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第8話 不自然な関係【聖者の狂気】(小説)

-16- 不自然な関係

『空きテナント。ご連絡は以下の番号へ。義満不動産』

「空き家……潰れたのかしら」

寺迫の名刺に書かれていた住所に来てみると、空きテナントとなっており、同じフロアの他の部屋にも、名刺に書かれた会社名は見当たらない。

埼玉まで数十キロという、都内の端っこに、個人事務所や中小企業の会社が多数入っているビルが複数あり、地元の人間が下町ビル街と呼ぶその中の一部屋に、かつて寺迫の会社、あるいは個人事務所があったと、名刺は語っているが、目の前の現実とは一致しない。

泉水はスマホを取り出すと、こちらまでと書かれた不動産屋に電話をかけた。

『お電話ありがとうございます、義満不動産でございます』

電話の向こうの女性は言った。
熟練の雰囲気で、まだ何も話していないのに、なんとなく安心感を覚える。

「新大都(しんおおと)というビルの空きテナントのことで、伺いたいですが」

『内見をご希望ですか?』

「内見……そうですね、お願いできますか?」

『もちろんです。では恐れ入りますが、一度弊社の事務所までお越しいただけますか?』

「分かりました。これから伺います」

ビルを管理している義満不動産は、歩いて15分ほどのところにあり、事務所に着くと、電話応対してくれたらしい女性が、笑顔で迎えた。

「ご足労おかけしました」

そう言って、女性はお茶を出してくれた。
特段変わったところのない、既視感のある事務所で、家を借りるときにお世話になる街の不動産事務所とほとんど変わらない。

「ありがとうございます」

「担当者を呼んでまいりますので、そのままお待ち下さい」

(咄嗟に内見って言っちゃったけど、中を見られれば分かることもあるかもしれないし、ちょうどいいかな)

「え、なにこのお茶、おいしい……」

「京都のお茶です。社長が好きで取り寄せてまして」

泉水が漏らした声に、女性は笑顔で答えた。

「そうなんですね、私も買ってみようかな」

「おすすめですよ」

「どうも、お待たせしました」

お茶を半分ほど飲んだところで、担当者らしいスーツ姿の男が来て、会釈した。

「担当の小岩です。
よろしくお願いします」

泉水が、差し出された名刺を形式どおりに受け取ると、小岩は向かいに座った。

「新大都ビルのほうを見たいとのことで、お間違いないですか?」

「ええ」

「何か、お仕事で?」

「ええ、フリーランスの仕事をしてまして、仕事用にオフィスを借りようかと思って」

「そうでしたか。こちら、間取りになります」

小岩がテーブルに置いた間取り図をさっと見てから、泉水は「中を見せてほしい」と言った。確認が早すぎると思ったのか、小岩は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔を作って、「ご案内します」と言って立ち上がった。

ビルに着き、空きテナントの前まで来ると、

「今、このビルで空いてるのはここだけなんです。もしお気に召さなければ、周辺のビルも確認しますか?」

と言った。

「こちらを見てから決めます」

「承知しました。では、どうぞ」

テナントは、20畳ほどの部屋一つと、風呂にトイレ、キッチンがあり、個人事務所として使うなら充分すぎるほどの広さに見える。年季は感じるが、壁もしっかりしており、周囲の音も聞こえない。

「いい場所ですね」

「気に入っていただけましたか」

「以前入っていた会社は、いつまでここに?」

「一ヶ月ちょっと前ですね」

「一ヶ月……最近ですね」

「ええ。急に連絡がきて、出ていくと」

「何か急に出ないといけない理由があったんですかね」

「さあ……電話してきたときも、一方的にまくし立てて。まあうちとしても、出ていってくれて良かったと思ってます、大きな声じゃ言えませんけどね」

「何か問題を起こしてたんですか?」

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