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やさしい女/ロベール・ブレッソン監督

ロベール・ブレッソン監督(1901-1999)の映画では、「田舎司祭の日記」(1950年)「バルタザールどこへ行く」(1966年)「少女ムシェット」(1967年)と見て、今回の特集では2度目の「やさしい女」(1969年)と「湖のランスロ」(1974年)「たぶん悪魔が」(1977年)の3作を。これでブレッソン監督の計6作品を見たことになる。

初期の作品である「田舎司祭の日記」の後、製作年でいえばこの「やさしい女」と「バルタザールどこへ行く」や「少女ムシェット」での不条理劇とでは数年しか違わないが、映画の趣としてはかなり異なる印象だ。

冒頭でいきなり窓から身を投げた女(ドミニク・サンダ)が、ベッドに安置されている。夫(ギイ・フライジャン)は、葬儀を前にすでに語るすべもない彼女に向かい二人の二年間の関係を回想する。聴き手はまた終始無言の家政婦と観客である「私たち」。「やさしい女」とはそういう映画である。

粗末な質草を抱え、質屋を営む男の店に女が訪れる。男は「あなただから」と紙幣を重ねて渡す。「16歳くらいに見えた」という彼女に男は結婚を迫るが、女はそもそも「男」に、そして「結婚」というもの自体に懐疑的であると告げる。だが身寄りも無い彼女は、結局はそれを受け入れるのだ。

彼女の足先、僅かにベッドの柵からはみ出したまま動くことないその足先だけをカメラは執拗に追う。家政婦は男の話を無言で聞き、男は固定されたショットの「枠」の内と外を行き来しながら彼自身によるその「物語」を語る。

彼女は次第に「不機嫌な」自らに引きこもるようになり、それを嫌う男はそれまで以上に彼女を束縛するようになる。彼女のちょっとした態度にも苛つき、嫉妬し、自分の意に沿うよう彼女を従えようとすることで二人の溝はますます広がる。

映画はドストエフスキーの同盟の小説を原作とするブレッソン監督の翻案であり、60年代後半のパリを舞台としつつも「物語」には現代の「私たち」に通じる普遍性がある。いやむしろ2020年代の今だからこらそ、これが「一組の夫婦に起こる感情の変化と微妙なすれ違い(サイトから引用)」以上の「支配」感情とその制度について、この「物語」から読み解くことになるだろう。それがブレッソン監督の意図であるかは分からない。だが映像にはそれが写り込んでいるのだ。

何故彼女は自ら命を絶ったのか。

実は前回見た時は全く覚えていなかったシーンだが、男が「銀行の支店長を解雇されこの質屋を営んでいる」という事実が、彼女の口から発せられる。当然のように男はうろたえる。

少なくとも彼女が「死」の方に舵を切る「分岐点」は映画に刻まれていて、男の「復讐の一撃」が彼女にそれを強いたのだと、映画からは読み取れる。だが、最後に男は棺桶の蓋を閉じ、不問のままその「物語」のネジを締め上げるのだ。

監督:ロベール・ブレッソン  
出演:ドミニク・サンダ | ギイ・フライジャン

2022年5月14日鑑賞

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