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「映画ドラえもん のび太の新恐竜」の感想

子育て、子離れの映画ではなく、逆上がりの映画だった。

友人が「糞映画だ」と言っていたから観た。タイトルロゴやポスターのビジュアルはスッキリしていて良さそうなんだけどな。
(僕は「のび太の恐竜2006」世代なので、これから書く感想は「のび太の恐竜2006」ありきの感想になっている。)

恐竜博の化石発掘体験で、恐竜のたまごと思しき化石を見つけるのび太。ドラえもんの「タイムふろしき」でその化石を元の状態に復元すると、新種の双子の恐竜が生まれる。キュー、ミューと名づけて愛情深く育てるのび太だが、やがて彼らが生息していた6600万年前の時代に帰すことを決意。
(Googleトップのあらすじ)

障害は甘え!!仲間はずれにされるのも甘え!!全てはお前の頑張り次第!!!おら!頑張りが足りてねえぞァ!!!
って感じのマッチョな映画だった。ベンチャー社長とかはこの映画好きそう(偏見)。

飛べないから同種の恐竜達に仲間はずれにされてしまったキューを「そんなんじゃダメだろ!飛べるよう努力しろよ!!!」と叱咤するのび太。その後キューに辛く当たってしまったことについて「ダメ人間の僕に言われてもだよね」と自らの弱さを吐露するのび太に、しずかちゃんが「私は優しいあなたが好きよ」と言い寄る。すげー映画。

そして手がかからないが故に愛を注いでもらえないミューに涙。彼女は「羽があるのに飛べない」というキューの個性を際立たせるためだけに生まれてきた。

隕石から恐竜を守ろうとするのび太が、タイムパトロールに捕縛されるシーンはめちゃめちゃ良かった。のび太のエゴがここまではっきり断罪される展開は見たことがなかったし、近しい誰かの命を守るために歴史を捻じ曲げることの是非、みたいな問いが見えて面白かった。
でも、のび太とキュー達ノビサウルスだけはそういう倫理的問題の例外であることが、突然出て来た謎のひみつ道具「チェックカード」で判明して、なんか問いそのものが無効化されていた。よかったよかった。(補足1)
(ラジカルな結論を出すことに怯えて問いを撤回するのは誠実な態度なのか?新鉄人兵団でのエグすぎる歴史改変攻撃を見習って欲しい。

補足1
未来人の恐竜博士曰く、ノビサウルスは今後鳥に進化して生き延びる運命なので、ここでのび太が救うこと自体が歴史的には既定路線であるとのこと。つまりのび太のエゴと世界の要請は一致しており
のび太「なーんだ、悩む必要なんてそもそもなかったんだね!僕の行動は世界によって全面的に肯定されている!」

恐竜達とのお別れのシーンも、爽やかにお別れするためにキュー達の物分かりが良くなっていて嫌な恣意を感じた。のび太がピー助に背を向け、無様にタイムマシンに這い登った「のび太の恐竜2006」には遠く及んでいなかった。

そして、本作は「のび太の恐竜2006」にはあった、のび太達がのび太ママと向かい合う帰宅シーンをカットして、のび太が逆上がりを成功させるラストシーンで締めている。その辺りも気に入らなかった。
本作の最後で、のび太の両親はもう画面に出てこない。この映画は自分と相手の関係性を描く子育ての映画じゃなくて、自分だけが存在する逆上がりの映画だ。ここには自己成長しか無い。(補足2)
なんかベンチャー社長が好きそうな映画だった(偏見)。

補足2
この映画にはのび太の自己成長しかないという前提で思い返すと、のび太が飛べないキューを叱咤するあの衝撃のシーンにも納得が行く。
のび太にとってキューは他者ではなく自分自身なので、あそこで行われているのは虐待ではなく、ただの自己嫌悪なのだ。そしてその自己嫌悪は特に葛藤も生まず、しずかちゃんによって既定路線的に癒やされることになる。「チェックカード」でのび太の葛藤が先回りして解消されたように。
(あれ、これは自己成長ですらないのでは?)

とにかく本作は、のび太がピー助を育て、そして別れるといった、他者との関わり合いの中での成長を描いた「のび太の恐竜2006」とは、テーマの根本がすり替えられている。


とまあ話の内容は良くわからなかったけど、クライマックスでは感動的な映像に合わせて感動的な音楽が流れていたので感動しました。ぼくものび太みたいにさかあがりをがんばりたいです。

・6600万年前に行ってからキュウの同族に会うまでの30分間はマジで虚無だった。
・ピー助を出してこっちを懐柔しようとしやがって。その手には乗らねーからな!!!

しかしポスターは爽やかで良い。(^^)
(そしてのび太の視界に入らないミューに涙)

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