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REBECCA 80年代中期〜90年代初期に最も成功した女性ボーカルバンド🎵

こんにちは、Hideです🎵

今回は昭和後期〜平成初期の第2次バンドブームの波に乗って活躍したバンド”REBECCA”を紹介します。

70年代に人気を博したサディスティックミカバンドやシーナ&ロケッツと同じスタイルで、女性をセンターボーカルとしてバックのバンドメンバーが男性という形を確立したのが”REBECCA”でした。

バンドの編成は、ボーカル(女性)・ギター・ベース・ドラム・キーボード(ボーカル以外は男性)の5人編成。

同時期に活動していたSHOW-YAやPrincessPrincessと同じ編成で、ボーカルが女性という以外はパート構成も同じで5人組のバンドである。

80年代初頭アメリカでは、シンディーローパーやマドンナといった女性ボーカリストが派手なファッションとメイクでポップで、ポップでキャッチーな曲で若者からウケていました。

そんなアメリカからの流れを初めて日本に取り込んだバンドがREBECCAだったのです。

数多くの楽曲をヒットチャートに送り込み、LIVE活動においても大規模会場の日本武道館や東京ドームも満員にした80年代を代表する女性ボーカルバンドです。

80年代後半はバンドブームで多くの人気ロックバンドやアーティストがひしめく中、REBECCAとBOOWYは、人気を二分していて、現在でも多くのファンの心に刻まれ、伝説のバンドとして愛されています。

では、私の若い時期にいつも側にいて青春時代に色を添えてくれたREBECCAの活躍と現在の活動などについてお話ししていきます。


地元の仲間でバンド結成 オーディションに合格してデビュー ROCK色の強い音楽から時代に合わせた音楽へ方向転換

1982年2月、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身のNOKKOとギタリストのシャケこと(木暮武彦氏)が中心となりバンドを結成。

ボーカルがNOKKOでシャケがギター、他にベース・ドラム・キーボードという5人編成。NOKKO以外のメンバーは男性の計5人体制。

NOKKOが作詞を、バンドリーダーのシャケが作曲とサウンドプロデュースを担当。

結成当初からデビュー初期は、ギターサウンドを聴かせるロック色の強い曲調であった。

1983年8月にレコード会社のオーディションに合格して、後の作曲とプロデュースを担当する土橋安騎夫氏がキーボードとして加入、1984年4月にシングル「ウェラム・ボートクラブ」でデビュー。

デビューした84年にシングルとアルバムを各2枚ずつ発表するが、どちらもオリコンチャートにおいても圏外でヒットには至らなかった。
85年1月に音楽的方向性の違いから、シャケとドラムの小沼氏が脱退。

バンドの発起人で音楽的中心でもあったシャケが抜け存続の危機を迎えるが、新たにドラマー小田原豊氏と、ギターの古賀森男氏が加入し、キーボードの土橋氏を新リーダーとサウンドプロデュース担当に変更し、NOKKOの艶があるボーカルを活かす為、当時アメリカで流行していたの女性シンガーのシンディーローパーやマドンナのスタイルを取り入れ、それまでのロック路線から煌びやかなサウンドのシンセポップ路線へシフトした。

新体制となった1985年4月にリリースされた3枚目のシングル「ラブイズCASH」が初のオリコン30位にランクインし、同年6月に発表された3枚目のアルバム「WILD & HONEY」もオリコンLP部門で6位を記録し、6月には日本青年館でのライブも成功させブレイクの兆しが見え始めた。

*ロックからシンセPOPへの方向転換後初のシングル「ラブイズCASH」は当時アメリカで流行したマドンナの「マテリアルガール」に酷似していることから、それについてNOKKOは「レベッカの汚点」と語っているが、マドンナに比べNOKKOのパワフルでキュートなボーカルのこの曲は”ただのパクリ”ではないと私は感じている。

同年10月に中山秀征主演のドラマ「ハーフポテトな俺たち」のオープニングとエンディングのテーマ曲に採用された両A面シングル「フレンズ/ガールズブラボー!」がリリースされ、オリコン3位になり売上枚数30万枚の大ヒットになった。

「フレンズ」のリリースから1ヶ月後の11月に発表された4枚目のアルバム「REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜」がオリコン1位を獲得し、当時日本のロックアルバムとしては異例の130万枚を越えるセールスを記録するミリオンセラーとなり、REBECCAは一気にスターダムへと駆け上がった。

結局はシャケが目指すROCK色の強い音楽から、時代にあった聴きやすくPOP路線へと方向転換をしたことが、サクセスの大きな要因であった。

脱退したシャケはダイヤモンド⭐︎ユカイ(田所豊氏)をボーカルに迎え、ロックンロールバンドレッドウォーリアーズを結成。
武道館公演や西武球場などの大規模会場でのライブを成功させ、80年代を代表するライブバンドとしてロック好きの若い世代から支持を得た。

84年当時の私はレベッカ所属のレコード会社でアルバイトをしており、サンプル盤でデビュー曲を聴いたが、それまでの女性ボーカルバンドのサディスティックミカバンドや、シーナ&ロケッツの流れを組む感じの曲調で、NOKKOの声質意外には、特にこれといって特徴的なものも無く、正直ピンとくるものは感じられなかった。

初期のREBECCAはロック調なサウンドで、NOKKOのステージファッションも60年代風のボブヘアーにワンピースといった衣装で過去に見慣れた感もあり、ブレイクする雰囲気は見られなかった。

時代背景としてオーソドックスなロックスタイルよりシンセサイザーを巧みに使った煌びやかなPOPサウンドの方が人気があったので、デビュー当時のままでは時代の波に乗れなかっただろう。

伝説のライブ『REBECCA BLOND SAURUS TOUR ’89 in BIG EGG』の画像

「フレンズ」の大ヒットからREBECCAの大躍進が始まった ブレイク中の人気は凄かった

85年の大ブレイクから勢いづいた彼女らは、次々とヒット曲を連発し人気の音楽番組にも出演して知名度も一層上がり、出すアルバムも次々とヒットし、学園祭からも引っ張りだこでライブ会場はどこも超満員であった。

1987年には6枚目のアルバム「Poison」で第2回日本ゴールドディスク大賞の最高位である“The Grand-Prix Artist Of The Year”を受賞。
名実共に1980年代を代表するバンドとなる。

LIVE活動では、日本武道館6日間(87年1月〜2月)、横須賀港での5万人野外ライブ(87年8月)、東京ドーム公演(89年7月)等大規模イベントを次々と成功させた。

人気バンドになったことからCMやドラマ、映画とのタイアップも多かった。

先述のアルバム「REBECCA IV」以降91年の解散までリリースされた3枚のアルバム「TIME」(86年10月)「Poison 」(87年11月)「BLOND SAURUS」(89年5月)いずれも80万枚を越えるセールスを記録した。

当時20代前だった私が、10代の若者層から大きく支持されていたのを実感出来たのは、高校の文化祭や催しを観に行くと、そこに出演していたアマチュアバンドが、男のバンドの多くはBOOWYで、女のボーカルバンドの殆どがこぞってREBECCAのコピーを演奏していた。

それだけこの2バンドが若者から大きく支持され人気を博していたことがわかる。

ラジオや有線放送でもREBECCAとBOOWYの曲が頻繁に流れていた。

もちろんバンドブームの全盛期で爆風スランプやパーゾンズやハウンドドッグや吉川晃司、尾崎豊、チェッカーズの人気も凄かったが、REBECCAとBOOWYはその中でも別格で、他のロックミュージシャンと比べ頭ひとつ抜きに出ていた。

私の地元は地方都市だったので、当時の若者は皆車を所有しており、友達と出かける時やデートの際には必ずと言って良いほど車を使用していた。

そんな若者の車内には、REBECCAとBOOWYの曲が入ったカセットテープが必須アイテムだった。

当時はレコードを購入し、カセットテープにダビングして、車やウォークマンで聴くのが若者の定番の行動だった。

なので今でもREBECCAの曲を聴くと、当時乗っていた車や付き合っていた彼女とのデートや、友人達と遊びに行った思い出が昨日の事の様に蘇ってくる。

いつの時代も音楽は、思い出とリンクするものなのですよ🎵

REBECCAが日本ロックシーンに与えた影響と功績 

女性をセンターボーカルに据え、バックを男性メンバーで固めるといったスタイルを確立したのもREBECCAである。

REBECCA解散後にその影響を受けてデビューしたのがジュディー&マリーやリンドバーグ、ジッタリンジン、パーソンズである。
REBECCAは、後にデビューする後輩の女性ボーカルバンド達のお手本となった。

そう言う意味でもREBECCAが残した日本音楽シーンへの功績は極めて大きい。

REBECCA最大の魅力はボーカルNOKKO。
近くにいそうな小柄でスリムな少女っぽさが残る笑顔だ。
親しみやすそうな雰囲気が、ステージに上がると獲物を狙う女豹へと変貌する。
ステージ狭しと駆け巡り、個性的な声でパワフルかつ切なさを感じさせる歌、柔軟な体が魅せるダンスパフォーマンスは最高のエンターテイメントだ。
彼女のファッションも若い女性達から人気を得て、当時のファッションリーダー的存在でもあった。

バックを支えるメンバーの音楽性も際立って優れていた。

REBECCA 作品の記録

活動期間:1984年(昭和59年)〜1991年(平成3年) 

再結成:1995年 1999年〜2000年 2015年〜現在

レベッカが84年〜91年まで発表された作品
シングル:13枚 1stと2ndシングル以外はオリコン30位内にチャートインしている。内8曲はトップ10内にランクインした。

12インチシングル:3枚 リリース順にオリコン3位6位12位にチャートイン 既存の曲をDANCE REMIXしたバージョンの物を収録した企画物作品

映像作品:解散した年までに発表されたLIVEの模様やMV作品集等11作品、解散後に4作品発表された

ライブアルバム:解散後の1992年に2枚と2013年と2015年(アナログLP盤)にリリースされている

Platinum Single Series:89年3月に4枚リリース ヒット2曲をカップリングした物である

オリジナルアルバム:7枚 オリコン順位 1st 47位、2nd 38位、3rd 6位、4〜7作は全て1位を獲得している。

他にリミックスアルバムを87年と88年に各1枚ずつリリースし、2枚ともオリコン1位を獲得。

企画盤2枚(オリコン36位と46位)とベスト盤2枚(オリコン1位と2位)を解散までに発表している

解散後にも数多くのシングルやリミックスアルバム、BOXセット等々をリリースされていることからも、レベッカが長く愛されているバンドだということがわかるだろう。

REBECCA 各メンバーの解散後の活動

レベッカはデビュー以降、ボーカルのNOKKOとベースの高橋 教之氏、土橋 安騎夫氏の3人は91年の解散時まで変わらなかったが、ギターとドラムは2度チェンジしている。ギタリストは87年〜解散時までサポートメンバーを起用していた。

小田原豊氏は、レベッカ3代目(85年〜91年)のドラマーである。(初代:大金晴哉氏・2代目:小沼達也氏)

小田原氏は日本ロック界の大御所浜田省吾氏のツアーメンバーとして10年間LIVEに参加している。
何年か前にユーミンが紅白歌合戦に特別出演した際にバックドラマーを務めている。
その他井上陽水氏の「少年時代」を収録したアルバム「ハンサムボーイ」や桑田佳祐氏や吉川晃司氏、来生たかお、大黒摩季のアルバムへのレコーディングへの参加の他、キンキキッズや田原俊彦氏やKOH +(福山雅治氏と柴咲コウさんのユニット)のシングルや斉藤和義氏やJUJU、チャゲアス、谷村新司氏、吉田拓郎氏、渡辺美里さんetc…多ジャンルで数えきれない位の有名ミュージシャンとレコーディングやLIVEメンバーとして参加している。

日本ドラマーの第一人者で有名だった村上ポンタ秀一氏(1951年生〜2021年逝去70歳没)や山下達郎氏のレギュラードラマーで小田原氏同様他ジャンルで多くのミュージシャンと共演した青山純氏(1957年生〜2013年逝去 56歳没)亡き後の日本の音楽界を背負う、現在日本ナンバー1のドラマーである。

キーボード担当の土橋 安騎夫氏は2代目(初代は石川一彦氏)
レベッカ解散後、新バンドを結成しアルバムを制作、元TMネットワークの宇都宮隆氏のソロプロジェクトにバンドマスターとして参加、多くのアーティストへの作曲や編曲での楽曲提供も数多く行っている。
レベッカ2回目の再結成後の2000年にはギターの高橋 教之氏とユニット結成。
有名なところだとレベッカ活動当時の87年に松田聖子さんのヒット曲「Strawberry Time」(オリコン1位)の作曲を行っている。

ベース担当の高橋 教之氏は、レベッカ活動中には85年発表のアルバム「REBECCA Ⅵ」で(1985年)ではインストゥルメント曲「光と影の誘惑」を作曲。
87年にはソロアルバム「LANDSCAPE」発売。参加ミュージシャンは、小田原豊・是永巧一・中島オバヲ・横田龍一郎。
2000年にはキーボードの土橋安騎夫氏とユニット「R.P.R(Roll Playing Rock)」結成。
同年、母と兄の介護の為、運送会社に就職し、以後長期音楽活動から離れている。バンド活動をしていた形跡も見られる。

ギタリストは頻繁に変わり、初代シャケ木暮武彦氏(〜85年)2代目が古賀森男氏(85年〜86年)、3代目が友森昭一(86年〜87年)、87年〜91年の解散時までサポートメンバーを起用していた。

ボーカルのNOKKOは89年に映画「スウィートホーム」に出演女優デビューもしている。

レベッカ解散後の92年にJALのキャンペーンソング「CRAZY CLOUDS」(作詞:NOKKO 作曲:NOKKO・屋敷豪太)でソロデビューしている。
同年、晴海特設会場(東京国際見本市会場)を10日間を巨大なクラブ化し行った初のソロライブが話題となった。

その後現在まで16枚のシングルと12枚のオリジナルアルバム、ベストアルバム3枚、リミックス盤1枚、カヴァー盤2枚セルフカヴァー含む男性ボーカリストカヴァー集と、レベッカのセルフカヴァー集、クリスマス盤アルバム2枚、アナログアルバム1枚をリリースしている。

93年にかけて海外進出も果たしビルボードのダンスチャート11位を記録。
その際世界的フォトグラファーがジャケ写等を手掛け話題を呼んだ。

94年にはソロ代表曲「人魚」(作詞:NOKKO 作曲:筒美京平)オリコン2位のヒット曲となる。
また同年12月には、オリジナル・アルバム「colored」を発表し、NOKKO 本人が出演したカルピスウォータライトCMソング「ライブがはねたら」が収録されている。

96年にはNHK朝ドラ「ふたりっ子」の主題歌「Natural」を発表。

98年には「のっこ」名義でオリジナルアルバム「ベランダの岸辺」を発表、初のアコースティックアルバムであり至高の名盤であると高い評価を受ける。

2001年にソロ活動を休止、古くから親交のあった音楽プロデューサー・ミックスエンジニアの保土田剛氏(GOH HOTODA)と結婚。2003年「NOKKO & GO」を結成。2005年には42歳で女児を出産。
現在は音楽活動をしながら、熱海で夫と娘と暮らしている。

NOKKOはレベッカ解散後も活動の幅を広げ精力的に活躍している。

再結成

91年の解散後、各メンバーはソロ活動を行うが、95年と99年〜2000年と2015年〜現在に3度再結成をしている

95年は阪神淡路大震災の復興支援として2日間限定での再結成ライブを横浜アリーナで開催した。

99年はドラマ主題歌として「フレンズ 〜remixed edition〜」をリリース。

2006年には12年ぶりにオリジナル・シングル「神様と仲なおり/HELLO TEENAGE」を発表。
この際にはライブは行わず、このシングルのリリースのみだった。

2015年、再結成ライブを横浜アリーナで2日間行う。
NOKKOは再結成の理由について
「封印していたレベッカの楽曲群を改めて聴いて新鮮さを感じた為」であると語った。

ベースの高橋教之は家族の介護の為、音楽活動を止めて運送会社に勤務しており、再結成時には有給休暇を使って活動へ参加していた。

11月にはNOKKOの地元のさいたまスーパーアリーナでの追加公演も開催。

同年大晦日「第66回NHK紅白歌合戦」への初出場を果たし、代表曲の「フレンズ」を国民的番組で熱唱した。

2017年新年にUNIVERSAL MUSICと契約、2017年7月から9月に約28年半振りの全国ツアー「REBECCA LIVE TOUR 2017」を行う。

同ツアーの日本武道館公演の模様はDVD/Blu-rayとして発売された。
同年11月には17年ぶり のオリジナルシングル「恋に堕ちたら」をリリースした。

『REBECCA NOSTALGIC NEW WORLD TOUR 2024』

2024年7月13日の昭和女子大学人見記念講堂公演を皮切りに、全国7都市を廻る7年ぶりの全国ツアー『REBECCA NOSTALGIC NEW WORLD TOUR 2024』をスタートし、現在もツアーの最中だ。

またツアー初日に10月に東京ガーデンシアターでの追加公演を開催することを発表した。

自分も音楽関係で仕事をしている古くからの友人のつてで、8月に行われる仙台でのライブに参戦が決まっている。

REBECCAを生で観るのは今回が初めてになるが、今からワクワクして楽しみだ。

青春時代に聴いてた音楽に再開できると思うと心が弾みます。

演奏する側も観る方もお互いに取り巻く環境が変わり、長い年月が過ぎたが、LIVE中は若かった日に戻れる気がする。

REBECCAを聴いていた30年以上前に感じたときめきを取り戻しにいって来たいと思います。

今回のレベッカのツアーに行けることに感謝しています。

あとがき

私の中での1980年代は本当に輝いていた。
あの時代はPCやスマホも無い今と比べたら便利とは言えない時代で、私を含め人としてもまだまだ未熟な面が多かったように感じる。
バブル景気のせいもあったのか、情熱と夢だけは忘れることはなかった。
なんとも熱い時代だったなぁ〜と懐かしくなります。
ちょっと前にドラマで87年当時の様子を描いたドラマをやっていたが、何も考えずに生きてた時代だったなぁ〜とあの頃を客観的視点で観ていて、なんか不思議な気持ちになった。
もうあの時代には戻れないが、今回80年代を象徴するバンドだったREBECCAの記事を書いていて、40年前にどこかに置いてきた熱い思いが沸々と蘇った。
年齢を重ね顔も老け体型も変わり髪の毛もちょっと薄くなったが、今も心の底にある熱い思いだけは失いたくない。
8月にレベッカに会えたら、もっとこの気持ちが強くなるんじゃ無いかと今からウキウキしています。
これからもたまにREBECCAや80年代の音楽をYouTubeで観たり、スマホで聴いたり車で聴いたりして心にしまった情熱を呼び起こすことは、いくつになっても辞めないだろう。

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