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灼熱の魂/ ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『灼熱の魂』は日本では2011年に公開され、自分は2012年の年初めにそれを見ている。衝撃的な映画なのだが、10年以上前の映画でもあり記憶が曖昧になっていて、今回のデジタル・リマスターのトレーラーを見ても、話の展開を容易には思い出せなくなっていた。

そもそも自分が映画や展覧会のメモを書き留めるようになったのはかなり古い話なのだが、それを詳細に他人に見せる形で書くようになったのは2011年の震災・原発事故の後からになる。とにかくショックで作品が全く作れなくなってしまい、仕方なく見たもの(映画や展覧会)全てををそのまま書き綴るようになった。すぐにでも被災地に飛んで「プロジェクト」を立ち上げた者が「アート」の世界での勝者なのだとわかってはいても、自分にはそれができなかったわけだ。今更ながら。

この『灼熱の魂』についても詳細なメモを拙HPにも残しているが(それは追って紹介するが)、映画は母親ナワル・マルワンの遺書に動かされた双子の姉弟ジャンヌとシモンが、カナダからナワルの出生の地レバノンを訪ね、彼女の記憶、生前は決して明かすことがなかった過去の秘密を解き明かす旅路を描いたものだ。冒頭ではRadioheadの『You And Whose Army』が流れている。後からわかるが、ここで睨みつけるような視線を投げかける男の子がこの映画の鍵となる。

Come on, come on
You think you drive me crazy
Come on, come on
You and whose army?
You and your cronies
Come on, come on
Holy roman empire
Come on if you think
You can take us all on
You and whose army?
You and your cronies

Radiohead『You And Whose Army』

以下は2012年1月9日のメモである。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督も原作の劇作家ワジディ・ムアワッドも自分とほぼ同世代であったか…。

『灼熱の魂』(原題はIncendies)はレバノン出身のカナダ人劇作家ワジディ・ムアワッドの戯曲『焼け焦げる魂』をもとに監督のドゥニ・ヴィルヌーヴが脚本を書き映画化したものだ。ムアワッドは1968年生まれ。8才でレバノン内戦を逃れフランスへ亡命、その後カナダのケベック州に渡る。ヴィルヌーヴは1967年ケベック州生まれ。ケベックは17世紀にフランス人が入植し現在でもフランス語のみが公用語だ。
レバノンは南をイスラエルと隣接する中東の国家だ。20世紀初頭、石油の利権をめぐるフランスとイギリスの中東植民地戦略のなか、フランスは旧来のイスラム教の共同体地域(小レバノン)にシリアに属するキリスト教共同体地域を組み込む政治的な線引きをした。このことが後々の民族紛争の火種となるのだが、ともかくは1941年にキリスト教マロン派が多数派となる多宗派国家としてフランスから独立を果たすことになる。関係の複雑さ故に各宗派に政治権力配分がなされ、宗派宗教間の微妙な力関係のバランスでのみ成立するというのがレバノンという国家であった。
もちろん中東の戦後史にはユダヤ問題が絡んでくる。いつまでたっても映画の話に辿り着きそうもないので、イスラエル(ユダヤ人)とパレスチナ(つまりアラブ人/イスラム教)の問題が、レバノンに於けるイスラム教とキリスト教の対立に転化する過程が、この映画の成立する前提になっている故と断りを入れておこう。
1948年のイスラエル独立時点で、パレスチナに住む70~80万人のアラブ人がユダヤ人テロ組織による大量虐殺に追われる形で難民となった。1964年パレスチナ解放機構(PLO)がヨルダンに結成、1967年第3次中東戦争、1970年ヨルダンで内戦(PLO過激派のハイジャック事件に端を発する)でPLOの本部拠点がレバノン南部へ移転する。このパレスチナ難民の流入によりレバノンではアラブ人比率が増加。なんとか保っていたキリスト教/イスラム教の共同体バランスは崩れ、両者の対立の構図が明確になる。重火器を伴った双方の民兵組織の強化の背後には、中東の主導権を掌握したい米国・ロシア、それに対抗するアラブ側と大国の政治的思惑が絡む。そして1975年レバノンは内戦に...。

  *

窓の外には乾いた台地が見える。乾いた風がナツメヤシの葉を揺らす。山間のこの土地で異教徒の子を宿すとはどういうことなのか。異教徒の恋人はその場で銃殺、出産後息子は引き離され、自らが生れ育った村/共同体から主人公ナワル・マルワンは追放される。彼女が求めた「人生」とは何なのか。そして彼女が引き受けた「人生」とは何なのか。中東の地から遠く離れたカナダ・ケベック州で、心を閉ざした母ナワル(1949年に生れ2009年に亡くなる設定になっている)の風変わりな遺言により、双子の姉弟ジャンヌとシモンにその「謎」が託される。「兄と父を捜し手紙を届けること」
内容は極めて破壊的で衝撃的だ。不条理に連鎖される報復の結末には目を覆いたくなる。しかし私たちがこの映画で求められているのは、目を見開いてこの「焼け焦げる魂」の物語の「証人」になることなのだ。個人の小さな物語はいつしか集団の大義に支配され、集団の記憶に書き換えられ、顔を持たない個人が同じく顔を持たない個人を蹂躙する。
2009年ナワルは娘ジャンヌと過ごすプールサイドで、それまでの壮絶な人生をも凌駕する衝撃的な真実を知る。それは彼女の魂を燃え尽きさせるに充分な衝撃であった。公証人のもと、ナワルは入院先のベッドで最後の力を振り絞るように遺言が語られたことが、ここでようやく明らかになる。そして、双子の姉弟ジャンヌとシモンの手によって、彼らの兄であり父でありナワルの生き別れた息子である男のもとに、その「手紙」は届けられる。彼女の「焼け焦げる魂」の手紙は、自らの「人生」の全てを受け入れた上での「赦し」であったことも、ここに明らかにされる。(引用はここまで)

hideonakane 映画日記2より

さて、今年に入ってから見た映画では『ニューオーダー』や『チタン』など、明らかに「救いの無い」映画が散見される。この2011年製作の『灼熱の魂』は、確かに目を覆いたくなるような悲惨な人生を描いた映画ではあっても、そこに未来への、次の世代への「希望」が描かれているのがわかるのだ。しかしどうだろう2022年のこの世界は。私たちがなんとか立て直そうとしてきたはずであった世界は、気がつけばもうすでに取り返しのつかないところまできてしまったのではなかろうか。

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ  
出演:ルブナ・アザバル | メリッサ・デゾルモー=プーラン | マキシム・ゴーデット


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