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偶然と想像/濱口竜介監督

2021-12-21鑑賞

おそらく今年最後の投稿となる。濱口竜介監督の最新作「偶然と想像」を見る。ベルリン国際映画祭の銀熊賞(審査員グランプリ)。

前作の「ドライブ・マイ・カー」でも驚かされたが、脚本の巧みさは群を抜いている。「偶然」を巡る三つの短編からなるオムニバスだ。以下にプロットを要約する。

第一話「魔法(よりもっと不確か)」
芽衣子(古川琴音)つぐみ(玄理)の関係が簡単に描写されるとあとはタクシーの後部座席での会話劇だ。つぐみは話し役、芽衣子は聞き役となり、永遠と惚気話が続く。つぐみが車を降りると芽衣子は一瞬考えてドライバーに今来た道を戻るよう告げる。向かった先はつぐみの意中の男(中島歩)のオフィスであった。
第二話「扉は開けたままで」
奈緒(森郁月)は教授の瀬川(渋川清彦)を誘惑するため、瀬川の著書を手に研究室に乗り込む。研究室の扉はいつも開け放たれている。奈緒は過激な性描写部分を朗読するのだが、瀬川は冷静かつ論理的に奈緒を戒め、その危機は回避され万事上手た…かに見えたのだが。
第三話「もう一度」
高校の同窓会に参加するため仙台へやってきた夏子(占部房子)は、駅のエスカレーターで偶然あや(河井青葉)と再開する。秘めた思いを胸に夏子の家に向かうのだが、事態は思いもしない方向へと進んでいく。20年の月日を埋めるものは何か。

世界は偶然に満ちている。一見平凡な人生に見えようと、人はその偶然を逸脱として期待もするし、予想を超えた偶然に翻弄され、また偶然の偶然に救済されもしよう。濱口監督の脚本は、出来事と出来事の間を丁寧に言葉で繋ぎ、また別の地平へと誘う。登場人物の真剣な戸惑いは時に「笑い」を誘い(実際に劇場ではしばしば笑いが沸き起こった)、そしてまた生きることの痛みを知ることになる。

劇中に挿入されるシューマンの「子供の情景」の第1楽章「見知らぬ国と人々について」(ダニエル・シュミット監督の『ヘカテ』でも使われている)。シンプルな旋律のピアノ曲だが(「タン、タン、ターラ、ラン」というあれ)、付点八分音符→十六分音符→四分音符の部分は、奏者によって微妙に揺れがある。この映画では、跳ねずに平板に流れる演奏だが、それは濱口監督の脚本のリズムと微妙に同期する。

役者の「語り」は、会話的というよりは、棒読みにさえ聞こえる文語的なそれである。我々の会話は曖昧で不完全なものであるが、脚本は「完全に書かれた」会話であり、役者はその発話のタイミングをコントロールし、物語の一部になりきる。誇張された情緒や抑揚を廃し、純粋に物語だけが作動するのである。

短編オムニバスの形式は、ホン・サンス監督のそれとも比べられようが、濱口監督の映画は女性どうしの機微を抽出し描いているところに特徴があるのかもしれない。イタロ・カルヴィーノは次の千年期に必要なものを「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」と定義したが、カメラが捉える彼女たちは軽やかで美しい。もう少しだけ生きていたいと思わせるような映画。機会があればぜひ。

監督:濱口竜介  
出演:古川琴音 | 中島歩 | 玄理 他


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