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2024年5月18日 政治・時事ニュースまとめ ついに議論さえ起こせなくなった日本の政治言論

つばさの党から逮捕者が出ました。ブログには入れ込んだんですが今回の件では次のような議論が抽出できます。

  1. つばさの党(のような人たち)を規制すべき

    1. 規制は事前に明確な基準を提示すべき

      1. 内容は行動に限るべき

      2. 過激な言論は取り締まるべき

    2. 規制は警察が行うべき

      1. 内容は行動に限るべき

      2. 言論も取り締まるべき

  2. そもそも規制すべきではない

もちろん正解はないのでみんなで話し合って妥協点を見出すのが政治であり民主主義です。で、これが決まってから「法律改正」という手段の話が出てくるのが本来なわけなんですよね。

ところが現在の議論を見ていると「こんな厄介な奴らを排除できないとは何事だ」という具体論からは言ってしまっているために、議論を抽象化したうえで構造化するということができなくなってしまっています。

つまり今後不測の事態が起きた時に(この件に限らずですよ)人々がそれに対応できなくなっているということを意味するわけですが「それは危険である」という話はいっさい出てきません。

実際にQuoraでこの話をすると「警察が取り締まるべきだ!」という人がいました。おそらく警察権力がなんでも解決してくれると考えているんだと思うのですが、民主主義の根幹である選挙を警察が管理すべきだという主張が無自覚に行われています。つまり民主主義が何なのか理解できていないわけです。

仮に警察が選挙を管理すべきだと仮定しても「じゃあ江東区全体に警察を配備するんですか?」とか「都知事選だと東京都全体を警察が監視するんですか?」という話になります。お金がいくらあっても足りません。

結果的に「つばさの党みたいな人たちはそうそう多くないだろう」とか「政治に関心を持っている人はそんなに多くないだろうからアメリカみたいなことにはならないだろう」という見込みがあるために、今回の問題はこれで解決しそうですが、議論の構造を見ると「日本の政治もずいぶん危ないところにあるんだなあ」という感想を持ちました。

源流は「朝まで生討論」の田原総一郎さんあたりにあると思うのですが、SNSやYouTubeの登場で「その場で白黒はっきりする課題しか扱わない」ということになってしまっているので、まず課題だけ抽出した上で時間をかけてお話し合いするという機運が失われてしまっているのであろうと感じました。

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