ミシュラン三つ星レストランへの挑戦 vol.11
東京・白金のフレンチレストラン「ラ クレリエール」のオーナーシェフ、柴田が日々、何を考えているかを綴ります。
第三章 「料理長」を見据えて
vol.1からご覧いただく場合、あるいは章ごとにご覧いただく場合はコチラからどうぞ
→ 第一章 レストランのシェフになる
→ 第二章 プロの世界へ
11.帰国後も、修業は続く
2007年5月、パリのル・グラン・ヴェフールでの修業を終え、日本に帰国しました。帰る前に1日だけブルゴーニュに行きました。オステルリー・ビュー・ムーランにお礼を伝えたかったのです。当時一緒に働いていたスタッフは皆、他の店に移っていましたが、シェフはとても喜んでくれて、僕がまだ行ってなかったロマネ・コンティの畑に連れて行ってくれたり一緒にレストランで食事してくれたりしました。
僕にとって働きたい店
フランスでは様々な経験をし、料理人として多くのことを学ぶことができました。と同時に、「レストランのシェフ(料理長)になる」ためには、まだ足りないことも分かっていました。だから帰国後は、それらを学び、身につけられる店で働きたい。
そう考えた僕が一番に挙げたのが、「築地市場に自ら仕入れに行っているシェフの店」でした。
フランスでは、地方ごとにその土地の食材を使った料理がありレストランがある。東京でレストランを持ちシェフをするならば、東京の食材を知らなければならないと思ったのです。
最初に履歴書を送った北島素幸シェフの北島亭は「いまは中途採用していない」と断れてしまい、岸本直人シェフのランベリーに送りました。そして労働条件などは帰国後の面接で詰めるということで話が決まりました。
“新世界”だったランベリー
ランベリーでは、後日副料理長になる前提で前菜のシェフ・ド・パルティとしてスタートしました。そして働き始めた感想は、「めちゃめちゃ違う!」でした。
料理では、先ず、お客様のために何を最優先するかが違います。それまで働いた店では注文を受けてから素早く料理をお客様に届けるため、野菜は茹でて下味をつけておくなどの仕込みをしっかりしておいて、注文を受けたら最後の仕上げをしてすぐに出せるようにしていました。一方のランベリーはア・ラ・ミニッツの料理。お客様に一番美味しい状態で料理を届けるため、野菜は切っておくだけで、調理は注文が入ってから一気に最後まで仕上げます。
メニューへの考え方も違います。例えば、モナリザではメニューにヒラメが載っていたら、必ずヒラメの料理を出す。たとえ市場から届いたヒラメが想定より小さかったり大きかったりしても切り方を工夫するなどして、料理として完成させてお出しする。でもランベリーでは最上級のヒラメがなかったらヒラメ料理は出さない。その代わり、その日市場から仕入れた最上級の魚を出すのです。特に岸本シェフにありがちだったのが「市場で最高の●●を見つけたから▲▲の代わりに●●にしよう!」というパターン。ハマグリの前菜の仕込みをしていたら、市場から帰ってきたシェフの「良いカミナリイカがあったからハマグリなし!」という一声で急遽変更。カミナリイカの前菜を試作なしでシェフの傾向から予想して準備する。そんなこともしょっちゅうでした。その場合、ハマグリは賄い行きです(笑)
日が浅くて予想もできない頃はスーシェフたちが助けてくれました。「イカの時はレモンやライムを使うことが多いから準備しておいた方が良いよ」とか。
当時、厨房はシェフ以下スーシェフ2人、スタッフ5人という体制でした。サービスも含めて人材は粒ぞろいで、今も第一線で活躍している方が多く、連絡を取り合っている人もいます。
「料理が出来る」とは?
アミューズやランチの前菜では自分で考えた料理も出していました。その中で、何度「自分は料理が出来ない」と思ったことか・・・。料理の技術も経験もある。そこそこの料理は出来ているはず。でもシェフからOKが出ないのです。
今思うと、ドレッサージュひとつとっても完成度が低かったのですが(笑)、一番の問題は「ランベリーの料理になっていない」ということでした。
24歳の時にモナリザの河野シェフから「いずれ自分で作るようになるから、今から考えておけ」と言われて以来、ずっとノートに書き貯めていたのでアイデアはたくさんある。しかしそれはモナリザの料理の延長であって、ランベリーの料理ではない。さっきお話したように、モナリザとランベリーでは料理の方向性が全く違うのです。自分の中で自分なりに消化して、その店にとって最善の料理を出さないといけない。「自分の料理」に向き合うこと、そしてその重要性に初めて気づかされました。
そういえば、今でも忘れられないのですが、シェフからOKをもらって水ダコのアミューズを出したことがあったんです。自分の中でも「出来た!」と手ごたえがあったのに、口コミサイトでの評判はイマイチ。特に悪く書かれた訳ではないのですが、他の料理が長文で絶賛されている中で「水ダコは今一つだった」とサラっと一言だけ。翌日にはメニューから外されていました。
教えられた料理は上手に出来る。出来上がりを見て「歴代のスタッフが作った中で一番きれいだ」とも言ってもらえる。そうなるように人一倍がんばって努力してきたし、料理技術では負けないと思っていました。自分は料理が出来ると思っていたけれど、「自分の料理」は出来ていなかった。
いま思えば、全く違う能力なので経験も乏しい中で出来ないのも仕方ないのですが、当時は本当に「ダメだ」と思いました。
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このnoteを初めて読んでくださった方へ
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はじめに初めまして。ラ クレリエールの柴田です。
白金でフレンチレストランのオーナーシェフをしています。
2020年のコロナ自粛の間、レストランのあり方や自分が今後進むべき道など色々と考えました。その中で「ミシュランで三つ星を獲得すること」を一つの指標として強く意識するようになりました。
そして、どのようにすれば三つ星を獲得できるのか、三つ星にふさわしいと皆様から認めていただけるのか、日々、考えたことや行動したことを記録に残そうと考えました。
ご興味を持っていただけたら幸いです。
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