見出し画像

80年代 煌めいてた いつも隣にいた音楽 洋楽シリーズ 最終回<86年〜88年>

こんにちは、Hideです🎵

80年代洋楽ヒットシリーズも、4回目にしてやっと最終回を迎えました。

日本では、バブル初期の効景気で国民の全て浮かれてましたよ。

85年位から音楽も本格的にデジタル化へと向かっていきました。

それまでは、YMOの様な大きな設備が必要だったのが、楽器や機材もコンパクトになり、価格も下がり、以前より誰もが手軽にコンピューターを演奏に活用できる様になってきました。

アメリカのミュージシャンは早くにデジタルを取り入れ、個性溢れる特色が強い作品を作り出してました。

好景気に沸く日本で流行した洋楽ヒット曲の数々をお楽しみ下さい。


『TheFinalCountdown』 /  EUROPE                           1986年2月リリース

スウェーデン出身のハードロックバンド。

1986年に発売されたオリジナル・アルバム『ファイナル・カウントダウン』からの先行シングルとして発売され、全世界で780万枚の売上を記録した。

イントロのファンファンーレのようなシンセサウンドが耳に残った、いかにも80年代ロックといった曲でした。

サビの盛り上がりがPOPでイキの良さが格好良かったですね。

『Venus』 /Bananarama  1986年5月リリース

原曲は、1969年オランダのロックグループのショッキング・ブルーのシングル。

当時のビルボードで1970年2月に週間ランキング1位を記録した。

今回紹介するバナナラマは、イングランド出身のガールズグループ。

16年振りにカバーとしてまたビルボードで、週間1位を獲得した。

3人組の美女が歌うセクシーでダンサブルな「VENUS」はギターのキレの良いカッティングとシンセサウンドが折り重なったサウンドが曲を盛り上げ、妖艶で華やかな曲に仕上がっています。

シンプルなアレンジで横ノリのダンスミュージックと化した「ヴィーナス」は、ドライブミューシックとして、活躍した曲でもあります。

『Say You, Say Me』 / Lionel Richie  1985年11月リリース

リッチー自身が作詞作曲し、映画「ホワイトナイツ/白夜」の主題歌にも起用された。

じっくり聴けるミディアムバラードに仕上がっている。

曲中の良いポイントで、シンセが効果的に使われていて、しっとりとした雰囲気をより盛り上げている。

曲の途中、テンポが変わる部分が入り、また戻るところもこの曲の特徴だ。

「ウィーアーザワールド」でも音楽的にリーダーシップをとり、錚々たるアメリカを代表するアーティスト達をまとめた。

リッチーの人柄を感じさせる曲だったなぁ〜と思います。

『The Loco-Motion』 / Kylie Ann Minogue  1987年7月リリース

1962年にアメリカのリトルエヴァのシングル曲(ビルボード1位)のカバー。

カイリー・ミノーグはオーストラリアビクトリア州メルボルン生まれのシンガーソングライター・女優である。

オーストラリアで制作された彼女が出演したドラマ内で、この「ロコモーション」を歌ったところれ、レコード会社との契約が成立した。

オーストラリアで7週連続チャート1位という大ヒットを記録する。

日本でも洋楽チャートで1位を獲得。

60年代のアメリカのスタンダードナンバーを原曲のイメージを大きく変えず、軽快かつリズミカルにカバーした事と、ミノーグのキュートな声が曲にマッチしていたところが良かったと感じる。

1年後の88年に、ワールドワイドバージョンとして再発売する。全英で2位、全米でも3位を記録する。

懐かしい曲が新たなアーティストによってカバーされヒットに繋がる事は、80年代では珍しくなかった。

彼女も見事、往年の名曲で大ヒットを飛ばしたシンガーとなった。

ノリが良くてシンプルに楽しめる曲ですね、私も車の中で楽しく聴いていました。

『 Nothing's Gonna Stop Me Now』 / Samantha Fox   1987年リリース

イギリスの元グラマーモデルのダンスポップ歌手。

シンセサイザーをディスコ調のリズムに上手く使ったダンスミュージック。

シンプルなダンスソングだが、後半の転調がまた味のある作品になっている。

お洒落な大人の女性が歌うダンサブルソングで、彼女のキャラクターが生かされている曲だと思う。

ギターソロも入り多少ロックの要素もあるが、陽気でノレる曲だ。

『この愛に全てを』原題:Simply Irresistible / Robert Palmer   1988年リリース

スーツの似合うロックミュージシャンとして男性が憧れたロバートパーマー

イギリスのロックミュージシャン。

85年にグラミー賞で、最優秀ロックボーカルパフォーマンス賞を受賞。

この曲でも全米2位になり、グラミーで2度目のロックボーカルパフォーマンス賞を獲得した。

1997年にイギリスウェンブリースタジアムで行われた、エルビス没後20周年を記念したライヴイベント「songs and visions」で、アジア代表矢沢永吉と共演し、矢沢の楽屋に激励のメッセージを添えた花束を贈った。

矢沢とは同い歳である。

イギリスのちょいワルおじさんがハードでポップに歌う、ロックは渋くて格好良いです。

声も大人のロックに似合っていて、この曲に所々に入る、ナイフで切る様な効果音もまた曲を盛り上げている。

PVで、美女達をバックに、ポップかつハードなギターサウンドに乗って歌うロバートパーマーは渋くて格好良かったです。

『Orinoco Flow』 / Enya 1988年リリース

エンヤは、アイルランド出身の歌手。

この曲は、日本を含めた各国でチャートインしている。

私もCDを持っています。

曲の断片を聴いただけで彼女とわかるほど特徴的である。

デジタルMTRによるボーカルの多重録音が音楽性の根幹である。

日本の大瀧詠一が得意としていたナイアガラサウンドの様だ。

1980年代としては最高峰となる144chのトラック数を誇るデジタルMTRも2台用いて、神話の世界をモチーフにした歌詞と共に、他の何とも似ていない力強く重厚な世界観を特徴としていた。

この為、アルバムのリリース間隔は4〜6年。

1曲制作するのに3ヶ月を費やすこともあるそうだ。

幻想的な歌声と演奏はそこから生まれている。

当時、日本でも幻想的な曲調がウケて、明石家さんまのMC番組「恋のから騒ぎ」にもエンヤの曲が主題歌で起用された。

土曜日の23時からの番組に妙に合っていたという印象が強い。

今までにない、世界観を感じたシンガーだった。

1980年代洋楽 総括

1980年代にリリースした洋楽ヒットナンバーから、私がチョイスしてお送りしてきましたが、この辺りで終了致します。

80年代は日本ではディスコ全盛期で、ディスコで流れる曲がヒットする事がお決まりになっていた。

今でも、思い出の曲を聴くと、ミラーボールで輝いていたディスコのホールが記憶に蘇ってきます。

車の免許を取って、友人達とドライブでカーコンポで聴いたノリノリの曲や、朝日を見ながら聴いた心に沁みるバラードまで…

記事を書きながら、古き良き時代だった風景を回想してしまいました。

青春時代でしたね〜

80年代中盤も過ぎてくると、日本のミュージックシーンも著しい発展を遂げ、外国の真似ではないジャパニーズポップスやロックも誕生してきました。

やがて90年代に入ると、日本のポップスミュージックは、J-POPと呼ばれるようになる。

私も80年代後半は、洋楽を聴く割合が少なくなってきました。

日本人が洋楽をカバーしたりしていましたが、原曲と遜色なく、いやそれより格好良く仕上がっていた曲もありました。

こちらでは紹介しませんでしたが、83年イタリア男性歌手のガゼボの「アイライクショパン」のカバーの、小林麻美が歌った「雨音はショパンの調べ」などがそうです。

86年に、フィンツィコンティの「CHACHACHA」(オリコン洋楽チャート9週連続1位、総合14位を記録した)を石井明美が、明石家さんま主演のドラマ主題歌としてカバーして、オリコン1位を記録している。

どちらも、アレンジ演奏歌を含めたクオリティの高さは、本物に負けていなかったですよ。

そう考えると、80年代は日本のミュージックシーンが飛躍的にレベルが向上して、世界に追いついてきた時期とも言えますね。

もうロックやポップスも、外国の音楽じゃない、日本にも本当のロックやポップスが存在する、ということを証明したのも80年代だと感じています。

シティーPOPというジャンルが生まれたのもこの頃でした。

私はまだ20代という若くて今より多感な頃に、煌めく時代を過ごせてとても幸せだったと感じています。

杜の都のロックンローラーHideの、音楽の原点は80年代にあると言っても過言ではないでしょう。

計4回に渡ってお送りしてきた80年代洋楽ヒット特集でしたが、今回で最終回になります。

お付き合いありがとうございました。

もう40年以上も経っているなんて思えないくらい、自分の中では未だに80年代は煌めいています。

心まで煌めいていましたね、あの頃は…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?