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第5話 初手【聖者の狂気】(小説)

-12- 初手

「よし……」

テネリタを出た泉水は、まっすぐに自宅へと向かい、飲まず食わずで原稿を書き上げた。時刻は21時を過ぎており、あまり見直しができないままの公開に少しためらいはあるものの、今はスピードが重要と判断し、記事の公開ボタンを押した。

『今日は、容疑者自殺という形で終幕したとされる事件について取り上げる。
みなさんも最近の記事で読んだことと思う、桜田公園で起こった刺殺事件(以下桜田公園刺殺事件)についてだ。

桜田公園刺殺事件は、容疑者であった猿倉澪が、恋人だった八木沢雅紀を、家から持ち出した包丁を腹部に刺して殺害、翌日には警察に逮捕されたというものだ。警察の調べによると、八木沢は日常的にDV(ドメスティック・バイオレンス)をしており、身の危険を感じた猿倉から別れ話を切り出され、隠し撮りしていた性的な写真をネットにバラ撒くと脅したことで口論となり、再び暴力を振るった。猿倉は逃げ、追ってきた八木沢を刺したとされる。

しかし、事件発生直後から、週刊文朝と朝丸新聞は、警察発表とは違う見解を、確信をもって掲載していた。

警察が調べきれていない情報をもっていた可能性もあるが、私の取材では、文朝や朝丸に書かれていた事実はなく、彼らが拠り所にしている情報源がなんなのか、見当がつかない。はっきり書いてしまうが、文朝や朝丸がろくに取材をしないまま、誤情報を事実のように掲載することも、誤りが発覚しても記事を修正しないことも、何も特殊なことではなく、通常運転と言っても差し支えはない。

しかし、私には少し、引っかかることがある。
桜田公園刺殺事件は、誤解を恐れずに言うなら、男女関係に問題が生じた結果、最悪の結末になってしまったもので、朝丸が社説にまで書くほど大きな事件ではない。文朝にしても、この事件の規模なら、後ろのほうのページに2、3ページで収めるのが常で、紙媒体のほうにカラー写真を使ってまで掲載するのは、不自然に思える。

他にもいくつか気になる点はあるが、残念ながら現時点では情報がない。そこで、桜田公園刺殺事件は連載記事として、今後いくつかに分けて掲載していこうと思う。

そのため、今後さらに取材を続けるが、もし取材を妨害するようなことがあった場合、それは朝丸と文朝、あるいは別の誰かにとって都合が悪いことを意味するはずで、その点も記事に盛り込み、猿倉澪自殺の真相についても明らかにしていきたい。

また、この連載はより多くの人に見て欲しいので、すべて無料枠で公開する』

公開された記事を見直し、金居にメールを送ると、泉水は大きく伸びをして、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出すと、三呼吸で500ミリリットルを胃袋に流し込んだ。

「ふぅ……」

吐き出した息と同時に、胃袋が非難の声を上げた。

「お腹すいたよね」

ポンポンと腹を叩くと、洗濯機に服を入れて、そのままシャワーに向かい、濡れた髪のままパスタとサラダを作ると、手早く済ませて赤ワインをグラスに注いだ。

「反応の早いこと」

公開して一時間ほどで、すでに50件を越えるコメントがついていた。事件がタイムリーだったこともあるだろうが、朝丸や文朝の記事に疑問をもっていた人も少なからずいたようで、彼らの姿勢を疑問視するとともに、続きを楽しみにしているという声が半数以上だった。一方で、犯罪者を庇うとかありえない、あんな女死んで当然といったコメントもあり、泉水はワインを一口飲んで、残念そうに目を細めた。

「朝丸も文朝も、猿倉澪が八木沢を脅したと断定してないし、その情報の根拠も示してないのに、そんなふうに言えてしまうのね。ものの見方が窮屈そうだけど、生きてるの辛くならないのかしら」

記事は、翌日には3万ビューを越え、コメントも三桁を越えた。
泉水のSNSや公開しているメール……Webサイトの問い合わせフォーム……にも、応援や誹謗中傷のコメント、メールが複数届いた。それらを淡々と処理しつつ、有栖川に頼んで捜査を担当した刑事と話し、事実関係を確認すると、最初の記事公開から三日目に、二回目の記事を出した。

『猿倉澪が自殺したことについて、場所が場所だけに、警察の管理不備が非難されるのはしかたのないことだと思う。しかし、事件の捜査及び発表については、やはり朝丸と文朝の記事とは相違があった。

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