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おとなの積み木&経営積み木

「おとなの積み木」と「経営積み木」。
すでに「こどもの積み木」と「おとなの積み木」については言及した。

私はおとなを対象とした積み木を考え、
つくっていきたいと思っているので
「おとなの積み木」に焦点を合わせる。

「おとなの積み木」については、
おとなの区分と同じだけ存在することになる。

お父さんの積み木
お母さんの積み木
おじいちゃんの積み木
おばあちゃんの積み木
夫婦の積み木
先生の積み木
社長の積み木
部長の積み木
新入社員の積み木
学生の積み木
就活者の積み木等
いくらでもある。

また、テーマ別、用途別に分ければ
そのような「おとなの積み木」を
つくる出すことができる。

このように、対象用途機能別に考えれば
いくらでもできるのでキリがない。
そこで、経営というジャンルに絞って
考え、つくっていくことにした。

それ故、「経営積み木」とネーミングした。
この「経営積み木」という世界においても
さらに細分化して進めていくことができる。
これまたキリがないようだが、
「おとなの積み木」よりは少ない。

「おとなの積み木」をつくり進めてから
ヨコ展開すればいいが、時間がかかる。
手分けしてみんなでやればいくらか前進できる。

とは言え、どんなものか、ある程度わかって
説明ができないと
誰も参加してもらえない。

あまりにもわかりきったものだと
思っていらっしゃる方が多過ぎて
その壁は厚い。

常識を考え、
つくり加えていく知的作業は
気がつき、わかって、
やっている者にしかわからないので
誠にはがゆく、もどかしく、
経済的にはあまりにも見返りが少ない。

それでも、おとなの感性や想像力を
何とかして蘇生、育生できればと
思ってしまったのだから
何とかできるところまでやってみたいと
思うのである。

多くの先人たちは失望絶望して
子どもたちやこれから生まれてくる人間たちに
おもいを託して、それに関する事業などに
取り組んでいった。

そこを何とかならないものか、
と性懲りも無くおもってしまっているのだ。
困ったものだ。

こんな馬鹿げたことをやる者など
私くらいしかいないだろう。
そう思うからこそ
納得できるところまで
気の済むまでやってみたいのだ。

たかが◯△□の積み木の世界だが
その価値があると
私の感性が感じているのだから
しようがない。

感じるまま、おもうまま、
やってみるだけだ。

よろしければ、サポートをお願いします。そのサポートで事業活動を続けていくことができます。 「おもい」もしっかりと受け止めて、生かしていきます。あなたの人生と運が開けてきますように^_^