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豊後大友家臣団の戦国ネタ

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2022年4月の記事一覧

雄城 治景(おぎ はるかげ)

雄城 治景(おぎ はるかげ)

生誕不明。死没も不明。大友義鑑、義鎮の代の家臣。

加判衆の一人で記載がある。加判衆は大友家の重臣的なポジションですがこの人物記述があまりない。地名から稙田近郊の城主とも、別府の城主とも言われますが確実な記述はありません。まさに小説にするならこの人物の視点から大友家を書くと面白いでしょう。大友義鑑の曾祖父、大友親治(おおとも ちかはる)の諱をいただいていますのでかなりのご高齢と思います。親治が死没

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田北 鑑生(たきた あきなり)

田北 鑑生(たきた あきなり)

生誕不明。死没は1561年。

大友氏の家老である加判衆の田北親員(たきた ちかかず)の子として誕生。

1527年 佐伯惟治の乱の討伐に父とともに参陣、戦功をあげた。

1534年 勢場ヶ原の戦いでは先陣が討ち取られ形勢が不利の中、戦い。杉重信(すぎ しげのぶ)を討ち取り、陶興房(すえ おきふさ)を負傷させる戦功をあげ、大友軍の勝利に貢献した。

二回崩れの変後、大友義鎮の加判衆筆頭として筑前方

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小原 鑑元(おばら あきもと)

小原 鑑元(おばら あきもと)

豊後国の戦国大名・大友氏の家臣である小原右並の子として誕生。初めは大友義鑑に仕え、その偏諱を賜って鑑元と名乗る。小原氏は阿南氏庶流で阿南荘小原(現・大分県由布市)を本貫とする。

1550年の二階崩れの変の際、義鑑の遺書に雄城治景・吉岡長増・田北鑑生・臼杵鑑続・志賀親守と共に連署。以後は、義鑑の子・大友義鎮の加判衆(家老)となる。同年、この大友家の混乱に乗じて隈本城に入った菊池義武を佐伯惟教らと共

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