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最近読んで面白かった本。『フットボールクラブ哲学図鑑』他。

フットボールクラブ哲学図鑑/西部謙司

有名クラブの哲学を歴史と絡めて紹介する本だ。
中でもレアル・マドリード、バルセロナ、リヴァプールが面白かった。

レアル・マドリードの哲学は「強い奴を集めてとにかく勝つ」。
戦術どうこうじゃなく、個の強さで圧倒していくスタイルらしい。あまりにも王者すぎて笑ってしまった。
そんなレアル・マドリードは「ときに理由なく勝ち、今も勝ち続けている」のだそう。かっこよすぎる。

バルセロナも面白い。
戦術の不足を個で補うレアル・マドリードとは対照的に、緻密な戦術を追求するこのクラブは勝つときは勝つべくして勝ち、負けるときは負けるべくして負けていた。
強固な哲学を持つこのクラブで生まれた最高傑作がメッシ、しかし彼はその規格外の才能によってこのクラブの哲学を破壊してしまったらしい。なんてこった。

とうとう完成させた最高傑作によってこれまでの全てが瓦解してしまったバルセロナは、まるでピタゴラスのようだと思った。
彼は研究の果てにピタゴラスの定理を完成させる。しかし同時に無理数√2を発見してしまい、それによって「この世は有理数で出来ている」という自身の根本思想が覆されてしまった。

リヴァプールは他のビックチームほどの資金力を持っていない。それでも勝つために、他のチームとは異なる戦術をとることで、その戦術に合う選手を他のチームと競合せずに取ってくるという戦略をとっているらしい。
そんなリヴァプールの戦術を簡単にまとめるなら「全員平等なハードワーク」。
主人公みたいでかっこいい。人々がリヴァプールを応援したくなる気持ちが分かる。

さて、なんでこの本を読んだのかというと、ある疑問を解決したかったからだ。
海外の特定のサッカークラブを応援し続ける人は、一体何を応援してるんだろうとずっと不思議に思っている。選手も監督も入れ替わっていくのに、海外の縁もゆかりもない地のクラブの何を?
その疑問のヒントが哲学にあったりするのかな?と思ってこの本を読んだ。
結局この本から疑問の答えは得られなかったけど、それでも面白いので良かった。

悪魔に仕える牧師/リチャード・ドーキンス

リチャード・ドーキンスのエッセイなどを集めた本。
彼がダグラス・アダムス(銀河ヒッチハイクガイドの作者)に捧げた哀悼の辞を目当てに読んだ。「マウンテンゴリラとクロサイは勇敢な保護者を失った」ってやつ。
ドーキンスもアダムスも共に無神論者であるため、ドーキンスはアダムスの冥福を祈らず、ただ残された自分達の悲しみを語るだけなのが印象的だった。

ついでに他のエッセイも読んだけど、リチャード・ドーキンスが宗教を嫌いすぎてて笑えた。ポストモダンのことも「あんなのは訳の分からん戯言だ」みたいに批判していて、それにはかなり賛成だった。戯言かは分からないけど、確かに訳わかんねーよな。
あとは進化論への賛辞が印象深い。

しかし私は、ダーウィン自身の勝利が、この宇宙のいかなる安楽椅子からでも送り出すことができたはずであるにも関わらず、実際には、この特別な惑星を巡る五年間にわたる世界周航の副産物であったことを忘れることができない。

悪魔に仕える牧師

そうだよなって思う。地球に限らず、宇宙の果ての知らない星の、想像もできないような生き物達にすら適用される極めて普遍的な法則。これが個人の実際的な体験から生まれたってのにロマンを感じる。

天の光はすべて星/フレドリック・ブラウン

壮年の男が宇宙飛行士を目指すSF。

あれー?しょうもない本か?と思っていたら、234ページから面白さが怒涛の追い上げを見せて、あれよあれよという間に大事な一冊になってしまった。

水面に落下する描写が美しすぎる。

フレドリックブラウンらしく正気と狂気が綱引きするような話で、やっぱりフレドリックブラウンの本が好きだなと思った。

これが過ぎ去った未来のSFであるというのも面白い。
この小説が出たのは1953年。つまり、作中で主人公が過ごす1997〜2001年は、小説が書かれた時点では約50年後の未来だ。
未来に思いを馳せて書かれた小説を、既に過ぎ去った過去の物語として読む。この行為自体に不思議さを感じる。
未来に向いた作者の目線と、過去に向けた読者の目線が、作中の時代で衝突して、まるで目と目が合ったかのように錯覚する。
まあ作中の20世紀末と実際の20世紀末との間には結構な差があって、作者と読者、両者の視線は、実際には衝突せずにすれ違っているんだけれども。

大好きな本になったので、後々単独で感想を書くかも。

宿題:天の光はすべて星の感想

猫のゆりかご/カート・ヴォネガット

滅亡系のSF。有名なアイス・ナインはこの小説に出てくるアイデア。

初ヴォネガット。面白すぎた。
読んだのが平和記念日の前日で、原爆が重要なモチーフとして出てくる本作を読むのにすごい良いタイミングだったなと思った。

ダグラスアダムスを先に読んだからあれだけど、読む順番によってはこれが人生の一冊になってた可能性も全然あるなとも思った。

ダグラスアダムスが如何にヴォネガットから影響を受けているかを感じられた。そして、ダグラスアダムスとヴォネガットの人生観、人類観においての相違点も感じられた。

その辺りは後々単独の感想で書こうと思う。

宿題:天の光はすべて星の感想、猫のゆりかごの感想

宗教的経験の諸相/W・ジェイムズ

プラグマティズムの観点から宗教を分析したWジェイムズの本。彼が約100年前にエディンバラ大学で行った講義が元になってる。
1ヶ月以上かけてチビチビ読み進めていた。

ずっとプラグマティズムに対して、「真理なんかを追い求めるよりも、とりあえず自分達の役に立つかどうかじゃね?」って感じの、冷めた思考のイメージを抱いていたけど、それは間違いだった。
「お題目はどうでも良いんだよ!俺をどう救ってくれるんだ!?」みたいな、上手く言えないけど熱さを感じた。

プラグマティズム的な分析であるが故に、「宗教には信じるに足る根拠があるのか?」という部分には全く触れない。
信仰の根拠や真理ではなく、その結果得られるものについて評価するため、お客様目線の「私に信じさせてごらんなさい?」というようなスタンスで読んでいては何も得られない。もっと前のめりなスタンスが要求される。

大学生の頃に一度読んだんだけど、そのときには何も分からなかった。

こういう、普段の自分とは異なる価値観に合わせた上で内容を理解していく読書は新鮮で楽しかった。
未知の価値観を知る読書ならたまにするけど、読む上で未知の価値観を必要とする読書ってのはなかなかない。

自分の中に異なる価値観を仮設した上で、その価値観に沿って読む、例えるならエミュレータでゲームをプレイするみたいな感じ?

珍しい体験が出来たので、この本についても単独で感想を書きたい。

宿題:天の光はすべて星の感想、猫のゆりかごの感想、宗教的経験の諸相の感想

余談:スッキリ

最近読んだ本の感想を書くにあたって、「この本については単独で書きたいから今は置いとこっかな」とかごちゃごちゃやってるうちにどんどん本が溜まっていってしまったので、一旦全部書き出してスッキリさせた。

スッキリと言えば、最近長かった髪を角刈りにした。したというか、なっちゃったというか。
前髪が目に入って鬱陶しかったので、「いっそめちゃくちゃに短くしたれ!」と思い、床屋のおばさんにスポーツ刈りを頼んだ。そしたらなんか角刈りになっていた。

バリカンを当てて髪をゴリゴリ刈り取っているあいだ、おばさんも僕も変にテンションが高くなっていた。取り返しのつかないことをやっちゃってる共犯感というかなんというか。毛量が多いから刈りごたえもあったんだろうな。
ところでスポーツ刈りという髪型がどんなものを指すのかを僕は知らない。

本の感想まとめ

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