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原子心母

よく 学生時代 プログレ、プログレと 友達に言われて 「何だそりゃ 辞書か」 と 言い返したことがあった。 その友達とよく中古レコード屋に行った。 私は当時 ヘビーメタルが好きで かっこいいものが好きだった。 友達が この ピンクフロイドのアルバムを 手に取って 買った時 こいつ おかしいんじゃないかと しみじみと思った。 牛のジャケットなんかありえへん 、少しも かっこよくない センス悪いと 小声で言った。
友達と2人で聞くと 、とにかく暗かった曲調が暗かった。 なんじゃこりゃ長いし 歌 ないし こんな用 買うなと しみじみと思った。

コロナ 禍で 家にいる時間が長くなった時 サブスクなんかで 昔聞いてた曲を 流しながら仕事をしていた。 このピンク ロイドのジャケット 見た時 なんだか 今の世相を見てて この曲を マッチしてるんじゃないかと思って 聞いた。 もう30年ぶりぐらいに聞いたが なんか年を取ったのか 今は違和感がなく すごい曲だなあと思った 。 1970年10月5日 発売のこのアルバム 。 1970年というのは ビートルズが解散したし 、ジミヘンドリックスが死んだし、 ジャニスジョプリンが死んだ。1970年は、 前年の ウッドストックで なんか燃え尽きたような そんな 感じがする。 だから私は ロックミュージックの 分岐点は 1970年と思う。 何かが変わった。 ピンクフロイドにしても どんどんどんどん 変わっていくような そんな分岐点のアルバムだったと思う。 この題名も たまたま 偶然だったらしい。 Wikipedia によると 当時 56歳の未亡人が原子力電池で発電する ペースメーカーの埋め込みに成功したという記事 たまたま これが メンバーの目に止まり その場で 命名されたという。 私は なんか ロックミュージックの奥行きが 深まったような気がした。 でも B 面はあまりよく聞いていない。

当時の設備でライブでやってるというの がすごい。

もちろん ジャズのスタンダードのように 名曲は こういった オーケストラでも演奏されてるんですね。

この日本の バンド 、ピンクフロイド リスペクトのバンドで、 生で見てみたいと思いつつも なかなか チケットが取れない。 いつかは 見てみたいと思う今日この頃。

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