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あの日を忘れてはならない 東日本大震災から12年

こんにちは、Hideです。

12年前の2011年3月11日14:46、未曾有の大地震が起こり大津波が、東日本の太平洋沿岸を襲いました。

宮城県沖を震源にしたM9の規模の大地震でした。

死者行方不明者22.312人。

亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。

10m以上、遡上最大40mの大津波が発生。東北地方と関東の千葉まで津波被害がありました。

宮城県に住んでいた私も当時被災しました。

今でもあの時の様子は、はっきりと憶えています。

被災地出身で被災した者としてあの日を忘れてはいけないと強く思っています。

今日は、東日本大震災を忘れてはいけない、というお話をしていきます。

実際体験した事や、被災地で見聞きした様子を語ります。

南海トラフも将来的に来ますし、今後皆さんの命を守る為の参考にしていただければ幸いです。

石巻市大川小学校 震災遺構の画像 親戚が行って撮影した物

遂にきた、大地震

東北地方の太平洋沿岸で30年以内に99%の確率で、M7クラスの大地震が発生すると言われていました。

あの日、大きく揺れた瞬間に、遂にきたなと思いました。

その二日前の3月9日の11:45にM7の前震があり、多少の予兆は感じていました。

時間が短い地震だったので、被害はほぼ有りませんでしたが、かなりの大きさだったのは憶えています。

その日は、仕事で海沿いにいて、地震直後に警察や消防が車で津波が来るので避難して下さいと車から放送していました。

ほんの何秒かの地震だったので、津波なんてことは気にせず、海沿いの行きつけのラーメン屋で食べましたね。

その二日後、嫌な予感がした私は、海沿いに行く予定を変更して内陸の方に行きました。

仕事が忙しい頃で、昼食がまだで、ちょうどラーメン屋に入って注文したところでした。

最初、ドーンと下から突き上げてくるような衝撃があり、向かいで食べている人のどんぶりが一回転しました。
これはヤバいと思い、すぐに外に出ました。

ショッピングモール内の店でしたので、駐車場が広く建物の中よりは安全だと思い外に逃げました。

一発目の縦揺れから大きな横揺れに変わっていき、段々と揺れの幅が大きくなってきました。

これまで経験した事のない巨大なエネルギーを感じる大きな揺れでした。

外に出で間もなく立っていられなくなり、広い駐車場でしゃがんでいました。

買い物客の車は大きく揺れていました。

ショッピングモールの店の中から、ガシャンと物が落ちる音が聞こえ、そのうち停電して店内の照明も消えました。

何十秒かで収まると思っていた揺れもなかなか終わらず、約5分位揺れていました。

だんだん気持ちが悪くなってきましたね。

予想していたよりも長い地震でした。

私も1978年の震度6の宮城県沖地震を経験していたのですが、それなど小規模に感じて今うくらいの大きな揺れでしたね。

揺れが一段落してから、徐々に情報が入ってきました。

私がいた場所の近くの野球場で証明等の電球を好感していた作業員の方が、揺れで柱に打ち付けられて亡くなった。

余震が酷かったので、しばらく待機していましたが、一時間後に自宅へと車を走らせました。

全国各地の友人達から、心配のメールが続々ときました。

帰りの国道が渋滞中でナビでテレビを見ていたら、仙台空港に津波が襲来したのが映って、近くにいたので、波が来たら、車を捨てて、山側に逃げる準備をしていました。

普段一時間で着くのですが、結局5時間かかって家に辿り着きました。電気が止まり真っ暗の町になっていました。

仙台市立荒浜小学校 一階の給食室 津波で窓が突き抜けています

巨大津波襲来 まさか仙台に津波くるとは思わなかった

帰る途中、ラジオから仙台の海水浴場のある町に津波が来て、家や多くの人とニュースが入ってきました。

最初デマかと思ったら、太平洋沿岸の多くの場所に大津波が来たのを知るのは何日か後でした。

あーもう東北は終わったなと感じてしまうくらい絶望を感じました。

宮城県の仙台市にまで津波がくるなんて思っても見ませんでしたね。

昨日その大津波が襲った震災遺構になっている小学校に行ってきました。

それを見て改めてあの日の凄まじさを感じられました。

小学校の二階まで津波が上がってきたらしいです。

仙台市立荒浜小学校 津波がきた二階の教室

津波から逃げきれず亡くなってしまった人もいました。

東日本大震災は、海溝型地震と言われ、阪神淡路大震災とは異なる地震でした。

亡くなられた方の90%は、津波によるものでした。

津波の力の大きさは恐ろしいですね。

特に長い時間揺れたら、震度が低くても津波が来る場合があります。

地震が来て揺れが収まったら、海や川からはなれ高台もしくは、津波タワーや高い建物に逃げましょう。

うちの親戚も、運転中に津波が迫ってきて、車を乗り捨て土盛りの高速道路に駆け上がって難を逃れたそうです。

防潮林が津波で歯抜け状態になっています
震災後、沿岸近くを走る 嵩上した幹線道路

あの日を忘れてはならない

地震後は、電気水道ガスなどインフラが止まったり、食物や生活用品の物資が不足したり、生活が落ち着くまで2カ月はかかりました。

海沿いはもっと時間がかかり、グランドや学校が避難所がになり何年も避難所生活を強いられた方が沢山おられました。

月日が流れいつしか、震災の事も忘れがちになりそうですが…

多くの犠牲者が亡くなられたことを無駄にしてはいけません。

今後起こる南海トラフ地震ににも教訓を生かし、より多くの人達が地震被害から逃れてほしいです。

我々が経験した教訓を未来の日本に活かしていただきたいのです。

昨年は震災遺構に212万人が訪れたそうです。これまでで最多数との事で、震災を忘れてはならないという意識があるのですね。

本日、14時46分に黙とうをします。

決してあの日のことを忘れてはならない!

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