちは、相手に向けて銃を撃たず、少し上に向けて空に撃ったそうです。
 そう。顔を知っている相手を打つことなど出来ません。人の顔を消すような振る舞い(差別や無知、無関心)が、戦争を引き寄せるのです。

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●「読書探偵作文コンクール2022(第13回)」開催
~外国の物語や絵本を読んで、おもしろさを伝えよう!~

 募集作品:翻訳書を読んで書いた作文
 対  象:小学生、中学生、高校生
 しめきり:2022年9月30日(金) 当日消印有効
 枚  数:小学生部門 2,000字(原稿用紙5枚)程度まで
      中高生部門 字数制限なし
 選考委員:プロの翻訳家
      小学生部門 越前敏弥、ないとうふみこ、宮坂宏美
     :中高生部門 金原瑞人、田中亜希子
 賞  品:小学生部門 賞状、図書カード1,000円~ 5,000円分
      中高生部門 賞状、図書カード5,000円~10,000円分
      (応募者全員に作文へのコメントと粗品をお送りします)
 主  催:読書探偵作文コンクール事務局
 協  力:翻訳ミステリー大賞シンジケート、やまねこ翻訳クラブ

 詳しくは専用サイトをどうぞ。
  小学生部門 http://dokushotantei.seesaa.net/
  中高生部門 https://dokutanchuko.jimdo.com/
  note https://note.com/dokutan
 たくさんのご応募、お待ちしています!!
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野坂悦子さんからのお知らせです。
 
2022年、夏のお知らせです!

1)7月31日、NHK第一のちきゅうラジオ(17:05-17:55, 18:05-18:50)に出演して、
「オランダの絵本」の話をします。
 前半は「うさこちゃんとうみ」を、まんなかで「おじいちゃんわすれないよ」を、
後半は「レナレナ」中心にお話しする予定です。
放送予定 - ちきゅうラジオ - NHK
2022年7月31日 - ちきゅうラジオ - NHK  
(聞き逃し配信もあります。)
https://www.nhk.jp/p/gr/rs/LR62K9QV6M/schedule/

2)オランダを楽しむ会第二弾のお知らせです。
8月19日、19:00より「絵本とオランダの教育―子どもたちの個性は
どこからくるの?」をテーマに、オンライン(ウェビナー形式)で
無料のイベントを開催します。オランダ王国大使館の後援も頂きました。
詳細&申し込みはこちら:
オランダを楽しむ会 #2 | Peatix
https://orandawotanoshimukai.peatix.com/view
絵本作家、イヴォンヌ・ヤハテンベルフさんをゲストにお迎えします。
  オランダから、新しい教育素材を発信している日本人3人組「おひさまプロジェクト」
  のお話も、おもしろいはずです!

3)早川純子『どんぐり喰い』木版画展
  8月7~8月21日 京都にある児童書専門店「きんだあらんど」で展覧会が開催されます。
絵本屋きんだあらんど (kinderland-jp.com)
http://kinderland-jp.com/
8月7日には私が、翻訳書『どんぐり喰い』(エルス・ペルフロム作、福音館書店)を
中心にさまざまな翻訳についてのトークを、8月11日には早川さんが子どもたちを対象に
ワークショップを行います。どちらもハイブリッド形式、オンライン参加が可能です。

どうぞよろしくお願いいたします。
 

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