原点にして頂点の「おかえりパターン」。『ブレイブ・ストーリー』の感想。
小さい頃映画館で見て以来、多分今回が2度目だと思う。もしかしたら3度目かも。
改めて見たらかなり薄味で「こんなもんだっけ?」という感想を持ちもしたけど、それでも懐かしくて楽しく見ていられた。
「おかえりパターン」
それになんといってもこの映画には「おかえりパターン」がある。
おかえりパターンとは、物語の終盤に発生する、主人公が影の自分を受け入れ、合一を果たす展開のことだ。
おかえりパターンの例
・ナルトの真実の滝
・猫物語白の羽川翼
全ての物語はおかえりパターンを採用すべきって思うほどにおかえりパターンが好きなんだけど、そのフェティシズムの大元には間違いなくこのブレイブストーリーがある。
ずっと一方的な戦いを進めてきた影のワタルが、最後、武装を解除し無防備になったワタルの前で涙ながらに内心を吐露し、ワタルは静かにそれを受け入れる。完璧だ……。
しかし、物語全体の中でこのシーンを見ると、物足りなさも感じてしまう。
・母親を救うためなら何でもすると誓ってヴィジョンへ行く。
↓
・旅の中で人々と触れ合う内に、ヴィジョンにも価値を見出すようになる。
↓
・最初に持っていた願いと新たに見出した価値を影との戦いの中で天秤にかけ、どちらを優先すべきかを決定する。
おかえりパターンに向けて、こんなふうに物語は進んでいったんだけど、旅の要素が薄すぎるせいで、もしくはワタルが最初から周囲の人間を尊重しているせいで、「旅をしてきたからこそワタルはこの決断ができた」という感慨がなく、物語的全体と呼応するようなカタルシスがなかったのが残念。
まあ別にそれでも良い。
極論おかえりパターンさえあれば何でもいい。僕はおかえりパターンを愛している。
その他、細かな感想。
・ミツルはもっと穏便に手に入れられる宝玉を狙うんじゃダメだったのか?わざわざ魔族を解き放たなくても、皇女の白い宝玉を貰えばそれで万事解決してたくね?
と、肝になる宝玉と願いのシステムがちゃんと説明されないので、穏便に解決可能な問題を不合理に大ごとにしてるだけのようにも見え、次第にどうでも良くなってくる。
・その後の皇女の「ミツルを止めて」って願いも冷静に考えると意味がわからない。もう魔族は解き放たれちゃってるわけで、今更止めるもクソもなくないか?今からミツルを止めたとして、それはただミツルの願いの成就を邪魔するというだけの行為なんだけど。
・Aqua Timezの主題歌「決意の朝に」がめっっっちゃくちゃ良かった。
・「だって、お母さんが!!!!」←まーじで良い。
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