【児童文学評論】 No.309 2023/11/30

スペイン語圏の子どもの本から(56)

 今、この原稿は、メキシコのグアダラハラで書いています。パンデミックのせいで3年間行くことのできなかったFIL(グアダラハラ(メキシコ)国際ブックフェア)に、ようやく来ることができたからです。そこで今回は、グアダラハラに来るたびに会うコロンビアの編集者のことを書こうと思います。

 

 建築家のマリア・オソリオは、IBBYのコロンビア支部であるコロンビア児童書協会の建物の修理をしたのがきっかけで1986年から児童書協会で、そのあとはIBBYコロンビア支部であるフンダレクトゥーラで働くようになり、2001年にバベルリブロスという会社を起こしました。児童書の販売から初めて、2006年に出版活動を始めたという変わり種です。社屋の設計もすれば、デザインもこなします。出会いは、私が初めてFILに行った2007年のことです。その年はコロンビアが招待国で、コロンビアのブースで見かけたマリアに話しかけたのが始まりで、FILに行くたびに会うようになりました。

 バベルリブロスは、日本の出版社と比べると出版点数は多くありませんが、国際アンデルセン賞の画家賞候補になったことのあるイバル・ダ・コルや、私が翻訳をした『エロイーサと虫たち』(さ・え・ら書房)の文章を書いたハイロ・ブイトラゴ、絵を描いたラファエル・ジョクテングと、次々と新しいことに挑戦するような絵本を出版し続けています。また、アルゼンチンの国際アンデルセン賞作家マリア・テレサ・アンドルエットや、ブラジルの作家マリナ・コラサンチの翻訳など、読み物のラインナップもあります。以前は、読書に関する小ぶりのブックレットもシリーズで刊行していました。

 すごいのは、どの本も、何かの真似ではなく、また、型があるわけではなく、いつも自由な発想で、自分の頭で考えてつくっているように見受けられるところです。FILのスタンドには、どこか新しい、ほかのどこにもなさそうな本が並んでいます。自分はこういう本を作るのだという「観」があるのを感じます。

 バベルリブロスはその後、ボローニャブックフェアでラガッツィ賞受賞作をうみだし、2017年にはボローニャブックフェアで中南米の優良出版社BOPに選ばれました。

 2017年の春、私はマリアをたずねてボゴタに行きましたが、せっかくだから、日本の絵本の歴史と現状などを話してくれと頼まれ、10人ほどの若い編集者の前で話しました。若手編集者からのマリアのへの信頼はあつく、コロンビア全体の出版界が、マリアの活動によって活性化されているのをまのあたりにしました。

 マリアはさらに、2018年にFILが毎年1人の出版人に送っている出版功労賞を受賞しました。そのときの受賞スピーチで、マリアはこんなふうに語っていました。

「わたしたち建築家というのは、自分の住む世界に形と空間を与えるのが仕事です。人に住まわれる姿を思い描いて、形と空間を提供します。今は「読まれるために」と言いかえられるでしょうが、そんなふうに、私は本をつくってきました。家はいったん建てると「永遠に」——今の「永遠」は、はやりすたりの影響をうけますが——そこにあり続けます。そうやって永遠に、家を建てた人にいい人生か悪い人生を与え、わたしたち建築家には、日々、そこに確かにそれが存在することを思い出させるのです。

 本が「永遠にある」可能性を持つならば、あるいは、その可能性を持たざるをえないならば、30年前に偶然わたしがたどりついた子どもの本も永遠でないわけがありません。」

 社会的に何もかも整っているわけではないコロンビアという国におけるマリアの出版活動は、5年や10年ではなく、建築物のように、もっと長いスパンでなされていたのでした。

 ラテンアメリカのこういったたくましい出版人の姿に励まされ、いつも私はFILから帰国するのです。                         (宇野和美)


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三辺律子です。


『ことばの白地図を歩く』(創元社)

 作者の奈倉有里さんはいま、注目のロシア文学者だ。ロシアの大学生活をつづった『夕暮れに夜明けの歌を』(イーストプレス)を読んだ方も多いだろう。

『ことばの白地図を歩く』は創元社が「10代以上すべての人のための人文書のシリーズ」として創刊した〈あいだで考える〉中の一冊。先日「群像」に書いた書評の後半部分をここに掲載したいと思う。


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 (…)本書は、RPGゲームのように、クエストが一つずつ提示され、それをクリアして、次のクエスト(章)に進むという形で書かれている。「クエスト0」で手に入れた「不思議な白地図」を携え出発。「クエスト1」で好きな言語を選び、「クエスト2」で「妖怪あきらめ」対策を入手、「クエスト5」では「異文化」【異に傍点】について考え、「クエスト8」では、現地の「食」のあれこれが登場、「クエスト11」では「いい翻訳家は、いい詐欺師!」(109)なる標語(?)を学び、「クエスト13」ではいよいよ翻訳に取りかかる……という具合にどんどんレベルアップしていく。

 クエストの初期は、いわば言葉を学ぶための心構えのような提案が多い。印象的だったのは、言葉を学ぶ具体的な目標は「明確でなくてもいい」ということ。言語はツールである、従って、言語の習得自体ではなく、それを使って何をやるかを目的にしないとだめだ、といった言説はよく耳にする。もちろんそれも一理あるが、では、必ず何かに役立てなければいけないのか? そんなわたしの違和感に、次の文は答えてくれる。「…目標設定も含めて『迷いながら』進む(中略)まずは見切り発車であっても大きな希望を抱き、少しずつ目標を設定し直し、手探りで一歩ずつ、自分の道を探っていく」(42)。そうなのだ、別に何もかもすぐに「明確」にしなくてもいいではないか! 翻訳家のほの字も思いつかないまま、大学卒業後、ぼんやりと一般企業に勤めたことのあるわたしは、ここで「そうだよね!」と(エア)奈倉さんに向かってさけんでいた。

 クエスト後期で関心を引くのは、やはり翻訳論。やさしい言葉で書かれているが、「クエスト15」で論じられる「原文に忠実な翻訳」に対する考察は、現代の翻訳を考えるときに外せない。


原文の独自性、とくに文体的な特徴がよく再現できている翻訳が、たとえ不自然なことばづかいになっていたとしても「原文に忠実」だと言われることがある。翻訳を読むとその向こうに原文の言い回しや構文が透けてみえるような訳し方のことだ。けれども(中略)この場合の翻訳が「忠実」なのは原文というよりも、いってしまえば「語学学習者(あるいは学者)の原文に対する感覚」であって(中略)「原語を母語とする読者が原文を読んだときの読者体験」からはかけ離れた翻訳になってしまう」(140)。


 もちろん、原文の読者と翻訳の読者は、歴史や風習、衣食住といった日常など、持っている背景が違うのだから、まったく同じ「読者体験」を持つのは不可能だろう。また、本書でも指摘されているように、語学学習者が面白いと思うような感覚を再現している翻訳にも、「一定の需要」(140)があることは確かだ。例えば、イギリス独特のジョークや慣用句がそのまま出てくると嬉しくなってしまうわたし自身も、その一人かもしれない。一方で、子どもや若い人向けの作品を多く訳している身としては、こうした類の「原文に忠実」な翻訳が、時として“現代の”読者を遠ざけてしまうこともよく知っている。では、「原語を母語とする読者が原文を読んだときの読者体験」にできるだけ近づけるにはどうすればいいのか? 本書のクエストは、その疑問への答えを見つける道筋でもあると思う。

 最後に。本書には言語だけでなくロシア自体に関心を持っている読者にも、ついつい引き込まれる描写がたくさんある。髪が濡れたまま外へ出ようとした留学生を管理人が血相を変えて止めた話とか、ロシアの「すきま風」恐怖症の話(トルストイの部屋は隙間風が入らないようドアが締め切られており、見舞いにきたとある作家は窓から入れと言われたそうだ)、ロシアの迷信の話(鳥が家に入ると不吉、忘れ物をして家にもどると不吉…)。言語という窓からのぞいたロシアは、こんなにも魅力的なのだ。


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 奈倉さんはこれに続く箇所で「読者にまでその『学習している感』を押しつけてしまっているような翻訳」を批判している。「翻訳が不自然な文章になっている場合、それは翻訳者の言語理解が不十分なために『この原文はどこで自然なバランスを保っているのか』を理解できていなかったり、自然なことばに訳すことを放棄していたりするだけのこともある。『原文のいびつさ』を主張する翻訳者が単に原文の自然さを理解できていないだけだというのは、よくある」と述べている。

 ここには、特に児童書を翻訳している者として、深くうなずく。(自戒を込めて)

 フィクションとノンフィクションという違いもあるので安易に並列には論じられないが、

『精神病理学私記』(H.S.サリヴァン)で第六回日本翻訳大賞を受賞した須貝秀平さんが一般で言う「原文をそのまま忠実に訳す」ことはしていない、「最後に心の底に残った感慨のようなもの、それを訳しました」と言っていたことを思い出す【「受賞のことば」】。共訳の阿部大樹さんも自分の翻訳を「元のテキストというよりも、もっと抽象的な、〈書かれようとされたもの〉を日本語にしようとする」と分析する【「阿部大樹×秋草俊一郎 翻訳から3歩はなれて」】。

 原文に「忠実」に訳すとは何なのか。“翻訳”に対する考え方が、変わってきているのを肌で感じている。


一言映画評

 今、前回の「一言映画評」を見ていたら、最後に「予告 『バービー』いってきます!」と書いていた。前回の連載から3か月空いてしまったことを思い知らされました……すみません。

 また、やはり前回「リクエスト」として上映を願っていた『オッペンハイマー』、結局日本には来ませんでしたね。クリストファー・ノーランの映画なのに。どういう“事情”で日本での上映はなかったのか、知りたいです。


 ではでは、もう終わっている映画も含め、おもしろかった!ものや、一言言っておきたいものについて、以下です!


『バービー』

 空前絶後の大ヒット作――なのに、日本ではあまりヒットしなかった模様。

 バービーランドで楽しく暮らしているバービーたち。作家、大統領、医者……彼女たちはみな職業を持ち、充実した日々を送っている。一方で、かつてバービーのBFという触れ込みで発売されたケンたち男性の影は薄い。彼らは、バービーたちのいわば「添え物」にすぎないのだ。それは言うまでもなく、現実社会での女性の置かれた状況であり、バービーランドはその男女の役割を反転させた世界ということになる。

 そんなケンがひょんなことから人間の暮らす現実社会へいくと、そこは完全な家父長社会で……という具合に映画は進行していく。

 つまり、日本のようにジェンダーギャップ指数125位の国には、ちょうどいいフェミニズムの入り口になる映画かも。個人的にはちょっと説明くさい気がしてしまったけど、字幕だとセリフをある程度まとめざるを得ないせいもあるかも? 


『福田村事件』

 関東大震災後の流言飛語による朝鮮人虐殺を背景に、(朝鮮人ではなかった)部落の人々が殺された福田村の事件の映画化。歴史がなかったことにされつつある今、貴重な映画だ。少し詰め込みすぎなところはあったけれど、それほど伝えておかなければならないことが多いということなのだ。


『ロスト・キング』

職場で上司から不当な評価を受けたフィリッパ。「リチャード三世」の芝居を見た彼女は、同じく不当な仕打ちを受けた王に親近感を抱き、近くの川に投げ込まれたと考えられてきた彼の遺骨探しを始める。彼女が持病を抱えていること、アカデミック&男社会で彼らの都合やプライドに振り回されること――といった現代的なテーマをリチャード3世の「幻」を登場させることで巧みに描き、一癖も二癖もある映画にしあげていて面白かった!


『熊は、いない』

イラン政府から映画制作を禁じられてもなお映画を撮り続けるパナヒ監督の作品。脚本・製作・主演すべてパナヒ監督。イランの国境近くの小さな村から、リモートでトルコでの撮影の指示をしているパナヒ監督。一方、その村でも、掟のせいで引き離された恋人たちをめぐるトラブルが発生し……。

パナヒ監督の不屈の精神が光る。


『ヨーロッパ新世紀』

 トランスシルヴァニアにはルーマニア、ハンガリー、ドイツなどの人々が暮らす。多くは、周辺国へ出稼ぎへいっている。一方、地元のパン工場は(最低賃金のため)働き手が集まらず、スリランカから移民を受け入れることにするが、これが燻っていたさまざまな悪感情に火をつける。住民の集会の場面が圧巻。今、世界で起こっていることの背景が、小さな村の出来事からあぶり出される。


『ザ・クリエーター』

 好みすぎた! AIが起こした核の誤爆発をきっかけにAI禁止を打ち出した西欧とAIを使い続けるニューアジアと呼ばれるアジア圏とが戦争状態に。

日本をはじめとしたアジア圏から影響を受けたエドワーズ監督・脚本の描く近未来世界はブレードランナー的なところもありつつ、独自の世界観で作られていて(ちょっと美化されてる?と思いつつ)魅力的。なにがびっくりしたって、がっつりアメリカが悪者……。ぜひ。


『雪豹』

チベット映画。昔からチベットの牧畜民は雪豹と共存してきた。しかし.今は雪豹は保護動物。大切に育てた羊を殺された男と、とにかく法律だから雪豹を山へ返せという中国の役人のやりとりは、コミカルであると同時にチベットの現状をうっすら映し出す。この「うっすら」が、今、チベットがいろいろな状況の中で映画を作っていることをも窺わせる。にもかかわらず、数多の賞を受賞してきたペマ・ツェテン監督がなくなってしまって、本当に悲しい。


『JFK/新証言』

 「JFK」でケネディの暗殺事件に迫ったオリバー・ストーン監督が、新たに解禁された機密文書から、今度はドキュメンタリーを。わたしの感想は一言、「日本も公文書をきちんと保存してください」!


『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

 えー、206分! とか言わないで! 最高だから!

1920年代、オクラホマのオセージ族の居留地で石油が発掘。豊かになった先住民たちを人種搾取する白人たち、その搾取のやり方はどんどんエスカレートして……

ディカプリオ演じる町の実力者の甥アーネストの、一言では要約できない人物造型に引きつけられる。むしろ単純な人物なのに! 彼の先住民の妻モリーを演じたグラッドストーンもまた素晴らしい。(白人である)スコセッシ監督が映画を撮るにあたって、モリーら先住民でもなく、FBIの捜査官でもなく、この甥を主人公にしたのは、この映画の見ごたえが100倍にした(と思う)。百年前の”西部劇“だけど、「今」の映画だと思う。


***これから公開***

『Winter Boy』

クリストフ・オノレ監督の半自伝的映画。主人公リュカが父の死やゲイである自分に向き合っていく様子を描く。主人公を演じるポール・キルシュがよかった! リュカの母役のジュリエット・ビノシュもさすがだったなー。


『ティル』

エメット・ティル殺害事件(14歳の黒人少年が、白人女性に口笛を吹いたとして、リンチで殺された事件)を描いた映画。公民権運動を前進させた事件として有名だけど、映像で見ると、改めて差別のあり方を突きつけられる。事件の顛末も、母親の悲しみと怒りも、とてもストレートに描かれている。事実の重さに、ストレートに描かざるを得ないからだと感じた。


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西村醇子の新・気まぐれ図書室(64)  ―― 「この世は舞台」―― 


 書店店頭で懐かしい作者名の本をみつけた。「仁木悦子・子ども謎ときミステリー」シリーズ(あすなろ書房、2023年11月)である。仁木悦子といえば、江戸川乱歩賞受賞作の『猫は知っていた』が有名で、多くのミステリーの著作がある。ただ、もう亡くなっている(1986年没)ので、新作でないことはわかっていた。

奥付ページによると、今回テクストとしたのは出版芸術社の『子供たちの探偵簿』(2002)や論創社の『仁木悦子少年小説コレクション』(2012~2013)など。あすなろ書房ではそれらをもとに文字表記に手をいれ、『悪漢追跡せよ』、『午後七時の怪事件』、『花は夜散る』という3巻本にした。今回、このうちの1巻目をおそるおそる読んだ。

 「おそるおそる」というのは、調べものや連絡手段だけでも隔世の感があるなか、仁木作品が通用するのかという不安な気持ちがあったからだ。しかし、それは杞憂だった。登場する子どもの心理も行動も、ミステリーとして破綻なく読める。ただ、読み手の子どもによっては、ところどころで違和感を覚えるかもしれない。たとえば大人が今、お金を借りるなら、個人(の高利貸)よりは「〇〇ローン」を利用するだろうし、容疑者のアリバイが問題にされるなら、街中にある監視カメラの映像も調べられるだろうとか。しかし、知人に犯罪の容疑がかかり、その潔白を証明しようと子どもが知恵をしぼり行動する姿には、時代の壁を越えさせる力があった。収録されている4話のうち、「悪漢追跡せよ」と「そのとき10時の鐘が鳴った」は、どちらもアリバイ崩しの話だったが、ここでは標題作「悪漢追跡せよ」をとりあげる。

沢井家では、パパが5年前に交通事故で亡くなってから、ママは住居の一部を手芸用品店に改装している。今年になってママに秋谷さんという恋人ができた。小学4年の勉は平気らしいが、中学生のあたしはそうではない。秋谷さんには奥さんがいるという噂があるし、なんとなく気に入らない。その日も、秋谷さんからの伝言メモを捨てる意地悪をした。ところが、そのせいでアリバイのない秋谷さんが、バーのマダム殺しの犯人だと疑われて警察に連れていかれた。

秋谷さんの無実を信じたあたしは勉と聞きこみにでかけ、殺されたマダムの弟から話をきいた。すると、おかしなことに気づいた。マダムの弟は秋谷さんにはアリバイがないし、自分にはあるといった。おまけに秋谷さんが犯人だと示す証拠の品まであると。え? そのことは誰に聞いたのだろう?新聞には載っていなかったのに!それに、弟のアリバイを証言した友だちの話にもおかしな点がある。

あたしは警察へ行くつもりで勉を待っていたが、そのまえに誘拐される。でも手元にあった、手芸用品のスパンコールが役立った。あたしが目印としてスパンコールを落としていったと勉が気づき、警察に通報したからだ。おかげで、あたしは無事に救出されたし、秋谷さんの疑いも晴らすことができた。あたしは、パパの写真を片付けたりしないね、と秋谷さんに確かめた…。

主人公は、人からきいた情報をほかで得た情報と突き合わせ、その矛盾点に気づき、さらに推理をおこなって真相をつきとめる。この一連の過程は本格的なミステリーのそれだ。最後にママの恋人に確認している部分もまた、親の再婚をめぐる子どもの自然な気持ちで、そこには古さなどない。

 別の書店でみつけた村上リコ・文、トーレス柴本・絵の『ロンドンに建ったガラスの宮殿』は、古い時代を今に伝える出色の1冊だ。英国史では「水晶宮(クリスタルパレス)」で「最初の万国博覧会」開催された、というほんの短い記述となる事柄だが、19世紀ヴィクトリア女王の時代にロンドンで初めて開催された万国博覧会について、そのコンセプトや建物、展示内容などを40ページのなかでうまく紹介している。

感銘を受けたのは、短期間で安く工事を終えるためにさまざまな工夫がされていたことだ。設計者はジョーゼフ・パクストン。庭師としての経験をいかし、屋根の一部をカーブさせてニレの大木を残す設計にしたほか、ガラスの屋根を張るためにワゴンを利用したり、雨どい(「パクストン雨どい」を発明したりしている。そして今でいうプレハブ工法をいち早く取り入れ、半年後にはほぼ完成させていたそうだ。鉄とガラスという新しい技術を合わせて作られたクリスタルパレスだが、万博後に移設されたものの、その後火事で消失しており、現物を見ることはできない。

この『ロンドンに建ったガラスの宮殿』とは、月刊雑誌「たくさんのふしぎ」(福音館)の2023年11月号である。「たくさんのふしぎ」自体は、小学3年生以上が読者対象の科学系の絵本誌で、分冊形式の百科事典に近い。もっともこれを買った書店で陳列されていたのは児童書コーナーではなく、レジに近い場所。「大人が読んでも面白い!『たくさんのふしぎ』バックナンバーフェア」と銘打ち、2023年10月号の「いろいろ色のはじまり」ほか、「ブラックホールってなんだろう?」など、「たくさんのふしぎ」が一面に展示されていた。レジ待ちのあいだにこのシリーズに気づき、つい手を出した人は私以外にもいたかもしれない。 

 ダイアナ・ハーモン・アシャー作、武富博子訳『アップステージ』(評論社、2022年8月)は昨夏の本だが、読みそびれていた。坂口友佳子の表紙絵は、ミュージカルの一場面を描いたカラフルなもので、中身の楽しさを予感させる。

 12歳のシーラはシャイなため、ほとんど唯一の友人キャシーはいつもシーラを励まし、後押しする役回りだ。2人の通う中学では、学校ミュージカルを毎年おこなうが、その配役はオーディションで決まる。シーラはドレスを着て脚光を浴びることを夢見るが、自分にはとうてい無理だと思っている。オーディションでは、音楽のフーバー先生がシーラの才能を見て取り、4人組の「バーバーショップ・カルテット」の第一テノールに選ぶ。それは女性が男性の役を演じる「ズボン役」だったため、シーラは気のりがしなかった。でも、シーラには絶対音感があった。そして主役のひとりである図書館長を演じるモニカが、大事なオーディションのたびに抜けるとき、シーラが代役をすることにもなった。モニカは何かにつけて、シーラへの敵意と軽蔑と嫉妬心をあらわにする。

 物語の転機となるのは、モニカが学校に置き忘れた台本が、シュレッダーにかけられた無残な姿で見つかった事件だ。二日も気づかなかったことは、モニカがまともに劇と取り組んでいなかったことを示すが、相手役のポールが美術室で裁断機を使っているのを見たと、(モニカの親友の)メリンダが証言したため、校長はポールの参加を一時的にとめる。ポールの無実を信じるシーラたちは犯人さがしをおこない、やがてメリンダの嘘がばれる。ポールは復帰を許されると、何事もなかったように劇に集中する。その姿をみているうちに、シーラは自分もまた自己中心的だったことや、これまでポールをきちんと見てこなかったことに気づく。やがて始まった本番。禁止されていたはずのハイヒールを履いていたモニカは、ハイヒールがはさまったせいで転倒し、それ以上出演できなくなった。そこで出番がおわっていたシーラが、周囲の声に押されて代役をつとめ、舞台を無事に終わらせる。

 本書の原題は’Upstaged’という。物語内ではアップステージとは、「主役がかすむようなこと」で、それをしてはいけないという舞台の注意事項として言及されている。言い換えれば、原題にはシーラが主役のお株を奪う(であろう)ことが含まれている。一方翻訳書のサブタイトルは、「シャイなわたしが舞台に立つまで」。あまり面白みがないと思ったが、かといってサブタイトルに踏みこんだ暗示を望むのは、無理筋になるだろう。

演劇に参加したことで自分の殻を破るのは、ある意味で定型通りの展開である。だが、(訳者あとがきにもあるように)オーディションからドレスリハーサルをへて上演本番にいたるまでが、もれなく描かれていて、舞台裏をのぞいているような面白さがある。彼らの演目の「ザ・ミュージックマン」は、1957年初演のミュージカルで、アメリカでもヒット作品となり、映画化やテレビ映画化もされたという。検索したところ、日本では2023年4月から5月にかけて都内日生劇場のほか、各地で上演されていた。エンディングの曲などはかなり有名で、このメロディを聞いたことがある人もいるだろう。

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 学校で演劇をおこなうのは、珍しくもないようだ。2015年に出版され、翌年翻訳が出たアレックス・ジーノの『ジョージと秘密のメリッサ』(島村浩子訳、偕成社2016年12月)の場合。アメリカの古典的児童文学であるE・B・ホワイトの『シャーロットのおくりもの』の上演を契機とし、どうしてもシャーロット役を演じたいジョージが、自分の気持ちを周囲に理解してもらうことに成功する話である。

ジョージは10歳。ずっと自分を女の子(メリッサ)だと思ってきたが、誰にも打ち明けられずに苦しんでいた。やがて自分は心と身体の性が一致しないトランスジェンダーなのだと気づく。毎年、小学校ではホワイトの物語を劇にして上演するのが伝統になっていた。オーディションでシャーロット役を射止めたのは親友のケリーだった。彼女とシャーロット役の練習をかさねたジョージは、ケリーの協力をえて、ついに本番の夜の部で、シャーロットを演じきる。先生はこの入れ替わりに不満らしかったが、校長はトランスジェンダーゆえの悩みがあったことを理解してくれる。そしてジョージも、ようやく母親にメリッサとしての自分を伝えることができた。

 この物語の終わりは明るい。母親がメリッサであることを受け入れてくれたことがひとつ、そしてもうひとつは、経緯を何もしらないケリーのおじさんに、単なる「ケリーとメリッサ」という少女2人組として、遠出に連れていってもらえたからだ。ジョージは、ケリーの手を借りて着替え、メリッサとしての自分を心から楽しんでいる……。

 じつは『ジョージと秘密のメリッサ』は、今回取り上げるジーノの『リックとあいまいな境界線』(島村浩子訳、偕成社2023年11月)の前作にあたる。

 『リックとあいまいな境界線』自体、単独の作品として読むことができる。とはいえ、前作で主人公だったジョージは(脇役だが)中学では最初からメリッサとして登場しているし、仲良しのケリーを含めて同じ小学校出身の何人かが作中に顔をだしているので、前作を読んでいれば楽しさが増すだろう。そして主人公は、前作では脇役のひとりだったリック。彼が「親友」ジェフとの関係に悩むことはストーリーで大きな比重を占めている。

 リックには、トーマス、ダイアンという兄と姉がいる。2人とも、祖父を定期的に訪ねていた。そこには祖父への愛情もあったが、進学用願書に記入する材料として始まっていたらしい。2人が大学に進学したため、祖父を見舞うのはリックの番になった。

最初は訪問に気乗り薄だったリックだが、思いがけないことに、祖父レイとは(SFの)テレビ番組シリーズ・ファンという共通点があった。そこで、リックは毎週の訪問を楽しみにし、学校の話もいろいろする。すると祖父は、リックがジェフに嫌われたくなくて無理をしていることを見抜き、本当の親友とはどういうものか考えるように仕向けた。

 リックが悩んでいたことはほかにもある。それは、「人を好きになる」というのがわからないことだ。中学には「レインボーズクラブ」という集まりがあった。そこへ顔をだすようになったリックは、ことばについていろいろ学んでいく。たとえば、人はそれぞれ自分の好きな人称を選べること。(代名詞の’he’や’she’を使いたくない場合は’they’を選べる)。また、リックのようなタイプは、アセクシャルとかアロマンティックと呼べるらしい、と。

 物語には二つの山場がある。ひとつは、(異性装が好きな)クロスドレッサーだった祖父と、仮装して二人でイベントに出かけたこと、もうひとつは、レインボーズクラブがPRと資金集めを兼ねて企画したタレントショーに、リックも土壇場で参加したことだ。それらを契機としてリックは、ゲイやレズビアンに関して偏見があるだけでなく、ほかの面でもひきょうだったり、攻撃的だったりしたジェフとすっぱり縁を切り、新しい親友を得ている。一気に読ませる本だった。 

 演劇を題材にした作品をもうひとつ。神戸遥真(はるま)作、井田千秋・絵『カーテンコールはきみと 演劇はじめました!』(偕成社2023年11月)だ。

 中田律希(りつき)は、1年半前に地域のおまつりで千城中の生徒の演劇を見てからというもの、中学では演劇部に入ると固く決めていた。それなのに、4月の新入生歓迎会での部活動紹介には「演劇部」がなかった。勇気をだしていろいろ聞いて回った結果、部員数の不足で活動停止状態だとわかる。

 律希ががっかりして部室の前で座りこんでいると、同じく入部希望者の矢作夏帆が声をかけてきた。そして律希から事情をきくと、部員を募集するために教室公演形式で2人芝居をしようと提案する。それも、新入生が入部先を決めないうち、つまり4月中に行おうというのだ。それからは急ピッチで準備がはじまった。そして演劇経験があるという夏帆がオスカー・ワイルドの「幸福の王子」を脚色し、あっという間に公演となった。演劇未経験者の律希は、セリフも少ない銅像(王子)の役で、大部分はツバメ役の夏帆が担っていた。ところが大詰めになったとき、事情があって休んでいた2年生部員が「ちょっと待った」と、飛び入り参加。打合せなしの即興劇となった。それにもかかわらず舞台は成功し、入部希望者も確保できた。

彼らは夏に予定されている定期公演では「ブレーメンの音楽隊」を脚色した「夢の舞台はブレーメン」を上演すべく、オーディションや基礎練習に励む……。

 大きなアクシデントもなく、比較的順調に展開していく物語をつうじて作者は律希と夏帆のそれぞれの悩みと、そこからの脱却過程を描いている。この作品の場合も、演劇上演までのプロセスが興味深く、スムーズに読むことができた。

 なお神戸遥真には『ぼくのまつりぬい』井田千秋・絵(偕成社2019年~2021年)という3部作がある。手芸が好きだが、自分らしさを出すことや、他人をそのまま受け入れることに抵抗があった男の子が、それがもとで起こったトラブルを経験し、欠点を克服して、手芸をめぐるイベントにむかうというシリーズ。1冊ずつ学年が進み、登場人物とその悩みも多少入れ替わるのだが、筋の展開はややワンパターンだと感じた。

 以下は不思議な要素が入った作品。

キム・ジュヒョン作、吉原育子訳『時間を焼くパン屋さん』(スケラッコ絵、金の星社2023年7月)は、タイトルからしてとても不思議だった。

家でも学校でもケンカをくり返すいたずらっ子のピーターは、学校でいやなことがあった帰り道、おいしそうな匂いに誘われて一軒のパン屋に入る。そこでは時間をパンに焼くという。時間にはそれぞれ味があり、自分が覚えておきたい時間を、味とかおりと触感でパンに再現するとか。店には「しびれる初ゴールのドーナツ」「歯がぬけた日のコーンスコーン」「血の色の復讐マカロン」などが並んでいた。

これらはオーダーメイドで、それを食べられるのは注文者だけだという。ピーターは、チョコ・クッキーをくれたクラスメートに「いらない」と突き返したが、そのクッキーが、からかわれた彼女をかばったことへの感謝の品だったと知り、もやもやした気持ちになる。さらに、苦くて残酷なつらい時間を忘れまいと復讐マカロンを注文しつづける女の子が気になり、こっそり注文内容を盗み見て、パン屋に出入り禁止を言い渡される。さすがにピーターも、十歳の人生で、あやまりたい人がこれほどたくさんいるとは、と猛反省した。そして、パン屋に謝罪し、自分のカッコいい瞬間ではなく、あやまる気持ち――真心をパンに焼いてもらうことにする。さらに、幸福な瞬間を想像して味わうパンの提案をおこなって、パン屋を喜ばせてもいる。

パン屋によると、こうした変わりパンを焼きはじめたのは、かつて大切な日を写真に撮ったことを思い出したからだという。現代では写真機とフィルムをつかって撮影をおこない、その後現像するプロセスを不思議に思う子どももいることだろう。それを考えれば、このパンも受け入れられるのかもしれない。ただしパンの製造工程にもまして不思議だったのは、パン焼きに欠かせない材料や光熱費といった費用についての言及が一切ないことだ。オーダーメイドといいながら、金銭をやりとりする場面が出てこない。想像の世界のできごとに、合理的説明を求めてはいけないのだろうか。

最後に、今の時期にぴったりの本を。市河宣子、高橋和枝絵『サンタクロースは空飛ぶ宅配便ではありません』(ポプラ社2023年10月)である。

以前、クリスマス時期を扱った本は、12月出版では遅すぎるから、それより前に店頭に並ぶように制作すると聞いたことがある。たしかに、11月末の現在、書店店頭ではすでにクリスマス関連本がかなり目立つ。本書は左開き横書きのお話の本。アドベントカレンダー風というのか、目次ページには小窓風の小さな四角形が15枚並んでいる。このうち、章の内容を示すものが11、残りの4つには主要登場人物たちが顔をのぞかせている。

黒須三太は小学4年生。1年生のとき、ある英語の先生が「ミスター・サンタ・クロス」と呼んだせいで、彼がサンタクロースだという噂が消えない。今年も、1年生からのお願いの手紙が下駄箱に入れられている。同じクラスのたくやの家は、商店街のなかにあるコンビニまる屋だ。去年までは駄菓子屋だったこともあり、三太や和人はいまも足しげくまる屋に出入りする。彼らは、店の奥にある駄菓子屋時代の品物のなかから、「サンタクロース宛」と書かれた木箱をみつける。三太の下駄箱に入れられていたお願いの手紙を何の気なしにその木箱に入れると、一瞬で手紙が消えていった。もしかすると、サンタクロースの本部に届くのだろうか。

この後三太の前に、日本語を話すトナカイのルドルフが現れる。ルドルフによると、本物のサンタクロースがこの100年ほど行方不明になっているため、お願いの手紙を転送した人たちのなかから抽選で、三太が今年のサンタクロースのひとりに指名された。そして自分ルドルフが三太を乗せて飛ぶトナカイだと言う。

それからはつぎつぎに不思議なことが起こる。三太はルドルフと飛行訓練をおこなう一方、まる屋の冷蔵庫にはサンタクロース本部からの品物が届くかと思えば妖精が出入りしする。そして生き物、生もの、願い事の類は受け付けないという。いっぽう、コンビニ本部から来た男の人は、クリスマスにもコンビニ店は休めないし、クリスマスケーキは売っていただくと主張する。その後妖精は、本部の妖精がクリスマス休暇(!)をとるので、1週間前でお願いの手紙の受付を締め切ったと言いに来た。
 三太や和人たちは、律儀にお願いを書いた子どもたちの願いがかなうようにと行動する一方、前のようにクリスマス会を開く。コンビニの偵察にきたらしい本部の人も、町のオアシスとしてコンビニがあることを認め、(まる屋当時の品物が棚に並んでいるといった)余計なことは報告しないと言い置いて帰っていく。そしてクリスマスイブ。本物のサンタクロースがとつぜん現れ、三太たちをのせてそりを走らせてくれる……。

「サンタクロース」とその贈物の配達をめぐって、現代っ子が悩みながらも打開策をさぐるファンタジーまじりのお話。ところどころに機械が発達した現代文明にたいする問題提起めいたものもあるが、夢のあるストーリーとして読んでいるのが楽しかった。

残念ながらもう時間切れだ。触れたい絵本もあったが、それはまた次の機会に。

(2023年11月)


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◆ぼちぼち便り◆ *作品の結末まで書かれています。


今回の読書会は『新装版 車のいろは空のいろ ゆめでもいい』(あまんきみこ/作 黒井健/作 ポプラ社 2022年11月)を取り上げました。


『車のいろは空のいろ』22年ぶりの第4巻です。人間の男の子に化けているつもりのたぬきがタクシーに乗る「きょうの空より青いシャツ」、月の光で人間の子どもに変身したねこの子どもたちと松井さんが夜の公園で出会う「子ぎつねじゃないよ」、赤ちゃんを抱いて喪服姿の女の人がタクシーの中でセーラー服を着た少女とおかあさんに変身する「ゆめでもいい ゆめでなくてもいい」、たぬきの少女がボールを追いかけて松井さんの車にひかれそうになってタクシーのタイヤが溝にはまってしまう「きこえるよ、○」、戦争のために弟のようにかわいがっていた犬と別れなければいけなかった男の子が、松井さんのタクシーに乗って月の原にいる犬に再会する「ジロウをおいかけて・・・・・・」、落とし物の子ぐまのぬいぐるみと再会した男の子とおかあさんがタクシーに乗ってきて、松井さんが子ども時代を思い出す「とにかくよかった」、春を見つけたという連絡があったところへ新聞記者が松井さんのタクシーに乗って取材に行き、そこで新聞記者と松井さんが子ぎつねたちに出会う「春、春、春だよ」の7つの短編集です。


あまんさんは、作品を書く時、何度も声に出して読みながら推敲されています。そのこともあって、あまん作品は、耳できくと味わいが深いので、感想を述べあう前に、みんなのリクエストで「春、春、春だよ」を私が声に出して読みました。そこで、まずは、そのことに対する感想が多く語られました。耳で聞くと心地よい。文字で読むとさっと読んだところが、耳で読むと一つ一つの言葉や情景が立ち上がってくる感じがした。目で読むと余計なことを考えてしまうが、耳で聞くことによって、「いま、ここ」だけの感覚で物語世界を楽しめる。ことばの繰り返しが耳に響く。歌が心に残った。「さっきのほうが、そのままのほうが、ずっといいよ。」(p.110)が耳に響いた。フキノトウがでてきたうれしさが目に浮かんだ。子ぎつねが「はーーっ」としたのは、雪をとかしたのかと思ったら吹き飛ばしていたのが新鮮だった。あまんさんは詩人だと思った。作者のあまんさんが子どものとき病弱で、母や祖父母や二人の叔母からいろいろなお話を耳で経験したこととつながっているように感じた。幼い子どもに、声で体験してほしい、などです。


作品全体に関しては、読後、口角があがる。あたたかい短編集。毛布にくるまってこのお話を聞きながら眠りたい。

しんみりしたもの悲しさをどの作品でも感じる。歌がこぼれてくるような感じがした。子どもなりの論理、ものの見え方に納得し、改めて感じた。子どもも大人もそれぞれの視線で読める。時間や空間をこえて、人も動物もつながっていると感じた。季節が丁寧かつ、おだやかに描写されている。月光浴という言葉が美しいと思った。動物が化けることによって、人間が動物たちのいる自然の世界に出たり入ったりしている。動物たちの姿が変わる不思議が楽しめる。地名が「なの花橋」など、季節感や自然を感じる。作品を読んでいると「あわい」という単語が浮かんだ。西洋のファンタジーとは違う、日本的な感じがする。豊かな世界をゆっくり味わうことができる。作品の底辺に、死や喪失感が流れている。多くの幼年童話と冠される作品は、甘ったるくて優しく、わざとらしいイメージがあるのであまり読まないが、「車のいろは空のいろ」は、作られた感じはするのに、そうは思わない。動物の子どもの擬人化にいやらしさが感じられない、などです。


登場人物について、まず、タクシー運転手の松井さんについては、動物であってもお客に寄り添う姿が特徴的。何があっても過度に驚かない姿に安定を感じる。どんなことが起こってもすべてを受け入れている。松井さんは、毎回、不思議なできごとに新鮮に対応する。これまでの経験から、「また同じことが起こった」とは思わず、毎回、驚いている。松井さんのお客さんとの距離感がいいなと思った。また、お客さんについては、タヌキやキツネが多い、などの指摘がありました。


全体構成については、最初と最後である「きょうの空より青いシャツ」と「春、春、春だよ」と、真ん中の「きこえるよ、○」にくったくのないキツネやタヌキが登場し、それらにはさまれて夢の作品である「ゆめでもいい、ゆめでなくってもいい」と「ジロウをおいかけて・・・・・・」がある。松井さんはそれぞれ、おかあさんと、タロウの夢の中に入っており、この2つの作品に焦点が当たる構成になっていると思った、という指摘がありました。


個別の作品についてもさまざまな感想が出されました。

「きょうの空より青いシャツ」については、松井さんの見えているものと、たぬきの見えているものが違うが、どちらもあっておかしくないと書かれていると思った。子だぬきの言葉と、「いないいないばあ」をして、自分さえ見えていなければ、誰も見えていないと思う自分の幼い孫の論理に共通性を感じた。

 「子ぎつねじゃないよ」では、ミイぼうはうそをつくという姉のことばがユニーク。子ねこが子どもに変わる場面の情景が美しい。子ねこたちが子どもに変身するのが公園がであったので、『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ/作 上野紀子/絵 あかね書房 1982年8月)を思い出して戦争で死んだ子ども、遊べなかった子どもをイメージしてしまった。

 「ゆめでもいい、ゆめでなくてもいい」は、他の作品と異質な感じがした。大人の方が胸にくるのではないかと思った。父の愛情を受けた子どもに育ってほしいという母親の思いが感じられた。未来へ行くというのがこれまでの作品とは違う。赤ちゃんの名前がこなみちゃんで、あまんさんのお母さんの名前が波子さん。つながりを感じた。

 「きこえるよ、○」は、挿絵が好き。車のタイヤをあんよと言う、つまり車も擬人化するところがおもしろく、子どもに共感されるのではないか。

「ジロウをおいかけて・・・・・・」は、作者のしんの強さを感じる。「はじめて、よかったなあのおもいが松井さんのむねにまっすぐおちました。」(p.81)という松井さんの心の中の言葉が心に残った。作者の書いておきたい思いを感じた。

幼年向けに戦争を描くとき、つらい思いも描いているところが意義深いと思った。そして、大人が読んだらわかるところも書かれている。犬との別れという題材は幼い子どもに戦争を伝えやすい。読みながら、うちの犬にも再会したいと思った。戦争のときに小学3、4年生ということは、1936年ぐらい生まれ。作品中の今、50歳ぐらいのおじさんということは、この物語が語られている時間は1980年代ということになる。『天の町やなぎ通り』(黒井健/絵 あかね書房 2007年12月)を思い出した。

 「とにかくよかった」は、松井さんが自分の子ども時代に戻って子どもの自分に再会したとも読める。これまで、不思議に寄り添う松井さんが描かれていたが、松井さん自身がある意味で主人公になった作品として新しい感じがした。

 「春、春、春だよ」は、子きつねが新聞を読んでいるのがおもしろかった、でした。


これまで、北田卓史の挿絵でしたが、今回黒井健が1巻から4巻までを描き直しました。中には、以前の印象が強いという人もいましたが、絵がまろやか。松井さんが若返って見えていい感じ。車が変わったが、どちらもいい、など肯定的な意見が多くありました。


作者の講演会などに参加したことがある人も多く、作家についても語り合いました。お母さんのやさしさが感じられる作品が多いのは、お母さんを早くに亡くしていらっしゃるからだと思う。巻末の「思い出すままに」を読んで 作家の人生経験から物語が紡がれていることがわかり、それゆえに、物語に素直に入っていけることがわかった、などです。


私自身、「春、春、春だよ・・・」を声に出して読んでみて、改めて発見したことが多くありました。歌をはじめとして、リズミカルな文を声に出すことで、からだと心がはずみました。松井さんは、記者を乗せるために、新聞社の前で車を「ぴたり」と止め、おろすときも「ぴたり」と止めます。同じことばが繰り返されることによって、優れた運転手の松井さんがかっこよく感じられました。


そして、この作品が、「新装版 車のいろは空のいろ」シリーズの最後の作品(まだ発行されるかもしれませんが、とりあえず)であることを強く感じました。最後に多くのキツネたちがありのままの姿で出てきて、歌って踊って、春を見つける。自然の変化を楽しみ、生きる喜びが伝わってきて、まるでフィナーレのようだと思いました。また、著者の「思いだすままに」に、「小さいわたしは、白い障子に影絵をうつして遊びました。影絵でつくりやすいのは子狐です。」(p.122)とあるように、作者の子ども時代の遊びとつながりが強い作品という意味でも巻末作品としてふさわしいと思いました。加えて、「かた雪」ではありませんが、森の中でキツネと人間が交流するという意味で、宮沢賢治「雪わたり」との重なりを感じずにはいられませんでした。作品の最後には、松井さんといっしょにキツネたちに出会った新聞記者について、「このとき、お客のぶあついジャケットが、いっしゅん、金茶いろにひかって見えました。」と、新聞記者は実はキツネかもしれないということがほのめかされています。これは、「新装版 車のいろは空のいろ」第一巻「白いぼうし」の最後の作品「ほん日は雪天なり」で、松井さんが自分にしっぽがあるような気がするという場面と呼応しています。どんな存在も許容するとも、誰にも存在の不安があるとも読み取れる終わり方だと思いました。


今年も一年お世話になり、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。(土居安子)


<財団からのお知らせ>

● フォーラム「児童文学とは何かを問い続けて 三宅興子の仕事を顧みる」

三宅興子さん(当財団前理事長、児童文学研究者)の業績を顧みることで、英語圏を軸にした児童文学・児童文化の歴史を振り返り、これからの子どもの本のありようについて考えるフォーラムを開催します。

日 時:12月17日(日)13:00―16:00

会 場:大阪府立中央図書館 多目的室

講 師:多田昌美、藤井佳子、松下宏子

定 員:会場60人(申し込み先着順) 参加費:1000円

主 催:IICLO 後 援:大阪府立中央図書館

詳細・お申し込みは↓

http://www.iiclo.or.jp/03_event/02_lecture/index.html#miyakeforum


〔同時開催〕企画展示「子どもの本のはじまり?三宅興子 英語圏児童文学コ

レクションから?」

会 期:開催中?12月27日(水) 開館時間にご覧いただけます

場 所:大阪府立中央図書館 展示コーナーA・B、国際児童文学館

主 催:大阪府立中央図書館 国際児童文学館 ※IICLO協力

https://www.library.pref.osaka.jp/site/jibunkan/hajimari2023.html


●オンライン講座「2022年に出版された子どもの本から」

2022年に出版された子どもの本約300冊をテーマやジャンル、年齢別に紹介し、現在の子どもの本の傾向について考えます。(約3時間半)

◎講師:土居 安子(当財団総括専門員)

◎視聴期間:7月15日(土)―12月15日(金) ◎視聴料:1000円

※ お申し込み(Peatix)→ https://2022kodomonohon.peatix.com


● 寄付金を募集しています

当財団の運営を応援いただける個人、法人の皆さまからのご寄付を募っています。寄付金は、当財団が行う講座・講演会など、さまざまな事業経費に充てさせていただきます。ぜひ、ご協力いただきますようお願いします。

*年間1万円以上ご寄付いただいた方には、イイクロちゃんグッズをプレゼントしています。

詳細は → http://www.iiclo.or.jp/donation_10th.html


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*以下、ひこです。


【絵本】

『ぬまの100かいだてのいえ』(いわいとしお 偕成社)

 シリーズももう6作目です。

 ぬまですから、階数は下に行くに従って大きくなります。おたまじゃくしのなかで一匹だけ大きなゆずは、ぬまの側にあるまんげつ岩が転がり落ちてくるのに遭遇し、ぬまの底まで100だての家をめぐっていきます。ぬまが大変だ! 縦長見開きをどんどん下って行き、様々な生物と出会い、助けを求めます。この辺りがやっぱりいつも楽しいですね。そうして行き着いた先にいるのは? ゆずは何者? なるほど。

https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033502908


『あめ Rain or Candy?』(二宮由紀子:作 高畠純:絵 理論社)

 ははは。また、二宮さんにやられた。

 日本語の同音異義語を使って、クマとブタで違うドラマを見開きの左右で描きながら、下段で英語を示します。雨はRain、飴はCandyと。そのことで、言葉への興味を湧かせます。絵は最強コンビの高畠さんです。

https://www.rironsha.com/book/20582


『雪の女王』(アンデルセン:原作 南塚直子:文・陶板画 小学館)

 アンデルセンの有名な物語を、南塚が陶板画で描きます。

悪魔が作った魔法の鏡が砕け散り、世界中に不幸がまき散らされ、カイもその欠片が心に突き刺さり雪の女王に連れ去られます。友達のゲルダはカイを救う旅に出るのでますが……。

陶板画の持つ静かな奥行きの深さが、背景の雪の冷たさを一層際立たせ、物語をより豊かにしています。

https://www.shogakukan.co.jp/books/09725240


『くるよくるよ』(丸山誠司 くもん出版)

 画面の奥から何かが来る。伏せたりジャンプしたりして、それを避けるという、能動絵本です。やってくるのは恐竜だの、アルマジロだの色々。

 基本、読み聞かせを前提としていますが、聞いている子どもたちの楽しげに体を動かす様が目に浮かびます。巻末にオリジナル曲の楽譜も付いてます。

https://shop.kumonshuppan.com/view/item/000000003469


『たいふうこぐま』(おくやまゆか ほるぷ出版)

 街のすぐ近くの森に住むこぐまは、せんたくものをぐしゃぐしゃにしたり、釣りの場ケルをけっとばしたり、市場でわめいたり、みんなの厄介者でした。気のいいミックさんの畑のとうもろこしも勝手に食べてしまいます。

 台風が近づき、ミックさんはこぐまに注意したのですが、もちろん聞き入れません。大丈夫だと、川で魚を捕まえようと出かけ大変な目に遭います。

 いつもひとりぼっちで、寂しいから悪さばかりしていたこぐまが、少し心を開くまでを描きます。

 とんでもないこぐまですが、作者の目が温かいので、読者も一緒にこぐまを見守ることが出来ます。

https://www.holp-pub.co.jp/book/b631121.html


『おにのこにこちゃん かえらないったら かえらない!』(原あいみ:え ケロポンズ:ぶん ポプラ社)

 小さな子どもの自我の芽生えを描いてきたシリーズ7作目です。こんかいは、イヤイヤ期のおはなし。

 にこちゃん、おかあさんと公園に遊びに来たのはいいですが、帰ろうと言っても帰らない。イヤイヤと泣きわめくだけ。こまったおかあさん。

 あるあるのシーンですね。現実のあるあるを絵本で読んでもらうことで、自分を見つめるのがいいんですね。

https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/2129007.html


『ぴよぴよ どーこだ?』(accototo:さく ポプラ社)

 かくれているひよこをさがす絵本です。とてもシンプルなので小さな子どもでも大丈夫。

 見つけられたら、うれしいよね。そのうれしさが、次の興味につながります。

https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/2084026.html


『まめさん こめさん おふろのひ!』(キム・ナジン:ぶん チェ・ナミ:え 山口さやか 古川綾子:やく 岩崎書店)

 いんげんまめ、そらまめ、くろまめ、そばのみ、はくまい。くろまい、あわ、みんなお風呂に入る前に体をきれいにします。それから湯船にどぼ~ん! あれ、湯船のはずなのにみんな寒がっている。そのわけは? みんなは、蒸し風呂にはいってポカポカになります。ああ、そうだったのか!

https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b630790.html


『アニカのキノコとり』(アニカ・ヒュエット:原案・絵 いまいずみさちこ:文 「こどものとも 年中向き」11月号 福音館書店)

 家族と初めてキノコとりに出かける5歳のアニカの姿を描いた、スエーデンの絵本です。もちろん毒キノコへの注意は両親が怠りませんが、「初めて」のドキドキ感は、眺めていて本当に楽しいものです。とるのはカンタレーラというキノコ。果たしてアニカは見つけられるのか? カンタレーラは杏茸のことです。クリーム煮にしても、オイルで炒めても美味しい。

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=7168


『ロンドンに建ったガラスの宮殿 最初の万国博覧会』(村上リコ:文 THORES柴本:絵 「たくさんのふしぎ」11月号 福音館書店)

 各国を集めて行う博覧会の始まりは1851年、ロンドンで開かれました。この絵本は、その会場になったクリスタル・パレスの成り立ちが描かれています。おもしろいです。柴本の絵がとってもリアル。単行本化を希望します。

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=7204


『赤いめんどり』(アリソン・アトリー:作 青木由紀子:訳 山内ふじ江:絵 福音館)

 1人暮らしのおばあさんの家に、ある日痩せこけためんどりがあらわれます。おばあさんは家の中に入れてあげて、餌を与えます。すると次の朝、部屋は片付き、暖かく、テーブルの上には卵が一個。こうした、おばあさんと赤いめんどりの相棒としての生活が続いていくのですが、そこに赤いめんどりの飼い主だという人物が現れます。

 おばあさんと赤いめんどりの強い絆がいいですね。アトリーはやっぱり上手い。山内ふじ江が、いい仕事をしています。

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=7280


『みらいってなんだろう?』(ほそかわてんてん 講談社)

 明日が遠足なので、心配なちぃちゃん。おかあさんと一緒に、未来と心配について考えます。「みらいのことを かんがえると 心配になるのは いくつもの すてきな しょうらいを えらぶことができるから」。いいですねえ。いいですねえ。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000381190


『うらがえしサンタ』(苅田澄子:作 高畠那生:絵 佼成出版社)

 実はサンタの衣装はリバーシブルになっていて、裏は黒。ねぼうしたサンタはあわてていて、黒の方を表にして着てしまう。すると性格も変わってしまって、橇の代わりに車に乗るわ、煙突じゃなく玄関から入るわ、プレゼントは適当に配るわ、もう大変。サンタ、ストレスが溜まってたのかしら?

https://books.kosei-shuppan.co.jp/book/b634735.html


『あきの おさんぽ いいもの いくつ?』(おおたぐろ まり:さく 福音館)

 捜し物、数え絵本の幼児向けです。三つ目から、最後の一つがちょっと見つけにくくなっていて、探したり数えたりが楽しくなるように、いい塩梅で作られています。

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=7278


『手ぶくろを買いに』(新美南吉:作 羽尻利門:絵 新日本出版社)

 「ごんぎつね」と共に、南吉童話の代表作。最後の母狐の「ほんとうににんげんはいいものかしら。ほんとうににんげんはいいものかしら」が印象的ですね。羽尻の画は、雪の世界を印象的に描いています。

https://www.shinnihon-net.co.jp/child/product/9784406067676


『カタリン・カリコの物語 ぜったいに あきらめない mRNAワクチンの科学者』

 コロンワクチンを作るためのmRNAワクチンの安定化を実現したカタリン・カリコの伝記絵本です。ハンガリーで生まれた彼女は、母国では十分な研究が出来ず、逃れるようにしてアメリカにたどり着きます。ここでも理解されず、大学を変わったりしますが、「mRNAを構成する4つの部分のうちの1つを別の物質に置きかえることで、ウイルスに打ち勝ったり、病気を治したりできるように体を訓練する」という発想で研究は進み始めます。

http://www.nishimurashoten.co.jp/book/archives/18719


『「はい」「いいえ」ほうこく』(浜田桂子 理論社)

 子どもたちから大人へ、子どもにとっているものは「はい」、いらないものは「いいえ」として報告があります。いい空気、安心できる住まい、自由な服装。たくさんの「はい」が報告されます。戦争、貧困、傷つける言葉は「いいえ」です。

 願いがたくさん詰まっています。

https://www.rironsha.com/book/20583


『かしわばやしの夜』(宮沢賢治:作 中野真典:絵 mikiHOUSE)

 『注文の多い料理店』の中の一作です。清作が柏林で出会った絵描きとの奇妙でおかしなお話。それを、なんと中野さんは立体で作り、ジオラマというか、奥行きを出して、森の風景をとてもリアルに表現されています。「ミキハウスの宮沢賢治の絵本」シリーズももう40冊目です。

https://www.mikihouse.co.jp/products/17-1151-497?variant=43314297667762


『ちいさな木』(角野栄子:文 佐竹美保:絵 偕成社)

 風に吹かれて揺れている小さな木のキッコは、自由を求めて家出をしてきたイヌのゴッチに誘われて旅に出ます。途中、岩のゴロンや、沼のイッテキも合流して、旅は続きます。キッコとゴロンとイッテキは理想の場所を見つけそこに止まりますが、ゴッチだけはまだ旅を続けて行きます。そこがいいですね。

https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033521800


『ぜんぶで10』(せべまさゆき 偕成社)

 色んな生き物が10匹(羽)描かれています。だから数え絵本ではありません。10匹(羽)の中から、指定されたどれかを選ぶのです。10匹(羽)といっても色々だし、けれど似ているところもあるというわけです。

https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784031251907


『さよならプラスチック・ストロー』(ディー・ロミート:文 ズユェ・チェン:絵 千葉茂樹:訳 光村教育図書)

 ストローの、古代シュメール人が使っていた歴史から始まって、何人かの工夫・発明を経て今日に至るまでを、まず描いているのがいいです。そうして生まれた便利さがプラスチックに行き当たり、今日の環境破壊の一つとなっていることの説得力が生まれます。

 とりあえずは、カフェでストローを断るところから始めよう。

https://ehon.mitsumura-kyouiku.co.jp/book/b10040213.html


『世界文字の大図鑑~謎と秘密~』(コンスタンティノフ:文・絵 若松宣子:訳 西村書店)

 約5500年前から人類が使ってきた文字の全体を見渡そうという野心的な図鑑です。といってもコミックとして描かれているので、気軽に読めます。各言語を詳しく解説しているわけではありませんから、深掘りはこの本を読んだ後の読者に任されています。

それにしても、おもしろい。人間はこれほど文字にこだわっているのかと。もちろん、文字を待たない民族も多く存在しますが、国民国家アイデンティティは、文字を持つことでより一層強固になることがわかります。

実に、21世紀に入っても新しい文字は作られているのです。

http://www.nishimurashoten.co.jp/book/archives/18521


『どんぐりたいこ』(ジェリー・マーティン:作 長澤星:絵 すずき出版)

 そういえば、どんぐりの表皮って、たいこの胴に似ています。だからってわけでもないのでしょうけれど、どんぐりたちが陽気にたいこを叩きます。森のどうぶつたちが次々に加わって、それはもう大賑わい。楽しいっていうのは、こういうこと。

https://suzuki-syuppan.com/book/%e3%81%a9%e3%82%93%e3%81%90%e3%82%8a%e3%81%9f%e3%81%84%e3%81%93/


『あける』(はらぺこめがね 佼成出版社)

 『かける』、『あげる』に続く、おいしいもの絵本第三弾。本作は、ふたを開けて、ほわ~んと美味しい匂いが立ち上ってくる料理たち。うな重、丼、鍋。たまりませんね。実際、ふたを開けられた中身の絵は、これでもかと、おいしさを漂わせています。最後がラムネというオチも、裏表紙が缶詰めというのも、いいセンス。

https://books.kosei-shuppan.co.jp/book/b632546.html


『世界でいちばんリクエストのおおいくつ屋さん』(十河孝男、十河ヒロ子:文 本田亮:絵 合同出版)

 手袋作りの会社を経営していた十河さんの元に、幼なじみから、「転びにくいくつをつくってほしい」との依頼が来ます。何故自分が靴を? と思う十河さんですが、たっての頼みに引き受け、介護施設で2年、実に500名の人を観察して何故転びやすいのかを導き出し、転びにくい靴の生産にこぎ着けます。好評を持って迎えられるのですが、もう一点、左右の足のサイズが違って困っている人が一割もいると知り、左右のサイズの違いに対応するシステムも考えます。素晴らしい。

https://www.godo-shuppan.co.jp/book/b630610.html


『どうぞめしあがれ!』(佐野・ブーゼルダ・マリア:原案 松田奈那子:文と絵 ほるぷ出版)

 今の日本では影を潜めてしまいましたが、モロッコではある「おすそわけ」の暖かなお話です。日本人の母親を持つマリアの家に友達のアミンがおすそわけを持ってきます。そして今度の日曜日は、マリアがアミンの家へ日本の唐揚げをおすそわけ。

 人と人との距離の近さが、うらやましいやら、懐かしいやら。

https://www.holp-pub.co.jp/book/b631122.html


『きょうはふっくら にくまんのひ』(メリッサ・イワイ:作 横山和江:訳 偕成社)

 おばあちゃんが肉まんを作るのに、キャベツがないというので、階段を駆け上って別の階のお宅に借りに行くリリ。こちらはこちらで、別の料理の材料が足りないので、おばあちゃんの元へ、という具合に、リリは料理の素材や香辛料を届けるために、あちこちの階のご近所さん中を走り回ります。それが可笑しいし、色んな料理が出てくるのも楽しいです。

 そして出来た料理を持ち寄ってみんなでパーティーをするわけは?

https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033486000


『ほん book』(デイビッド・マイルズ:作 ナタリー・フープス:訳 上田勢子・堀切リエ:訳 子どもの未来社)

 「読書バリアフリー」を頭に置きながら読む必要はありますが、紙本の便利さや優位さを言祝ぐことから始まって、「本」が持つ、物語から調べものまで、その自由度、想像力の許容度の大きさなど、「本」の素晴らしさを歌い上げています。「本」好きにはたまらない一冊。

http://comirai.shop12.makeshop.jp/shopdetail/000000000316/


『ランタンハウス あかりのともる おうち』(エリン・ネプア:さく アダム・トレスト:え 中井はるの:やく 世界文化社)

 家が主人公の絵本です。若い夫婦がやってきて、家をきれいに塗り替えてくれます。やがて二人には女の子が生まれて、大きくなって、結婚し、家を出て行きます。数年して、夫婦の孫がやってくるようになり、それかた、おばあさん一人になり……。そしてまた、新しい家族がやってきます。

 人の時間が流れていく中で、それを優しく見守る家の視点がすてきです

https://www.sekaibunka.com/book/exec/cs/22842.html


『犬ずもう』(最勝寺朋子 めくるむ)

 前書きによると、犬ずもうとは、仲良しワンちゃんがじゃれているのを指します。じゃれてはいるのですが、だんだん真剣になってきて、犬の野生時代の雰囲気が浮かび上がります。最勝寺は、かわいくじゃれる姿からしだいにマジな表情になっていくに従って背景が公園から野原へと変えていくことで、野性味をうまく表現しています。

https://www.mekurumu.co.jp/books/pg5130292.html


『おせちりょうり しゅうくんかぞくの しあわせレシピ』(はまのゆか 光村教育図書)

 「親子で楽しむ食育絵本」3作目です。

 三段重ねのおせちを、簡単レシピで両親に教えてもらいながら作ります。まず三段重ねに入っているおせちを細かくみせてくれますから、それだけで文化に触れることが出来ます。そうしておせち作り。こんな風に家族で作っても楽しいですね。

 年越蕎麦の由来を聞きながら食べて、年が明ければ、お雑煮。各地の違いを描いてあります。東京住まいのしゅうくんたちですので、東京のお雑煮を作ります。

 こうして、季節の食文化を参加型で知ることが出来るのはいいですね。

 あなたも今年は是非、家族で作って下さいな。

https://ehon.mitsumura-kyouiku.co.jp/book/b10040218.html


【児童書】

『G65』(石川宏千花 さ・え・ら書房)

 G65とはブラジャーのサイズのこと。貴和は中学2年生。胸の大きさが悩みです。物理的にそれがしんどいこともあるのでしょうけれど、それより何より、みんなが貴和を胸が大きいという要素でしか見ない、とらえない、評価しないからです。自分はここにいるのに、違うところしか見てもらえないのはキツいです。それが極まったのが、貴和の胸の盗撮事件。幸い犯人の男は捕まるのですが、貴和のダメージは大きく、転校し叔母のとみさんの元で暮らすようになります。

そんな貴和を見守るように、作者は貴和以外の視点を導入します。貴和お気に入りのペパーミントのブラジャーです。自分をペパと呼んでいる「彼女」は貴和の胸のことも、心の中も、周りの状況も一番知っている存在です(貴和がペパを身につけているときだけですが、それ以外のブラのときは報告を受けているようです)。貴和の主観とペパの客観があることで読者は貴和が抱えている悩みや痛みを実感しつつ、自らの問題としても考えることができるのです。

とみさんを見ていて貴和は思います。「自分で自分の悲しい気持ちと折り合いをつけられるようになるのなら」おとなになってもいい、おとなになりたい、と。大人にとってもこれは温かい言葉だし、何より貴和はそういう発見をしたことにホッとします。

物語にはもう一人の胸の大きな子、山田杏とその親友むっちゃんが登場しますが、彼女たちについては読んでのお楽しみ。

https://saela.co.jp/1564-2/


『アナタノキモチ』(安田夏菜 文研出版)

 ひよりの従兄弟のハルは自閉症スペクトラムで、母親が置き捨てにした子どもです。二世帯家族のひより一家と祖父母は、相手の気持ちを読まなく、心の動きがよくわからないハルを受け入れ一緒に暮らします。語り手はひよりと、その祖父の浩之(プロローグとエピローグはハルです)。年齢の違う二人ですから、価値観もまったく違い、それぞれが語る家族の姿は違うし、ハルの扱いも違い、また、ハルが起こす様々な出来事によって、家族の姿が立体的に浮かび上がってくる仕掛けです。一筋縄ではいかない家族の紐帯と思いやる心の温かさを楽しんで下さい。

https://www.shinko-keirin.co.jp/bunken/book/9784580825727/


『図書館がくれた宝物』(ケイト・アルバス 作 櫛田理絵 訳 徳間書店)

 戦時下のロンドン。幼い頃に両親を失い、今、保護者である祖母が亡くなった3兄弟(ウィリアム十二歳、エドマンド十一歳、アンナ九歳)は、後見人がいないため遺産も使えない。ロンドン空襲を避けるため、弁護士は疎開を薦める。身の安産のことはもちろんだが、見知らぬ家庭に預けられるわけだから、もしかしたら3人にとってふさわしい後見人と出会うかも知れないという思惑もある。

 慣れぬ疎開生活、なじめない疎開先。そんな中3人にとってのすくいは、町の図書館だった。

 親との暮らしの記憶が殆どない3人が、理想の親を求め、とはいえ、まだ子どもだから自分たちの思い通りにならないもどかしさのなかで、「家族」を描く、児童文学らしい児童文学。

 イギリスの子どもたちの疎開生活も読みどころ。

https://www.tokuma.jp/book/b630028.html


『フォグ 霧の色をしたオオカミ』(マルタ・パラッツェージ:作 杉本あり:訳 岩崎書店)

 19世紀末ロンドン。ストリートチルドレンのクレイは、仲間とテムズ川の泥をあさりながら生活をしている。ある日、サーカス団がロンドンにやってきて、クレイは檻に囚われた狼が調教師によって悲惨な目に合わせられているのを見、怒りを覚える。彼はその銀色の狼をフォグと名付ける。

 フォグが逃げ出し家畜を襲ったと知った人々は追っ手を差し向ける。クレイはそこに紛れ込んで、フォグを助けようとするのだが……。

 自由への憧憬に満ちた物語です。

https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b630792.html


『文通小説』(眞島めいり 講談社)

ちさとと貴緒は、大親友。だけど2年生の最後の登校日、「あたし、もうすぐ引っ越すんだ」と貴緒はちさとに告げます。ずっと一緒だと思い込んでいたちさとは大ショック。そんなちさとに貴緒は文通を提案します。メールもスマホもある時代に貴緒はあえて文通を選ぶのです。そのことは、離れがたい親友と思っているちさとにとっては辛いことです。

物語はちさとの一人称で、その待ち遠しさや、いらだち、嫉妬までを追っていきます。変わっていっているように見える貴緒。自分はそのままでいて欲しいのに。ちさとはしだいに理解していきます。人を愛すること、信頼すること、そのまま受け入れることを。

 古びない青春小説。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000375383


【その他】

『たちつてと』(内田麟太郎詩集 かみやしん:絵 銀の鈴社)

 いやあ、楽しいです。二つのパートに分かれていて、一つ目が「視覚詩」。これは、色んな記号やマークを使った詩です。例えば、「冒険」と題された詩は、@がaになるまでが「・・」によって表現されています。そうか。@から○を抜け出してaになるのか。後半は「ことば詩」こちらはかみやしんとのコラボです。「ムシ」では、ムシの王様を決めようとみんなが集まってもめていると、そばをマムシが通りかかるといった具合。

https://www.ginsuzu.com/2023/11/16/4187/


【絵本カフェ】

『パッチワーク』(マット・デ・ラ・ペーニャ:文 コリーナ・ルーケン:絵 さくまゆみこ:訳 岩波書店)

 すべての子どもたち一人一人に語りかけるような絵本です。

人にはそれぞれ個性があって、ほかの誰でもない、たった一人の存在として生きています。

そんなことは当たり前だと思われるでしょうけれど、では、どうして我々は、他の誰とも違う人になれるのでしょうか?

「生まれるまえからブルーとつながっていた」という子ども。服もブルーが何より大好き。絵を描くときピンクを使いたくてもためらってしまうほど。だけどこのさき悲しいときも苦しいときもあって、涙がでるときがある。涙はブルーでもピンクでもない。そして大人になったとき、君の好きな色は茶色になっているかもしれないよ。

 「ダンスをするために生まれてきた」とまで言われる子ども。「バレエに、タップダンスに、ヒップホップ」、ダンスであればみんな大好き。だけどそのリズム感は、数を数えることにも向いている。だからダンサーじゃなく、プログラマーになって世界を変えるかもしれないよ。

 こんな風にして六人の個性ある子どもを登場させ、成長していくと、その個性に止まるわけではなく別の好みやスキルへと拡がっていく可能性があることを示唆します。つまり、あなたという存在は、そうした様々な関心のパッチワークによって成り立っていることを。それは一人として同じものはなく、それぞれが生きてきた過程の中で育まれるのです。だからあなたは、ほかの誰でもないあなたなのです。

 子ども一人一人は、様々な可能性、ほかの誰とも代えがたい存在として育っていくものであるすばらしさを、この絵本は伝えてくれます。

 比べなくていいんだよ、自信を持って子どもたち!

https://www.iwanami.co.jp/book/b631505.html



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