「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」の感想
人生で初めて見た洋画。世間での評価は低いらしい。悲しい。ティラノサウルスがアメリカに来ちゃう終盤とかマジで最高なんだけどな。
落ちかけるトレーラーのシーンと、背の高い草むらの中でラプトルに襲われるシーン、鉄棒の大車輪からラプトルにキックするシーン、ティラノサウルスが街を走り回るシーンをめちゃめちゃ覚えている。
客として招かれ、事態に巻き込まれた前作と違い、今作では主人公のマルコムはプロとして目的を持って島に赴いているので、旅程が前作よりもハードになっていて、なんというか行軍感が強い。それに伴ってかマルコムのキャラもヒロイックにチューニングされている。
昔は独立した映画として見ていたけど、今回、1作目からの流れで見てみたら、ハモンドのスタンスが前作から180度変わっているのが気になった。
人々をワクワクさせるために恐竜を作っていたのが、4年経った今作では恐竜を人間の干渉から守ろうとしてる。
マルコムにその点を指摘されたハモンドの答えは
「罪を償う最後のチャンスなんだ」
この罪というのは、自らのエゴで命を作り出した罪なのか、それを制御できると思い上がっていた罪なのか。
どちらにせよ、この爺さん前作の最後でそんなことを考えていたのか。
前半で人間が恐竜の世界にお邪魔し、終盤で恐竜が人間の世界にお邪魔する大まかな展開は前作と共通しているけど、今作は前作と違って恐竜に感情移入させる作りになっている。
子を思う母親、みたいな人間にも理解しやすい論理で動く恐竜の描写や、恐竜ハンターによって見せ物として捕らえられる可哀想な恐竜の姿は、彼らに感情移入させやすくする一方で、彼らに対する畏怖を減退させてしまってもいる。(補足1)
この2作目での判断が良くも悪くも後続するシリーズの方向性(恐竜のキャラクター化)を決定的に決めた感じがする。
良くも悪くもとは言ったけど、シリーズ化する上では妥当な判断だったと思う。感情移入をさせないままシリーズを続けていても、1作目の劣化コピーが量産されるだけになっていただろうし。
この恐竜の被害者性は、前作の議論をより深めたものになっているということにも触れたい。
前作では人間がそのエゴによって恐竜を復活させることの是非と、パーク恐竜は本物の命なのかどうかという点が問われていた。
一方今作ではパーク恐竜は本物の命なのだということを認めた上で、生み出すことの是非から今後の付き合い方へと議論が進んでいる。(しかし、ここでパーク恐竜が本物の命だと素朴に認めてしまう姿勢には若干の引っ掛かりを感じる。)
恐竜の創造主である人間は、恐竜に対してどこまでの権利を持っているのかという問いが立てられ、そしてなんの権利も持っていないという答えが出される。
2作通して出た結論は、人間と恐竜、互いに不干渉を守ること。
まあこの不干渉は次作で破られるんだけれど、でもしょうがない、本当に不干渉を守ったらここでシリーズ終わっちゃうし。
そしてこの結論をメタ的に捉えるとある捩れが見えて来る。
というのは、人から恐竜を守ろうという意図の元での不干渉という結論は、恐竜を使った大衆娯楽である映画ジュラシックパークシリーズ自体を批判している。
この自己批判的な結論はしかし、今後もシリーズが続いていくことを知っている現代の僕からすると鼻白んでしまうようなものなので、続くシリーズの中で新しい結論を見せて欲しいなと思う。
感想としては。
・ティラノサウルスの親子愛に感動した。
・人間のエゴに付き合わされる恐竜が可哀想で、それを助ける主人公達がカッコよかった。
・懐かしくて面白かった。
今作の子供について。
マルコムの娘の存在は、子を思う母親ティラノと娘を思うマルコムを重ねるために必要不可欠だ。
しかし、前作で恐竜好きの弟と恐竜嫌いの姉を出しちゃったので、今作の子供は恐竜に対して特になんの印象ももっていないような無の子供だった。
そして、そんな恐竜になんの印象も持ってない子供が、最終的に恐竜にトラウマを植え付けられるとかいうかなり面白い変遷を辿っていた。
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