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Werewolf Cop ~人狼の雄叫び~  第18話

↓前話はこちらです。

↓初見の方は第1話からどうぞ。




○ 35

 早朝の山道を、陽奈は歩く。

 一応人が進むことができるようになっているが、木々が茂り、時折険しくもなる。動きやすいようにデニムパンツとトレーナーという格好にしてきて良かったと思う。

 草加恭介を探していた。

 ここにいるという確証はない。生きているというのも予想にすぎない。しかし、陽奈は自らの力――ビジョン幻影を見る能力――を珍しく積極的に発動し、微かに感じる彼の意思を探り、それに向かってきた。

 この森の中に、いる……。

 かなり神経を使っていた。身体より精神の疲労の方が大きいかもしれない。それでも、陽奈はやめずに進む。

 あの人を、止めなければならない。これ以上殺戮を繰り返し、人から離れた存在になりきってしまうのは、陽奈としても辛い。

 父には黙って出てきた。言えば止められるに決まっている。おそらく全てを見通しているだろうと思われる父は、陽奈を大切にするあまりに、深入りすることを許さないだろう。それはありがたいことであるとともに、もどかしい……。

 かなり奥まで来た。丘になった場所に立つ。谷を挟んで向こう側の山の麓あたりに、火災があった日の出製薬の研究施設を見下ろすことができた。

 大きく深呼吸をして、新鮮な空気を取り込んだ。そして振り返ると、また木々の生い茂る森。

 あっ……!

 感じた。あの奥に、いる――。

 一瞬身体が硬直してしまい、躊躇する陽奈。だが、自分を鼓舞して一歩踏み出す。更にもう一歩、と少しずつ森へ近づいていきその中へ足を踏み入れようとした時……。

 来てはだめだ、陽奈ちゃん。このまま引き返すんだ――。

 頭の中に響いてくる声。紛れもなく、草加恭介のものだった。




 「恭介さんっ!」

 思わず声をあげていた。懐かしい。子供の頃は、よく遊んでもらった。陽奈が中学生の頃はすでに警察官になっていたが、たまに会いに来ていろいろな話をしてくれたし、こちらの悩みも聞いてくれた。

 父とは違う。たぶん兄とも違うのだろう、不思議な存在。大きくて頼もしくて、とても立派に感じていた。あの頃の凜々しさが声の中にも感じられる。

 「恭介さん、話がしたい。聞きたいことがいっぱいあるんです。お願い、顔を見せて」

 訴えかける陽奈。

 陽奈ちゃん、俺はもう、君の知っている草加恭介じゃあない。来てはいけない。すぐに帰りなさい。今は良いけど、気持ちが昂ぶってしまうと、自分が自分でなくなる。いや、人としての心は消える――。

 「心が、消える?」

 人ではない、もっと崇高で猛々しい存在に変わっていく。そして、悪を狩る。だけど、行く手を阻むものがいたら、それが誰であっても、容赦をしなくなる――。

 やはり、あの秘薬のせいだ。あの時、私があんなにたくさんの秘薬を彼に飲ませたから、作用が大きすぎて……。

 古来より伝わる伝説。千年以上前、平安の頃、よわい百を超える狼がこの地にいた。それは、山の神の化身とも呼ばれ、悪を憎んだ。少しでも悪意の匂いをかぎとると、その牙と爪でひき裂いた。

 長い年月を経てその狼が死期を迎えた際、この地に散見された村の一つに赴き、その長老に自分を祀るように言った。長老はその命に従い、神社を造り自らが神官となった。それが、影狼神社の始まりだ。

 その時同時に、自らの肉体、特に骨にはその意思の力が宿っているので、扱い方には注意をするように、とも言われたという。

 詳細は父が持つ古文書に記されているらしい。おそらく、父はその内容を熟知し、代々の神職がどのようにその狼の肉体を扱ってきたのかも、知っているのだろう。

 だが、陽奈はまだ知らなかった。ただあの秘薬に人の治癒能力を高める作用があることは伝え聞いており、それを咄嗟に大火傷をしていた草加に与えたのだ。




 草加の意思が不思議な声となり、続いて聞こえてくる。

 俺はそれでかまわない。人の心などなくていい。これからも、悪を狩り続ける。それでいい――。

 「そんな……」息を呑む陽奈。「そんなの良くない……」

 わかっている。人は人として生き、人として死んでいくのが一番良い。そうだろう。でも、俺は例え人でないものになってしまったとしても、ヤツらを許さない。ヤツらを全部殺すことができるなら、その後は人でないものとしてこの世に残り続けてもいい――。

 「恭介さん、いったい何があったの?」

 陽奈ちゃんは、知らなくていい。そんな人の穢れたところは、知らなくていい――。

 「私は影狼神社の後を継ぐ者です。秘薬によって何が起こったのか知り、理解し、後世に伝えていくのも勤めです」

 陽奈ちゃん――。

 目を瞑る陽奈。自らの意思を辺りに浸透させていくようなイメージを持った。そうやって、草加の意識を探す。

 つながった……。

 はっきりした場所はわからない。しかし、草加は陽奈が意思を浸透させていった範囲にいる。それだけで充分だった。彼の意識とシンクロ同調し、過去を見る。

 ……それは、目を背けたくなるような出来事だった。

 草加はいつもの夜勤同様に、分署に詰めていた。同僚2人も同じ勤務だ。それ以外に、3人がまだ残って書類整理などをしていた。

 夜9時を過ぎた頃、警報が鳴り響いた。火災発生の知らせだ。場所を確認すると、日の出製薬の研究施設だという。

 草加は多少怪訝に感じた。自分がこの分署に潜伏したのは、その研究施設を調べるためだ。日の出製薬は、化学兵器転用可能な薬品類を海外へ秘密裏に流している疑いがある。その拠点がこの施設だと見ていた。

 班長から課長、そして部長まで動かして、出向というかたちで研究所近くのこの分署に入り込むことに成功した。それからすでに1ヶ月近く経つが、概要はある程度わかってきたので、そろそろ研究施設内を調べようかと思っていたところだ。

 そこで火災? 何か、不穏な感じもする。だが、チャンスでもある。救助や火災の捜査のために、堂々と研究所内に立ち入ることができるのだ。




 怪しむ気持ちより、このチャンスを捜査に活かすことができるという期待の方が勝った。

 草加は勇んで研究施設に向かった。一緒にいた5人の同僚達とともに……。

 火災が発生しているのは研究所の一番奥の方だった。研究室や事務室の他に、実験のための部屋があるという。そこから火の手が上がったらしい。

 消防はまだ到着していなかった。山道であり、大型の消防車は上ってくるのに難儀するだろう。

 到着前に現状をできる限り把握しておこう、と草加や同僚達は実験室になるべく近づいた。そこで、驚くべきものを目にした。

 なぜか、実験室には鍵がかけられていた。そして、強化ガラスの向こうに人が3名、後ろ手に縛られて倒れていたのだ。白衣を着た男女1名ずつとスーツの男性1名。

 まずい。すぐに救出しよう。

 そう言って、鍵を探す草加。だが、同僚5人の目つきが変わった。

 どうした? 

 声をかける草加に、いきなり後ろから同僚が警棒を振り下ろした。

 後頭部に激しい打撃を受け、草加は膝をつく。そのまま前のめりに倒れそうになるのを、必死に堪えた。

 そこへ、別の同僚がまた警棒を叩きつけてくる。避けようとしたが、肩口を打ち据えられついに倒れてしまう。

 5人の同僚は、草加から銃と警棒を取り上げた。そして、背中や頭を容赦なく蹴りつける。いつしか草加の意識は薄れていった。

 自分の身体が持ち上げられるのを感じた。実験室のドアが開く。鍵は同僚の1人が持っていた。

 なぜ? いや、そうか、こいつらは……。

 迂闊だった。日の出製薬には、警察組織に影響力を及ぼす程の協力者もいたのだ。このように、草加の行動を見張り、罠にかけることができる者を作り出すのは容易だ。もっと気をつけるべきだった……。




 草加も実験室に閉じ込められた。その時には全身に激しいダメージを負っていた。

 倒れていた3人が目を覚ます。話を聞くと、日の出製薬の不正に嫌気がさし、離脱を考えていたようだ。それに気づかれ、拘束されたらしい。

 草加は3人の拘束を解き、何とか実験室から出る手立てを考えた。だが、火の手が次第に大きく押し寄せてきて、実験室を包み込む。

 3人は泣き叫び、必死に助けを呼ぶだけとなった。それでも草加は何とか脱出を試みる。ガラス壁をたたき割ろうとしたり、ドアに体当たりをしたり、と自らの身体が壊れそうになっても繰り返す。

 しかし、頑丈に造られた部屋はびくともしなかった。ガラスの向こうには、既に炎が蔓延している。

 他の3人が半狂乱となる。声が室内に響き渡る。それが、突然の爆発音によってかき消された。

 どこかに隙間ができたのだ。そして、実験室内の空気と外部の炎が一気に反応し合い、バックドラフトを起こした。

 凶暴な怪物となったかのように襲い来る炎に全身が焼かれた。爆風に身体が吹き飛ばされた。死を覚悟した瞬間に、意識は途絶えた。

 だが……。

 真っ暗な中で、草加は目を覚ました。重い。何かに押しつぶされている。

 必死に身体を動かした。崩れ落ちた瓦礫を掻き分け、潰れた実験室から這い出す。

 夜空に月が浮かんでいるのが見えた。その下では、まだ研究施設が燃え続けている。

 瓦礫の中には、先ほどの3人の欠片がバラバラになって混ざっていた。指、腕、足、あるいは胴体の破片……。

 自分の左手首の先もなかった。

 しかし、なぜか生きている。いや、生きていると言えるのか?

 身体を確かめると、皮膚は爛れ、未だに熱を持っていた。血まみれの身体に更に熱が襲いかかり黒焦げになっている。

 生きる屍……。しかし、なぜ、まだ動ける?

 痛みは残るし、全身が重く、動きは緩慢だ。それでも死んではいない。いや、死にきれていない、と言った方が良いのか……。




 思いつくことがあった。もう10年以上前のことだ。チンピラ達に袋だたきに遭い死にかけたとき、影狼神社の御厨さんに不思議な薬を飲ませてもらった。そして、奇跡的な回復を見せた。その時の効能が、まだ残っているのか?

 ならば、またあの薬を飲めば……。

 そう考え、草加は影狼神社を目指した。地を這うようにゆっくりと……。

 たどり着いたときには、すでに命が尽きかけていた。その時に、陽奈がこちらに気づいてくれた。なので、必死に訴えかけた……。

 彼女に薬を飲ませてもらった草加は、御厨が現れたのを感じて身を隠した。これ以上一緒にいて、あの親子に迷惑をかけてはいけない――そう考えたからだ。

 森へ逃げ込んだ彼の身体には、次第に人とは思えないほどの力が漲ってきた。しかし同時に、自分とは違う意思のエネルギーのようなものが充満していった。

 俺は、何か別の者になろうとしている……。

 いい。それでもいい。ただ、その前に、どうしてもやらなければならないことがある。ヤツらを、日の出製薬に群がる悪徳の者達を、皆殺しにする。

 悪を狩る。それができるなら、おまえに力をやる――。

 そう言われたような気がした。

 望むところだ……。

 草加は森の奥まで走ると、そこから月に向かって高らかに咆哮した――。

 ……そこで、草加の意思が激しく動いたのか、シンクロ同調させていた陽奈は我にかえった。

 こんなに酷い目に……。

 陽奈の胸が激しく痛む。強い復讐の意思を持ったとしても仕方ないと思えた。しかし、だからといって、このままにしておいては、彼は怪物と化しいつまでも殺戮を繰り返す……。

 悲しみや葛藤とともに、激しい疲労も感じた。草加の意識にシンクロ同調させるために、力を使いすぎた。

 何も言えずにガックリと肩を落とし、佇む陽奈。

 その後ろから気配がした。目を向けると、見知らぬ男が4人、近づいてきた。山道だというのに、キッチリとしたスーツに身を固めている。




 「あ、あなた達は……?!」

 ハッとなる陽奈。おそらく、福沢やあの羽黒という男についていた者達と同類だ。

 「草加恭介はどこにいる?」

 男のうちの一人が訊いてきた。

 「何のことですか?」

 「さっき、名を呼んでいただろう?」

 つけられていた……。普通の状態であれば、気づいただろう。陽奈は感覚が優れている。だが、草加を探すために気を向けすぎて、余裕がなかった。

 陽奈に声をかけた男以外の3人が、辺りを探すために動く。しかし、見つけられないようだ。

 「草加はどこだ?」

 男が陽奈の腕を掴む。強い力だ。細い腕が軋む。

 「い、痛い……!」

 思わず顔を顰める陽奈。必死に振りほどこうとした。

 「草加恭介。出てこないなら、この娘を連行し、尋問する」

 男が森へ向けて大声を張り上げる。

 「いやっ、放してっ!」

 抵抗する陽奈の首筋に、男は手刀を打ちつけた。彼からしたら軽いつもりだったのだろうが、屈強な男の攻撃を受け、陽奈は激しい痛みを覚えた。

 「きゃああぁっ!」

 叫び声を上げ、その場に崩れ落ちる陽奈。男が彼女を無理矢理立たせようとする。

 しかし……。

 男の手が陽奈から離れた。そして、森の方を凝視する。

 他の3人の男達の視線も集中した。

 木々に囲まれた森の中から、警察官が現れた。ガッチリとした体格。鋭い眼光。そしてその顔は、まぎれもなく草加恭介だった。

 「恭介さんっ!」

 立ち上がり、駆け寄ろうとする陽奈。




 草加が右手を上げて来るなと示した。一瞬、優しげな笑みを見せる。昔、一緒に遊んでくれた頃と同じ笑顔だ。

 「陽奈ちゃん、来てはいけない。すぐに逃げるんだ」

 草加が言った。今度は、きちんと口から発する声だった。

 「恭介さん……」

 首を振る草加。

 「もしも……そう、もしも、俺のことを哀れに思ってくれるなら、怪物となった俺を滅してほしい。おそらく、その方法をお父さんは知っているだろう。でも、それは、非常に危険なことだ。俺が俺でなくなっていた場合、あなた達でも殺してしまうだろう。誰か、頼りになる人に依頼をしてくれ」

 彼のその声を聞きながら、陽奈は涙を流していた。彼との思い出が、脳裏に蘇る。

 「さあ、逃げるんだ、陽奈ちゃん。俺はこれから、これから……」

 男達が銃を取り出した。そして草加に向ける。

 「草加恭介。おとなしく一緒に来るんだ」

 さっき陽奈を捕まえていた男が言った。だが、草加は全く気にしていない。陽奈を見ながら続ける。

 「俺はこれから、こいつらを、狩る……」

 最後の声は草加のものでありながら、そうでない何かの口調も含まれていた。強く、禍々しい何かが……。

 「行けっ! 御厨陽奈っ!」

 草加の名残が少しだけあるが、別の声が響く。その時、草加の顔の前に黒い霞のようなものがかかった。彼の顔が見えなくなる。そして、その闇の奥に、二つの紅く光る目。

 陽奈は言われるままに駆け出した。ここにいてはいけない、という思いが唐突に浮かび上がり、彼女を突き動かす。

 「待てっ!」と男の声が聞こえてきたが、追いかけては来ない。

 一度だけ振り返る陽奈。草加の顔の前の霞がとれ、そこには異形の姿が現れた。

 爛々と輝く紅い目。異様に突き出た鼻と口。そこからのぞく鋭い牙。手の先には刃物のような爪が燦めいている。

 見てはいけない……。

 陽奈は必死に山道を駈け降りていった。




○ 36


 
 陽奈が去って行った後、男達は即座に銃撃を開始した。

 激しい銃声が、森の中に響く。

 だが、弾丸が草加――人狼に命中することはなかった。

 素早く動く人狼に、男達の動きは追いつくことができない。

 一人、また一人、とその鋭い爪に切り裂かれ、木々の緑が、夥しい血に染められていく。

 最後に、先ほど陽奈を取り抑えていた男が残った。

 「う、うわぁぁぁ……!」

 目の前に迫る人狼。男は必死に何度も銃爪《ひきがね》を引く。しかし、すでに弾は尽きていた。

 人狼は右手を高々と掲げた。その先に、鋭く光る爪。

 「ひぃっ!」

 男が背中を向けて走り出す。

 人狼はサッとその後ろまで迫ると、右手を翻す。

 男は後頭部から首筋にかけて切り裂かれ、血飛沫を上げながら倒れた。

 人狼が更に腕を構え直し、男の背中から心臓を……。

 直前で動きが止まった。何かを考えている。そして、倒れている男達4人の死体に、ゆっくりと視線を向けた。

 しばらく時が流れた。

 人狼はただ、立ったまま何かを待っている。

 倒れた男達の死体が、ピクリと動いた。手足の先が痙攣しているかのように震え出す。

 それぞれの口から、グルル……という唸り声のようなものが漏れはじめた。

 それを見て、人狼はゆっくりと歩き出す。森の中へと、戻っていく。

 男達の死体が、むっくりと起き上がった……。


○ ↓第19話に続く。

  


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