「ちはやふる」の映画3本をアマプラで見て、41巻以降未読のままだったコミックを1巻から全部読み返した
正確に言うと、映画「ちはやふる 上の句」「下の句」は公開当時映画館で見たのだが、「結び」は何故か未見のまま放置していた。アニメは未見、コミックは40巻までは読んで、その後も全巻購入したが名人・クイーン戦に入る辺りで心情的に読めなくなって(この物語が終わるのが惜しくて?)ラストまでは読んでいなかった。
しかし続編が始まり、2巻には千早たちOBOGも登場すると知って、今も物語が続いていると知って嬉しくなり、追いつこうと決めた次第(^^;)というわけでリアタイファンにはいまさらとは思うが「ちはやふる」である!
映画「結び」で納得したのが、太一にフォーカスを当てて、映画オリジナルの展開として全国大会に太一が電撃復帰(どこから袴持ってきたんだ!?というツッコミはなしで(笑))し優勝するまでを、周防名人との絡みまで含めてちゃんと映画の尺の中で収めたことにある。映画 3本で終わるとするならこういう展開しかなかったのでは?と思えるくらい、監督のエピソードの取捨選択と対戦相手と試合結果(ラストに運命戦を絡める!)の選択、映画オリジナルの結末への運びに原作愛を感じる素晴らしい出来だったと思う。そういった総合的にバランスが取れていたなかでも、自分にとっては「結び」は太一の映画だったと言える。
一方コミックでは、太一は最後の全国大会に観客として現れるにとどまり、瑞沢高校は(3位決定戦で新の藤岡東高に全勝したが)3位で終わる。3年生のかるた部生活はここで終わりになるはずなのに、千早と太一は受験を控えながら名人・クイーンに挑み、というあたりから怒涛のクライマックスへと向かっていく。
コミックでもやはり自分が惹きつけられてしまうのは、イケメンで何でもできてしまうエリート高校生なのに、千早に振られて学年1位を守れず、親との約束通りかるた部を退部してなお、自分が競技かるたを続ける意味に苦悩し、新に、周防名人に挑むため?(本心でそうしたいのか、読みかえしてもよくわからなかった)どんどん自分を追い込んでいく太一の姿だった。
自分がコミックを途中から読み進められなくなったのも、名人戦の予選、太一vs新で太一が敗退し、千早と新がクイーン&名人に挑戦と決まったあたりで、なんかちょっと太一だけカワイソすぎじゃね?と思ってしまったのだ(オタクがイケメンに思い入れちゃうなんて本来ありえないのだが!)。コミック29巻第149首での太一母の印象的なセリフ「本当に…太一はどうしてかるた部を辞めたんでしょう…?」前後から、自分が本当に何をしたいのか太一自身も手探りと読めて、迷走なのか何を考えているのかわからない。作者としては最後の最後でどんでん返しするつもりで、それまで粘り強く低空飛行させる計画だったのかもしれないが、クライマックスの名人・クイーン戦の会場に仕込みを企んで現れても、観客としての自分の居場所はないからと帰ろうとする、プライドと傷心と暗中模索の報われなさが痛々しい。
でもそこが良い!
太一の心情に想いを寄せて自分もグサグサ来ている後輩の菫もキャラがうまく配されていて(コミック20巻第108首で名人戦の予選会場に割り込もうとする太一母に「先輩は、自分になりたくてがんばっているんです!」と立ちはだかる一途な姿が泣けた!)物語に参加したい観客・読者の身代わりになってくれる。これを設計して描いた作者って本当に大物だ!
コミックも映画も、チームちはやふるの3人が成長するに連れてそれぞれが苦悩する姿が描かれて、それを愚直に突破していく姿に我々は感動してしまうのだろう。特にコミックでは、周防名人と詩暢クイーンや対戦相手、後輩たち、母親たち、教師たち、読手たちに至るまで、膨大な人々の背景や苦悩が描かれていて、まさに大河ドラマと言える骨太な流れの絡み合いや捌き方が見事だった。
個人的に印象に残ったのは、ラスト近くで突然登場した九頭竜読手の過去の回想と、試合待ちで寒さに震える姿から、試合での凛とした姿で歌を響かせる様子がとても心がなごんた。90分間 1人で歌を響かせ続けるって、オペラで言えば一幕ずっと 1人で歌い続けるようなものだから、とんでもなく重労働なのでは?それを可能とさせるものは、かつての名人やクイーンはじめとする人々の競技かるたへの愛、伝統への敬意、伝承の石杖となることの重みを感じられて、膨大な人々の想いが積み重なって今日もこの競技が繁栄(この作品の貢献も実際に大きいだろう)しているのだと実感した。
それにしても過去のクイーンや大クイーンが、クイーン挑戦者に協力して稽古つけてあげるなんてことが、本当にあったのだろうか?単なる創作と思えないので、実際にあったの?
こういった膨大な脇道の絡み合いが、物語終盤での説得力につながるのが50巻という大作コミックの醍醐味で、作者の物語の采配はいくら褒め称えても足りないくらいだ。と同時に、この物語のすべてを実写化するとしたら、5クールくらいかけないと困難だろうし、映画と同じクオリティでドラマ化するのはハードルが高すぎるだろう。ここは映画とコミックがそれぞれに独自のクオリティを誇っている実例として評価したい。要するに、どちらも堪能する価値があるよ!とお勧めしたい!!!
というところで映画の話に戻ると、「下の句」はクイーン詩暢役の松岡茉優の独壇場、「結び」は太一の野村周平と周防名人の賀来賢人が光った映画だった。そうは言っても、主人公の千早の若々しさとまっすぐな無鉄砲さと美しさの絶妙なバランスを表現しきった広瀬すずは 3本とも素晴らしかったと総括しよう。それにしても3本の映画に登場した、今では実力派と呼び声の高い俳優たちの若き日の瑞々しい姿が集結しているのを見ると、奇跡のような配役が本当にお見事。
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