見出し画像

60歳リフレクションその2

長い間生きていると経験が積み重なりますね。生きているだけで努力などしていませんね。な〜んにも努力しなくてもテフロンのフライパンの寿命などが予測できてしまします。偉くもなんともない。

ところが、これをSNSで発表(そんなおおげさなものでもないけども)すると自慢話と捉えられかねないですね。注意が必要ですね。

少し前フェイスブックで知り合いが、ダイソンのことを書いていました。ダイソンっていいですよね、数年前から僕も使っています的な文章でした。これを、「また自慢ですか」と一瞬で切り味鋭く切り捨てられていました。ダイソンのことを書いただけで、この人は、なんで俺が批判されないといけないのだと思ったと思います。

でもね、問題は、「また自慢ですか」の「また」の部分です。この「また」に自覚的でない。僕は切り捨てた方の気持ちがよくわかっていて。そう、この知り合いは自慢のクセが強いのです。自慢の内容は外見の若さとか過去の経歴とかまあよくありがちといえばありがちな、他愛もないといえば他愛もない、飯島愛といえば飯島愛。
ただ、本人は、まったく自覚がない。悪い人ではない。でも、一緒に飲みたくない。疎遠にしました。

「また」には気をつけないといけません。
でも、「テフロンのフライパンって消耗品だよね、安いの買ってどんどん変えて使うか、それか、ほんとに高いのを丁寧に使うかだよね」とかすぐ言ってしまいそうだな。
これは自慢だろうか?アドバイスだろうか?受けとめる側の問題か?ハラスメントと同じ構造か?ある程度自慢になるのはしょうがないが、何%自慢成分が入っているか注意が必要です。僕はユニクロより無印が好き。これは自慢だろうか?自慢成分は20%くらいはあるかな。チッサイのぉ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?