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ドラマ版『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』EP1,2の感想

ついにこの時が来てしまった……!
僕の人生の一冊である、『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』のドラマ版がディズニープラスで始まった。

僕がどれほどこの本を愛しているのか、そしてその映像化にかつてどれほど傷つけられたのか、書きたいことはいろいろあるけど、とりあえず一旦置いておく。

これから完結まで、毎週各話の感想を書いていこうと思う。

ドラマ版のネタバレは当然として、原作のネタバレもガンガンしていくので気を付けてください。

文を整える心理的な余裕はなかったので、見た直後の勢いのままの殴り書きを載せることになりました。これもリアルで良いかなと思う。


見る前の意気込み。公開初日の夜。

パーシー・ジャクソンシリーズは2度映画化されている。
1巻を割とそのままやった『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』と、2巻を結構変えてやった『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々 魔の海』の2つだ。
そのどちらも酷い出来(特に2が酷い)で、僕の心にトラウマを残した。
それから月日は流れ、今から3年ほど前に、著者のリックリオーダンのHPで「ドラマ化が決定した」という発表がなされた。

こえー、見るのこえーよ。この日を3年以上待ち望んできたのに、当日になったら急に怖くなっちゃった。
一度裏切られてるんだよな。しかも子供の頃に。酷かった映画版。小さすぎて、映画を観てつまらないと思ってはいけないと思っていたあの頃。

また裏切られるのが怖い。だけじゃなくて、形になってしまうのが寂しいというのもある。これまで想像していた様々なイメージが、実際にそこにあるドラマ版に収斂してしまう寂しさ。
まあいい、小説版を聖典として、このドラマはあくまで一つの解釈として考えよう。そうすれば大丈夫。イメージと違う人達が出てきてもショックを受けずに済む。

思えば予告編すら見てないんだよな。怖くて見れなかった。いやでも、もう先延ばしにはできないぞ。行くか。見るか。

水飲んだら見る。スマホの電源は消す。

EP1

見終わった。
マジか……。これ微妙なやつだ。
うわー、結構来るな。
いや、まだこっからどうなるかわからんけど。少なくとも今の所「面白かった!」とはなっていない。

母親とパーシーがペルセウスの彫像をみた過去エピソードが追加されてる。
英雄っぽい人が本当に英雄で、怪物っぽい奴が本当に怪物なの?みたいな話。
これって、Mr.Dとペルセウスとの因縁への前振りなのかな?いや、それよりは、今回のドラマ版ではメドゥーサを倒さない、みたいな感じで大幅な展開の改変が入ってきそう。
ゲイルもクズ男からダメ男くらいにまでマイルドになってたし、ラストのオチも変わってそうだな。
これに関しては今の段階で好き嫌いの判断ができない。

キャラ達がイメージと違うってのはもうどうしようもない。小説の映像化では原理上避けられないこと。
でもパーシーから悪ガキ感が脱臭されて、ただ馴染めずいじめられてる可哀想な子になってるのはどうなんだ?これかなり気に食わないんだけど。
でもこれも後の改変された展開に合わせたチューニングなのかもしれない。今の段階では結論を出せない。モヤつく。
後細かいところだけど、髪の毛は黒にできませんでしたか?茶髪だと「ワカメ君」にならないじゃん!

あとトランジションでゆっくりした暗転が多くて、ちょっとテンポ悪く感じちゃう。

結構ダメージがでかい。でもまだつまんないって訳でもないので、頼むから絶対に手のひら返しさせて欲しい。本当に頼むぞ。

EP2

あかん、やっぱ微妙や。

出てくるキャラみんなイメージと違う。これ自体は良し悪しではない。
懐かしいなこの感覚。漫画の映像化とは訳が違うんだよな。小説ではイメージが各々の頭の中にしかない(表紙絵や挿絵がある場合はその限りではないけど)ので、そもそもイメージがズレるのは当然。
昔、デルトラクエストがアニメ化したときにもこんな感覚を味わったな。
今となってはアニメ以前にリーフ達のことをどんな姿で想像してたのか思い出せない。
だから今ここで各々のキャラに対して元々どんなイメージを抱いていて、ドラマ版はそこからどうズレていたかを残しておくことには価値がある。

子供の頃に小説を読んでたときには、当然ハリーポッターの映画が既にファンタジーの強烈なモデルとして脳内にあって、キャラクター達は特に人種の表記がないときには全員白人のイメージだった。

アナベスは、そばかす混じりの女の子みたいなイメージだった。考えてみるとそこまで明確なイメージがあったわけでもないな。ドラマ版のアナベスは、勝ち気でクールな雰囲気をちゃんと纏っていた。

ケイロンは50代くらいのイメージだった。てかドラマ版のケイロンおじいちゃんすぎない?あなた戦えるんですか?

ルークは金髪の正統派イケメンのイメージだった。
ドラマ版のルークちょっと嫌なんだよな。こいつすげー裏切りそうじゃん。先の展開を知ってるからそう見えちゃうだけ?

そんでMr.D、これはザックガリフィアナキスとか、ジャックブラックみたいなイメージだった。当然当時はその2人のことは知らないけど、パーマ気味でビール腹の中年、みたいな感じ。
ドラマ版のMr.Dは決定的にイメージと違う。それにこのイメージの違いは結構嫌。(パーシーほどじゃないけど)
ブルックリンナインナインのエイドリアンがMr.Dを担当することはリックリオーダン(著者)のHPを見て知ってた。
エイドリアンは狂気的なキャラ、Mr.Dは酒の神であると同時に狂気の神でもあるので結構合うんじゃ?とか思ってたけど、そもそもこのドラマのMr.D像は小説版と違う。
怠惰なダメ中年のような振る舞いとは裏腹に、サテュロス達に恐れられていて、実際どことなく恐ろしさがある存在って感じだったのに、恐ろしさがオミットされて陽気なおじさんくらいになってる。
まあでも、ブルックリンナインナインのエイドリアンのことは大好きだし、見てるうちに「これはこれであり」ってなってくるのかもしれない。

グローバーはもっとノッポで面長のイメージだったけど、結構イメージと近い。

クラリサは髪の毛を上で結んでる、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のホルガみたいなイメージだった。

こんな感じだ。イメージと違うのは当たり前なので、これは不満ではない。
ただし、パーシーとMr.Dは明確にキャラクター性にチューニングが入っていて、それは今のところ不満。今後「これはこれであり!」ってさせて欲しい。お願いだから。

旗取り合戦がつまんなそう。水で強くなる描写は映画版の方が良かった。こんなことある?あの映画版の方が良かったなんて。

確定(=認知)の問題に深く触れるつもりなのは好印象。パーシージャクソンシリーズの根幹の部分なのに、映画ではそこは結構スルーされて、普通の冒険ものになってたような覚えがある。

こういう、神々の営みの被害者、みたいな方向を掘り下げていくつもりなのかな。
言ってしまえばメドゥーサなんかは神話の犠牲者な訳で(メドゥーサが怪物になったのにはポセイドンも関わっている)、それをただ退治するって話にはならなそう。
実際原作の方でも、最終シーズンの『アポロンと5つの神託』では神の横暴の話をがっつりやっていた。
その視座を持って1巻を描き直す、みたいな試みなのかもしれないな。

まとめ

同時に公開されたEP1,2の感想はこんな感じでした。
今の所「理想のドラマ化だ!」と言えるようなテンションではないです。

でも、「原作をなぞるだけのドラマにはしないぞ」という意気込みがすでにうっすらと漂ってきていて、だとすればその意気込みは買いたいと思っています。

「良いドラマだったな」と振り返れるようなシリーズになってくれたら良いなと思います。

今後の予想

予想を楽しめるのはリアルタイムの特権なので、しっかり享受していこうと思います。
小説版からの変更点として

・パーシーが母親とペルセウス像を見る過去が追加されている。
・ゲイルがクズ男からダメ男になってる。
・パーシーがより「確定システム」に不満を抱いている。

があり、これらの変更点から。

・ドラマ版のパーシー達はメドゥーサを倒さず、それに伴って「ゲイルの元にメドゥーサの生首を送りつけて石にする」という小説版のラストも無くなるんじゃないか。

という予想が立ちます。
どうなるのか楽しみです。

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