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60歳リフレクションその5(田舎)

義父の法事のため岩手県一関市に行ってきました。僕が中学生の時に初めて買ったレコードがNSPの夕暮れ時は淋しそうで、この3人組の出身地が岩手県一関市でした。

ポッポポポ〜 ピィ〜ヒョロロロロ〜(聞けばわかります)
田舎の堤防夕暮れ時に ぼんやりベンチに座るのか
散歩するのもいいけれど よりそう人が欲しいもの

僕が初めて訪れた30年以上前から一関は田舎でした。歌詞の通りに。
でも僕は、歌詞の中の風景そのものに感動し一関に親戚ができることを運命のように感じてもいました。
とはいえ若者には「田舎」は耐え難いものであるらしく、奥さんは高校を出ると光速で東京の大学に進学し、東京で結婚し故郷にUターンすることはありませんでした。義母は娘を地元の郵便局職員と結婚させる計画だったらしく、僕との結婚は心底ガックシしてヒザからワナワナと崩れ落ちたことでしょう。ガックシヒザワナですね。

先日、宮城出身の大学4年生と秋田出身の大学4年生と話す機会がありました。二人は高校を卒業すると関東圏の大学に進学し来年度は東京で就職します。二人は共通して東北にコンプレックスを感じていたと言いました。
え、この平成の時代に?ネットネイティブなのに?とか思いました。僕も、関西圏で高校を卒業すると1秒でも早く東京に行きたかったので気持ちがわからないでもないのですが、でもそれは昭和の話。ポパイの出版社に憧れ、ビートたけしのオールナイトニッポンを雑音だらけのAMで聞くたびに東京にいないことに焦りを感じていました。東京にしかいない情報がたくさんありました。そうか、令和でもそうなんだな。

一関駅に程近い居酒屋で夕食を食べたのだけど(めちゃ美味かったし繁盛していた)その行き帰りの道は午後8時くらいだというのにひっそりとしていました。うん、僕でも光速で東京行くな、と思いました。

さて、結婚をして子供が小学生の頃。毎年のように奥さんと長男は一関の義父の家で過ごしていました。たまに携帯の写メで送られてくる写真の長男はそれはそれは楽しそうで「典型的な小学生の夏休み」を満喫しているようでした。野球帽、虫取り網、半袖、マックロケといった、アニメの田舎の少年そのものでした。義父はサラリーマンでしたが近くで家庭農園をやっており、トマトやきゅうりが立派に実っていてそれをその場でガブリとたべるという夏休みを過ごしていました。「典型的な」と書きましたが、実際は当時でもレアな小学生だったのかもしれません。その写真を思い出すと今でもニヤニヤしてしまう。

で、この話を学生2人にしようと思いましたがやめました。

将来、子供ができて夏休みを過ごす頃になると、田舎に故郷があるって素晴らしいんだよ。実は僕のね・・・・。

長男にとっては素晴らしい体験(たった1週間だ)だし僕も微笑ましく思ったのだけど、奥さんにとっては素晴らしい風景かどうかはわかりません。
やれやれな、毎年の、つまらない、退屈な夏休みの風景かもしれない。
それに・・。
将来子供ができてって、それ、決めつけていいんですか?子供がいるって幸せですか?その風景が幸せって決めつけ、よくないんじゃあ〜りませんか?と自分に問いはじめてしまったのでした。

僕がそう思うのはいい。だけど、そういう幸せがあるから都会で頑張れ、と言うのは「大きなお世話」かもしれないですね。ま、頑張れなんて言わないけどそう受け止められる。

ここに書いてみてわかったのは、これはおじさんの思い出話にホカならんですね。思い出話を押し付けられて「頑張れ」と言われても知るかって思うよね。そんな先のこと知るかっです。
よくよく考えると、22歳の僕は60歳のジジイの言うことなんか絶対に信じない。まともに聞かない。
ま、それはそれで良いこともあるが、聞いときゃよかったなあということもある。聞いときゃよかったなあということは伝えてあげたいなあとは思うのですが、言ったところで、かもしれないですね。
22歳の頃の僕には伝わらんな、だって聞く耳持ってないんだもん。
でもね、少なくとも、ちゃんと聞いとけ。判断はそれからだ、と言ってやりたい。まあ、そう言われたところで、聞かないな当時の僕は。アホ。そのアホにも伝わるようにしないとなあとは思います。やっぱり大きなお世話か。



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