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宇多田ヒカルとエヴァンゲリオン

宇多田ヒカルがエヴァに「どハマり」しているらしい、というのはTVシリーズが終わって、旧劇場版も終わった頃に耳にした噂だっただろうか?

その後自分の中のエヴァブームも一段落した頃、新劇場版が制作されることになり、久々にアニメでも見てみよかと思い、それでもDVDになってから「序」をレンタルで見て、ラストで宇多田ヒカルの歌声が聞こえてきた時、

「あ、ホントにファンだったんだ」

と思い出したくらいでさほど気にしてはいなかったのが、なにか引っかかるものがあった。

「この子、単なるファンで済まされないくらい、ハマっているですまされないくらい、エヴァに何かを掴まれているんじゃないの?」

心配というのはおかしいけど、TVシリーズの頃、すでにアニメを見なくなっていたはずの自分がドハマりしたのは

「心臓をギュッと掴まれている」

ような切迫感があって、何度も見ずにいられなくなったのだ。夜中に不意に
気になって見返したりすることすらあった。それがなぜだったのかは未だに正解と呼べるものにたどり着いていないけれど、最初のTVシリーズの当時から、このアニメに潜む何かが自分の中の無意識の「何モノか」を強烈に呼び覚まして暴れている自覚はあった。面白いとかカッコイイとか感動とかいったもので表現できない、「凶暴な何か」がエヴァに呼び覚まされて暴れたがっている、泣きたがっている、自分の殻を内カラ破壊したがっている!

良い歳をした中年男性がエヴァにハマった理由とはこんなようなものだったのだ。


「序」のラストで宇多田ヒカルの歌声が響いた時の感情は、「すごい!ぴったりだ!」という感動にとどまらず、

「この娘もエヴァに心臓をギュッと掴まれているんじゃないの??」

というべき、心配とも連帯感とも共感とも似つかないもやもやした感情だった。

 つい最近になってから、2006年当時、宇多田ヒカルのエヴァに関するインタビューが庵野監督の目に止まり、ここまで理解してもらえているのならと主題歌のオファーがあったという情報をみつけ、ようやくその記事の引用をネットで見つけだし、やっぱりと納得がいった。

インタビュアー:最も印象的なシーンは?
宇多田:シンジ君がクラスメート2人をエントリープラグの中に招き入れて使徒と戦う第参話の『鳴らない、電話』かな? 活動限界ギリギリで絶叫しながら使徒を倒すでしょ? 私も『うわぁぁぁぁ』って泣いちゃって(笑)

インタビュアー:感情移入しまくりですね。
宇多田:エヴァに乗ることって生きることだと思う。細かく言っちゃえば、仕事をすることだったりね。こんなに辛いのに何で私は仕事をしているのだろうとか。結果的には自分で選んだことなのに。辞めたい、とデビューした頃とか思ってて……。あのナイフで使徒を刺しているシーンに私が抱くすべてが集約されていたというか。『うわぁぁぁ』でしか表現できない気持ちを感じちゃったんです、あのシーンから。

インタビュアー:エヴァには感情を揺さぶられる、と?
宇多田:まともに見れない。泣いちゃう。あまりに自分と重なり合う部分が多くて”精神汚染”されてしまう(笑)

週刊プレイボーイ」2006.6.5(Vol.23)号の特集記事「エヴァンゲリオン10年目の真実」より

ファーストアルバムを700万枚売り上げたスーパー歌姫も、あの若さで大人の世界に飛びこんで(無理やり連れて行かれた?かどうかは知らない)、辛いと思わなかったはずがないのだ。まさに父親の命令でエヴァに無理やり乗せられて「人類のために戦え」と命令されるシンジ君に共感しないはずがないではないか!

そして時期的にも、宇多田ヒカルがデビューした1998年は旧劇場版『Air/まごころを、君に』公開の翌年、社会現象としての「お隣さん」だったのだ。

インタビュアー:具体的にどこが重なり合うんでしょう?
宇多田:いつも”逃げたい”という気持ちとか、ね(笑)。私はずっと自分がこの世界にいないような気がしていた。消えたいとかって。15歳でデビューして、有名になって、自分が望んでいないものがポンと入ってきちゃって。周りからは『幸運』みたいな言い方をされるけど――私からするとこんな十字架みたいな役目なんかいらない――そう思っていた部分があって、普通に大学に行って、会社に入ってとか、ね。今は自分の環境とか仕事とか立場とか全部に対して和解したけど。

今、実際、起きている世界でいいじゃんって。仕事を辞めても私は私だし、と考えたら、いろんな未来が見えてきて、いろんな可能性があった。気が楽になって。シンジ君が好きというか自分自身に近いから彼には共感できるのかも。

同上

ここに、そんな「物語に入り込んで泣いてしまう」時期から脱した、文字通り「十字架から脱した」彼女の成長を感じて、オジさんは嬉し涙が出てしまうのである。

自分ははたしてそうやって社会と、世界と和解できたのだろうか?
心臓をギュッと掴まれる、あの息ができなくて暴走しそうな感覚は本当に無くなったのか?無意識の底に眠っているだけではないのか?


ネットでいろんな情報を見ているうちに、別の情報にも気がついた。

庵野監督が「Q」を制作している最中、東日本大震災の影響を受けて内容を「相当ガラリと」変更したというもの。そして無期限活動休止中にもかかわらず曲を引き受けた宇多田ヒカルに庵野氏が伝えたという内容。

”監督から曲の依頼を受けた時に言われた「もしも表現者であるならばこの震災から目を背けて作品を作ることは決してできない」という言葉に共感し、引き受けた”

「Q」が公開された当時、そのあまりに斜め上すぎる展開に多くのファンが驚き、しかしなかには「これこそがエヴァだ!」という著名人の意見もあり、公開当時は相当評価も荒れたようであるが、新作を前に無料でamazonで見直してみたところ、これはこれで納得できてしまっている自分がいる。

宇多田ヒカルも「作曲前に脚本をもらったけど殆ど見ていない」旨をTwitterで発信しているように、映画そのものよりも今の自分自身の想いを歌にしてほしいというリクエストに率直に従っているように思える。今聞いても、エヴァそのものよりも、3.11後のすべての日本人に向けたような、映画のラストではシンジを慰める歌声に聞こえるけれども、決してそれにとどまらない深いメッセージを感じ取れる。ふたりとも、震災後の現実を前にして、それと無関係な作品を作ることなどできなかったに違いない。

震災から9年の時が経って言えることは、この二人が感じていたであろう感情を、一人の日本人として自分も確実に感じていた。それを表現者の使命としてうけとめ素晴らしい作品として世に出してくれた二人と、彼らを支える人たちの努力と汗と涙に心よりの敬意を表したい。

「自分自身の深いところの大切なものを世界に現してくれてありがとう」

2021.3.21追記:シン・エヴァンゲリオン劇場版を見たその日の感想はこちら↓


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