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子供の頃の不思議じゃない体験

最近ふと思い出したどうでも良い話があるので、それについて書く。

みなさん「子供の頃の不思議な体験」ってありますかね。
おれはボチボチあるんだけど、これからするのは「子供の頃の不思議な体験っぽいけど、よく考えると別に不思議ではない体験」の話だ。
「記憶って何なのだろう」というのが話の核心なので、本筋に関係無いところも思い出せる範囲で細かく書いていこうと思う。

小学6年の夏休み、子供たちだけで後楽園ゆうえんちに遊びに行った。1997年。1回目のエアージャムが開催された季節、おれは子供たちだけで遊園地に行っていたのだ。
伯父から無料券をもらえて(福利厚生かなんかだと思う)元々家族で頻繁に行ってたのだけど、そのときは友達を誘って子供たちだけで行ったんだな。
夏休み入る前に何人かに声かけて、親からNGが出るやつとかも居てさ、結局4人で行くことになったんだ。今となっては誰が居たのか明確に思い出すことさえも出来ないんだけど、少なくとも一番仲の良かった親友は参加しなかったんだ。

言い出しっぺは自分だから、チケットの手配だけでなく調べ事も自分がした。ウィンドウズ95に入ってた「駅すぱあと」で乗り換えを調べて、夏休みに入る前にメンバーに待ち合わせ時間を伝えた。
夏休みに入っても約束の日までソワソワしてて、何度も乗り換えを確認したり、各メンバーに電話を入れて「休み前にも言ったけど、〇〇時に武蔵小山の駅ね!」なんて備忘連絡もした。タイミング悪く、参加予定の友人の家族に不幸があって、そいつは一時的に施設に預けられていた。その施設に電話して繋いでもらったのだが、そのときの保留時間がものすごく長かったことさえも覚えている。

繰り返し見る悪夢

「子供だけで電車に乗って遊園地に行く」
小学生にはちょっとした冒険だ。そしておれは心配性だ。計画が失敗する夢を繰り返し見た。4人で集まって無事水道橋駅まで着くのだが、街全体がシーンとしてて天気もどんよりしてる。薄暗い雰囲気の中、駅から後楽園ゆうえんちまで歩くのだが、その日に限って臨時休園なのだ。閉ざされた門の前で立ち尽くす4人。そして友人からの無言の圧。

「お前が行こうって言ったんだからな・・・」

いざ当日

ドンチャック

※画像は後楽園ゆうえんち公式キャラクターのドンチャック。

で、実際は無事に当日を迎えまして。武蔵小山駅で集合して東急目蒲線で目黒駅、山手線に乗り換えて代々木駅、総武線に乗り換えて水道橋駅。
入園して色々なアトラクションに乗った。タワーハッカー、ウルトラツイスター、フライングカーペット、レインボー、スカイフラワー(←これだけは現存してる。見た目ファンシーなのに凄まじく怖い。)
親と行ってたときはビビって乗れなかった絶叫系も、子供だけで行くと独特のグルーヴが生まれてガンガン攻められた。次はあれ行こうぜ!これもう一回乗ろうぜ!なんて言って。
もちろん戦隊物のヒーローショウも見た。「後楽園ゆうえんちで僕と握手!」のアレだ。
幼稚園の頃にハマったものの、小学校入学と共に見なくなった戦隊ヒーロー。それが「いやいや子供向けとか言ってるけど今見ると一周回って面白いから!」なんていう大人ぶってるのか子供ぶってるのか分からない理由で第二期ブームだったのだ。
ショウの整理券を入園早々ゲットして、固い椅子に座って見たんだ。今でも思い出せる、レッドがジェットコースターに立ち乗りして現れること、みんなで大きな声を出してヒーローを呼ぶこと、そのとき友人が「いやぁやっぱ子供向けだねぇ・・・!」みたいな大人びた顔してこっちに笑顔を向けてきたこと。

事件発生

ハサミ

そんなこんな、楽しみ切った我らは夕方くらいに退園したのだが、帰りの電車で事件が起きた。同じ車両に乗っていた男が突如取り押さえられたのだ!
複数の男に羽交い締めにされたその男は、弱々しい声で「何もしてねぇよ・・・何もしてねぇよ・・・」と繰り返していた。何やらその男は、車内に居た女性の服をハサミで切ろうとしていたようだ。どういう意図かは不明だが、おそらく勃起の一種だろう。

危険な場面だ。刃物がそこにあるし、展開次第では我々も襲われかねない。しかし遊園地直後のハイな我々は「おっ、なんか始まったぞ・・・!」くらいのテンションだったのだ。
一人だけ冷静な友人が居て「おい、車両移るぞ!」と言われて「あ、これヤバイやつだね」と認識した直後、次の駅に到着して男は連行されていった。
衝撃的な場面を目撃した我々は一時的に盛り下がったものの、そこはさすが小学生、目黒駅に着く頃には「何もしてねぇよ!何もしてねぇよ!」を連呼して爆笑するくらいにはコロコロコミックだったのである。

夏休み明けに小学校に行くと、話題はそれで持ち切りだった。もちろんおれも武勇伝を語るように皆に話した。
ヤバい場面に出くわしたおれら凄い、そもそも子供だけで遊園地に行ったおれら大人、そんな優越感に浸るには十分過ぎる出来事だったし、もちろん「何もしてねぇよ!何もしてねぇよ!」はローカルギャグとして定着した。

数年後、親友の虚言

時は流れて中学生になった我々は、過去の思い出話としてその事件を語っていた。中学校には別の小学校出身の連中も居たので、新鮮な話題として再燃したのだ。
「あれはヤバかった!」なんて話してると、先述の親友(一緒に後楽園ゆうえんちに"行かなかった"親友)が「ほんと、あれはヤバかったよな!」と言ったのだ。
人間は他人の経験を自分の経験のように語ることがある。しかしそれはあくまで当事者がそこに居ない場合に限られる。そのときは目の前におれという当事者が居るにも関わらず、そいつは自分の経験として「あれはヤバかった!」と言ったのだ。増してや、その親友は虚言癖があったりイキったりするタイプでは無い。
これはおそらく、繰り返しエピソードとして聞いている内にその体験が脳に染みつき、自分の経験として認知してしまった、ということなのだろう。
確かに何をするのも一緒だったから、おれが遊園地に行ってるのにそいつが居ないってのも妙な話なのだ。
でもこれは間違いない。あいつはあの場には居なかった。

記憶とは何か

さて、ここまで書いて「まぁよく細かいことまで覚えているもんだな」と自分でも驚くのだけど、これらの記憶が本当に起きた出来事なのか、はたまた親友と同じような「本当に起きた出来事として脳に保存されてる記憶的な何か」なのかを確かめる方法が無い。
その日の映像をYouTubeで見ることも出来ないし、魔法のiらんどの日記に事細かく書いてあるわけでも無い。
もしかしたら、本当は親友も一緒に遊園地に行っていたかもしれないし、もしかしたら、そもそもおれは遊園地になんて行ってないのかも知れない。97年じゃなくて96年だったかも知れない。なんにせよ20年以上前の記憶だ。そりゃ鮮度も下がってくる。
確かめようがない。所詮は真実なんて「どれだけ多くの人がその出来事を信じているか」の割合でしかないのだ。そしておそらく、当時の友人たちもそんな出来事は忘れてしまっているだろう。

ここからが一番大事な話。
ここに書いた色々な出来事、色々な場面。どれが一番鮮明な記憶かというと、臨時休園の門の前で立ち尽くすシーンなのだ。

「お前が行こうって言ったんだからな・・・」


これは絶対、実際には起きていない。単なる繰り返し見た悪夢だ。なのにこのシーンが一番鮮明な記憶として頭の中にあるのだ。

悲しい話だと思いませんか?

おまけ

アメリカ出身の方が90年代に東京を歩き回って撮影した映像、ってのがYouTubeにあって、それに後楽園ゆうえんち編がある。
自分の記憶の中にしか無い気さえしていた様々なアトラクションが映像として残っていて、多少なりとも答え合わせが出来る。これ後楽園ゆうえんち編以外もすごい面白いので暇で暇でしょうがないときに見ると良いです。

おわり。

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