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黒い砂 テケテケ誕生の物語 第1話(小説/伏見警部補の都市伝説シリーズ/ホラー、ヒューマンドラマ)

-1-

真中瑞江(まなか みずえ)は、目を覚ますとゆっくりと体を横向きにして、向かいの棚に置いてある時計を見た。
時刻は5時50分。目覚ましが鳴るまで、あと10分。少しだけ損をした気持ちになったが、上半身を起こして伸びをすると、床に足をつけた。

目をこすりながら歩き、絨毯と部屋のドアの隙間にある、30センチほどの隙間に並んだスリッパを履いて、ドアを開ける。
家の中は静まり返っており、リビングもキッチンも暗い。ようやく涼しくなってきた10月の朝は、少しひんやりとして、瑞江は歯を磨くとそのままシャワーを浴びた。

「おはよう瑞江、相変わらず早いのね」

シャワーから出ると、リビングとキッチンに明かりが点いており、眠そうな目をした慶子が立っていた。

「おはよう、お母さん」

瑞江が5歳のとき、事故で夫を亡くした慶子は、仕事を掛け持ちしながらセラピストの勉強をして、今では独立して仕事をしている。大繁盛、というわけではないが、安定はしており、人との出会いも多い。

色白で、穏やかさと色気を併せ持つ慶子に、声をかけてくる男も多く、再婚のチャンスは何度もあったはずだが、慶子は瑞江を育てること以外興味がないとでもいうように、付き合うことすらせずに、今も独身を貫いており、瑞江の前では弱音を吐くこともなかった。

「朝ご飯、食べるよね?」

瑞江が聞くと、慶子は頷いた。

「うん、作ってくれるの?」

「昨日遅かったんでしょ? ゆっくりしてて。できたら声かけるから」

「ありがとう。
瑞江の作る料理、好きよ。思いやりがある」

「お母さん譲りだよ」

「あら、嬉しいこと言ってくれるのね。でも、あまり無理しちゃダメよ? 瑞江だって、勉強で忙しいんだから」

「ありがと。でも大丈夫、体調管理はバッチリだから」

朝食を作り、テーブルに座って、なんとなくテレビをつける。瑞江も慶子も、テレビを見ることはほとんどなくなったが、朝のニュースだけは、なんとなく確認していた。といっても、ほとんどは天気予報の確認なのだが。

『ショッキングなニュースです。昨夜未明、祖ノ牧町(そのまきちょう)の住宅街で男性が死んでいるのを、通りがかった通行人が発見し、警察に通報しました。遺体は両足が切り離されており、警察は猟奇殺人の可能性もあると見て、犯人の行方を追っています』

「祖ノ牧町って、隣ね……」

慶子が言った。

「うん」

隣町で殺人事件が起こったこともショックだったが、遺体の状態が耳に残った。両足が切り離されているとは、どういう状況なのか……

「あまり遅くならないうちに帰りなさいね」

慶子は瑞江を見た。

「うん、大丈夫。お母さんこそ、帰り遅いときあるんだから、気をつけてよ」

「そうね、私も気をつける」

朝食を終えると、瑞江はもう一度歯を磨いて、30分ほど机に向かってから家を出た。頭の中には、先程のニュースが不安という接着剤でくっついたままだったが、心配してもしょうがないと言い聞かせ、駅へ急いだ。

-2-

「これはまた、派手にやってくれたな」

瑞江たちがまだ夢の中にいた頃。
伏見靖(ふしみ やすし)は、両足を切り離された無惨な男の遺体を前にしゃがみこんだ。

「他に外傷はない。出血多量か」

「そうみたいです」

伏見に同意するように、谷山修一(たにやま しゅういち)は言った。

「免許証を持ってました。
名前は……富塚武(とみづか たけし)、年齢は35歳、住所は……家は近所みたいですね」

「目撃者はなしか?」

「はい、仕事帰りの男性が第一発見者ですが、誰もいなかったみたいです。もしかしたら、悲鳴みたいなものを聞いた人もいるかもしれませんけど、そこは明日確認ですね」

伏見は、谷山の話に軽く頷くと、遺体に目を戻した。
壁によりかかるようにして座っている男は、形だけを見ると、酔っ払って寝ているようにも見える。だが、腿から下が切り離されており、辺りは血の海になっていて、切り離された足は無造作に捨てられている。

遺体が寄りかかっているのは、廃校になった学校の壁で、夜中ともなれば当然、人通りは皆無だし、暗闇と廃校が揃えば、遺体が近くにあっても違和感はない……というのはホラー映画の話で、戦場でもなければ、遺体があるだけで現場は“異常”になる。加えて、このあたりは100メートルも歩けば、左右には住宅が並んでおり、殺人をするには適した場所とも言えない。

「猟奇殺人、ですかね」

谷山は、眉をひそめた。

「まあ、そんな顔にもなるよな」

伏見は言った。

「遺体を見慣れてても、これを直視するのはきつい」

「全然きつそうに見えませんよ、伏見さん……」

「そうか? それより、ここ、見られるか?」

伏見が足の切断面を指差すと、谷山は鼻を覆うようにしながら近づいた。

「完全に切り離されてるのに、刃物で切った傷じゃない。ナタみたいなもので叩いたわけでもなく、ねじ切られたみたいな傷だ」

「ねじ切るって……そんなことできます?」

「無理だろうな、どんな怪力でも」

「……伏見さん」

「ん?」

「なんか、変な方向に考えてます?」

「変な方向って?」

「洋館の事件みたいな報告書上げたら、また上からいろいろ言われますよ」

「まあそうだろうな」

伏見は立ち上がった。

「でも、常識のメガネは外して捜査したほうがよさそうだぞ」

ありえないと、否定する自分もいる。だが目の前の現実は、伏見に別の考えも考慮するよう警告しているように思えた。

「厄介な事件になりそうだな」

ため息交じりに呟くと、伏見は現場検証を続けた。

-3-

「おはよう、瑞江」

学校に着いて、談話室でテキストを読んでいると、冨永妙子(とみなが たえこ)が声をかけてきた。

妙子は、瑞江の数少ない友人の一人で、プライベートでも遊ぶことがある。プログラミングが得意で、看護学校の生徒というよりエンジニアという感じだが、本人は、プログラミングは趣味と位置づけており、仕事にするつもりはないらしい。

「おはよう、妙子」

「ねえ、今日学校終わったら、時間ある?」

「うん。何かあったの?」

「バイト先で、ちょっと気になる人がいるんだけど、今まで付き合ったことないタイプでね。どう声かければいいか、イマイチ分からなくて」

「それを、私に相談?」

「ダメ?」

「ダメじゃないけど、私……ほら、恋愛に疎いから、あんまりアドバイスとかできないと思うけど……」

「いいのいいの、瑞江の冷静で客観的な意見がほしいんだから」

「……うん、分かった」

「やった! ありがとね。
カフェでケーキぐらいおごるから」

「気を使わなくていいのに(笑)」

「ダメダメ! せっかく時間取ってもらうんだから、それぐらいは……」

「楽しそうね、真中さん」

二人が盛り上がっていると、同じ学年の江守奈々(えもり なな)が声をかけてきた。

「おはよう、江守さん……」

「こないだの実技も、講師に褒められたってね。やっぱり真面目にやってる子は違うわよねぇ」

「そんな、たいしたことじゃないよ。他にも褒められてる人いたし……」

「あらあら、謙虚なのね。でも私嫌いなのよ、あんたみたいなヤツ」

「……」

「なんとか言いなさいよ」

「ごめんなさい……」

「は? なんなの、謝れなんて言ってないんだけど。それじゃあたしが謝らせたみたいに思われるじゃん」

「どうしたの、奈々」

瑞江が俯いていると、奈々の友人である小泉葉子が話に入ってきた。

「コイツがさぁ、なんかハッキリしなくてイラつくんだよね。謝れなんて言ってないのに謝ってきて、あたしがイジメてるみたいに見える。ひどくない?」

「成績いいからって、見下してんじゃない? 私たちのこと。片親のくせに」

「……!」

「そっか、謙虚なフリして見下してるんだ。最低だね、コイツ」

「じゃあそんな真中さんに、面白い話を教えてあげる」

葉子は見下ろすように言った。

「真面目な真中さんは知らない、楽しい噂よ」

「噂……?」

「ネットにも出てる、両足が切り離されてるって死体、警察は猟奇殺人とかって調べてるみたいだけど、あれ、テケテケの仕業って話よ」

「テケテケ……?」

「やっぱり知らないのね。
テケテケは上半身だけのお化けで、昔、真冬の北海道で踏切事故で死んだ女子高生がいて、上半身と下半身が切断されたんだけど、あまりの寒さに血管が収縮して、即死せずにしばらく生きていたの。

その無念と苦しみが霊になって、テケテケの話を聞いた人のところに、三日以内に現れるのよ……そして、上半身と下半身を切断されるか、足を引きちぎられてしまう……」

葉子がいかにもな雰囲気で話すと、妙子はため息を吐いた。

「バカバカしい……小学生じゃないんだから、そんなこと誰が信じるの? 猟奇殺人犯のほうがよっぽど怖いわよ。ねえ? 瑞江」

「なんで、急にそんな話……」

「教えてあげただけよ。勉強で忙しい真中さんにね」

「……」

「黙っちゃった。どうする奈々?」

「怖がる人のところにくるらしいよ、引き寄せちゃうんだって、怖いって思ってると」

「やだ、大変」

「でもね、もしテケテケがきても、助かる方法あるのよね。真中さんは頭がいいから、すぐに調べられると思うけど?」

「そうよね~。でもどうしてもっていうなら、教えてあげてもいいけど、助かる方法」

「ほんとバカバカしい……瑞江、いこ」

妙子が言うと、瑞江は頷いて立ち上がった。

「今日のこと、畑中くんにも話しておくね。最近退屈してるって言ってたし」

葉子の言葉に、瑞江は一瞬立ち止まった。

「瑞江、どうしたの?」

「え? ううん、なんでもないよ……いこ、妙子」

「……? うん」

「あんな話信じる? 子供じゃあるまいし」

瑞江たちがいなくなると、奈々は言った。

「隣町のあれがテケテケの仕業って噂が流れてるのは本当よ。それにあの子、すごい怖がりなのよ。普通なら信じないだろうけど、あの子は信じる。まあ信じなかったとしても、動揺ぐらいするんじゃない? 面白いじゃん、それって」

「言えてる(笑)」

「あとは畑中くんに今日のこと話しておけば、また何か”遊び”を考えてくれるよ、きっと」

「そうよね。
あ、そろそろ講義じゃない? 眠いけど」

「あたしも。とりあえず行こうか」

瑞江と妙子は、奈々たちから離れると、そのまま一時限目の講義がある教室に向かった。

「瑞江、気にしちゃダメだよ。テケテケって、私が小学生の頃からある、有名な都市伝説よ。瑞江が怖がりなの知ってて話したんだろうけど、ただの都市伝説」

「うん、そうだよね、ありえないって分かってる。でも……」

「うん?」

「殺人事件のニュースは、今朝、見たの。だからもしかしたらって、ちょっとだけ思っちゃって」

「真面目に考えすぎ(笑)
大丈夫、本当にテケテケがいて、話を聞いた人を殺していくなら、警察も手に負えないぐらいの事件になってるはずよ。私だって子供の頃聞いたけど、何事もなく生きてるでしょ?」

「そうだよね、なんかつい、気にしちゃって……(笑)」

「しっかりしてるのに、そういうの苦手なのは、瑞江のかわいいところだと思うけどね(笑)」

その日は、朝の件以外は平穏に流れ、学校が終わった後は妙子とカフェで話し、晴れた気分で家に帰って、いつもどおり勉強を済ませると、ベッドに入った。

テケテケ……

ベッドに潜って、静けさだけが耳に触れるようになると、ふと今朝のことが浮かんだ。馬鹿げている、そう思う。もし本当にいるなら、妙子が言っていたように、もっと大きな問題になっている。そう、それが現実。なのに、瑞江の頭の中には、いくつものシミュレーションが浮かんでは消えていく。

子供の頃、一人でいることが多かったから、たくさんの想像を広げて楽しんでいた。暗いと言われたこともあったが、瑞江にとってそれは楽しく、重要なことだった。しかし、こと「怖い話」に限っていうと、想像力は裏目に出た。眠れずに、母親の布団に潜り込んだこともある。

(大丈夫、どんなに怖いと思っても、現実じゃないから)

瑞江は自分の身体を抱くように肩に手を回すと、体を縮めるようにして目を閉じた。

-4-

伏見は、明け方までに調書の第一報を書き上げると、仮眠室に向かった。室内は静まり返っており、廊下から入ってくる明かり以外、光源となるものはない。

「伏見さん、まだ起きてたんですか……?」

先に仮眠室に来ていた谷山が、かすれた声を出した。

「まだ寝てて大丈夫だぞ」

「今まで、調書を……?」

「ああ」

「珍しいですね、そんなやる気だすの」

「否定はしないが、一言余計だな」

「気になるんですね、今回の件は」

「司法解剖の結果を見るまでもなく、人間の仕業とは思えないからな。まあ細かいところは、結果を待つ必要はあるが」

「調書にそんなこと書くのだけはやめてくださいよ? また何を言われるか……」

谷山はそこまで言うと、再び寝息を立て始めた。

「事実なら、書くしかない。理解できなくてもな」

伏見は独り言のように呟くと、横になって目を閉じた。

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