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バルタザールどこへ行く/少女ムシェット(ロベール・ブレッソン監督)

基本的に私は映画は映画館でしか見ません。それは映画が世界の「今」を伝えるメディアであって、「公開と同時に見ること」に価値を置いているからということと、特に自分は画面の隅から隅まですべてのコマに集中して映画を見たいからでもあります。だから古典的名作も、デジタルリマスターで劇場公開された時、あるいは特定の映画監督の特集上映などの機会で見ることにしています。それでも長年映画ファンであり続ければそこそこ映画を知ることはできます。コロナ禍の状況で頑張っている映画館を応援したいということもあります。


今回は近所のミニシアターで、巨匠ロベール・ブレッソン監督の「バルタザールどこへ行く」と「少女ムシェット」の2作品を見てきました。それぞれ1966年、1967年の製作となっています。
http://balthazar-mouchette.com/index.html


ロベール・ブレッソンがどういう監督なのか、今まであまり考えて来なかったのですが、1901年生まれで第2次世界大戦に従軍しドイツ軍の捕虜になっていることが書かれています。


さて、バルタザールというのは驢馬の名前なのですが、主人公はマリーという女の子。ムシェットもそうなのですが、少女(10代の女の子)が、あれよあれよと言う間に身を崩していく話です。現代の映画では、主人公がどんなに酷い仕打ちを受けても最後には人生への僅かな希望やその余韻を残すように「物語」が組み立てられるのが一般的ですが、「バルタザール」も「ムシェット」も、その悲劇が悲劇のまま突如として映画の幕を閉じる。「バルタザール」の方は、それでも「寓意」ではあるので理解はできますが、「ムシェット」に至ってはもう言葉も無い...。ただそれが、最高に美しい映像と完璧なフレーミングで「描かれてしまう」のがブレッソン映画の特徴でしょうか。


なぜブレッソン監督はこういう映画を撮ったのか。また当時の観客はその「不条理」をどのように受容したのか。ひとつ思うのは、現代よりもはるかに狭いコミュニティーに生きることの「耐え難さ」について、そしてムシェットが彼女自身の「悲しみ」からというよりは「恥」、それも年長の同性からの非難故に「死」を選ぶ(選ばざるを得ない)ことに対して、強く不条理を感じたりします。

「人間」に対する観察眼の鋭さというべきか。カメラの捉える細かな「表情」と「言葉」とのずれ、フレームの外側、「描かれていないこと」への想像力。少女のまなざし。歌。

監督:ロベール・ブレッソン  出演:アンヌ・ヴィアゼムスキー
2020年12月16日

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