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小さなカメラを買った話を回りくどく長々と

何週間か前に自己紹介(はじめてのnote)を投稿したら、フォローとスキをたくさんいただき、とても有り難く感じていますが、くだらないことを気楽に書きづらくなったのも事実です。

そうは言っても、どうせいつかは何かを書かないと始めた意味がないし、自分が気合を入れて立派なことを書こうが、どうでもいいと思うことを書こうが、そんなものは人から見たら大差ないのだろうと割り切ります。

さて、とりあえず「小さなカメラを買った話」を、思いのまま書き綴っていこうと思います。そこには自分なりに、深くて広い意味があるような、ないような、そんな話なのであっちこっちに飛び火して、意味不明な部分も多いかと思います。そして、きっと、何の役にも立ちません。


思い返せば、ずっと写真や動画が好きだった

自己紹介にも書いたのですが、思い返すと30年以上前から写真や動画を撮り続けています。19歳の時に渡米したのですが、当時はまだフィルムカメラであり、現像やプリントが面倒だったので、どちらかというとハンディカムで動画をたくさん撮っていました。写真は、デジタルカメラの存在と利便性を広く一般に認知させたカシオ計算機の QV-10(1995年発売)を手に入れて以降、コンデジ、一眼レフ、ミラーレス一眼等、常にカメラを携帯する生活をしています。

いろんなメーカーのカメラを使っていましたが、なぜかオリンパス製品をよく使っていました。2000年頃は「CAMEDIA C-2100 Ultra Zoom」のようなレンズ一体型の一眼レフも使ってましたね(懐かしい…)。

マイクロフォーサーズとの出会い

2008年9月にパナソニックから世界初のミラーレス一眼が発売され、各社が次々とミラーレス市場に参入しました。しかし、まだミラーレスはエントリー向けであり、フラッグシップは一眼レフという時代でした。

SNS時代に入った 2012年、オリンパスはミラーレスとしては初(たぶん)のハイエンドモデル「OM-D E-M5」を発売しました。当時、Facebookのビジネス活用(マーケティング)に関する書籍の執筆に関わっており、その時のプロデューサー的な立場の人が、「OM-D E-M5」のレビュー記事を書いてくれたら本にするよと誘ってくれたので、迷わず購入しました。

これが、今も愛用するマイクロフォーサーズとの出会いです。

「OM-D E-M5」のパンフレット(2012年)

レビュー記事執筆の話はいつの間にか頓挫してしまいましたが、購入した初のミラーレス「OM-D E-M5」はめちゃくちゃ気に入り、すぐに二代目を購入したり、交換レンズをどんどん追加しました。

写真はそれ以前から撮り続けていましたが、カメラやレンズが好きになったり、写真が趣味と言えるようになったのは、この頃からです。

このレトロなデザインも所有欲を刺激しました。

2013年にオリンパスがフラッグシップモデルとして「OM-D E-M1」を発表したのですぐに購入。オリンパスは一眼レフメーカーとしての長い歴史がありましたが、この時同時に一眼レフの製造を終了することも発表しました。今となっては当然の流れですが、当時はインパクトのあるニュースでした。

「OM-D E-M1」は結果的にかなり長い年月愛用していました。複数台を所有していましたが、肌身離さず持ち歩いていた愛機は、落としたり、ぶつけたり、外観はかなりボロボロでした。それでも一度も修理に出すこともなく絶好調に動いてくれました。本当に常に持ち歩いていたので、バッグの中でも擦れて、ボディもレンズもなかなかのボロボロ具合でした。

EM-1 Mk-II に乗り換える前のボロボロの E-M1

2010年代中頃は、起業家に向けた創業セミナーや経営者向けの講話、SNSの活用等、かなり講師業が忙しくなっていましたが、初心者向けの写真講座の講師も何度かさせていただくほど、対外的にはフォトグラファー(またはただの写真好き?)というイメージが定着していたと思います。

肩身が狭かったミラーレス&マイクロフォーサーズ

今でこそ、ミラーレス一眼が主流となっていますが、2010年代はまだまだ肩身が狭いというか、所詮ハイエンド機じゃないよね、というイメージでした。仕事の撮影現場では、やはり機材は大きくプロっぽい方が良いのですが、ミラーレスはコンパクトですからね。バカでかい一眼レフを持っている写真家からは、「シャッター音がエアガンみたいですね」と、ちょっと小馬鹿にされました(笑)。

私は 1991年からずっとMac(当時はMacintosh)を使っているのですが、帰国して知り合うパソコンオタクはみんなPC/AT互換機で、OSはMS-DOSやWindows。おもちゃみたいなMacOSのGUI環境と違って、コンピュータっぽい雰囲気に内心憧れていました。その後も台所用品みたいな素材のカラフルなiMacが人気になったり、ビジネスで使う上でMacは少々抵抗があった時代もあるのです。今ではすっかりMacが市民権を得ており、むしろクリエーターが使うならMacというイメージが定着してますけどね。肩身が狭かったミラーレスも、その感覚に似ています。

メーカーの広告戦略も、ミラーレスはエントリーモデルとして女性がバッグに忍ばせておくような使い方をイメージさせていましたので、プロの現場から下に見られるのは仕方のないことですが、それに加えてマイクロフォーサーズという規格も、全く受け入れられていない印象でした。

特に、野球やゴルフ等、写真撮影の専門性が高い世界では、大手二社のカメラ以外は入れないような独特の雰囲気がありました(業界の詳細は知らないですが少なくともそんな印象を受けました)。最近はどうなのか知らないですが…

今回の話のテーマ(テーマがあるとしたら、ですけど)にも関係しますが、一括りにカメラと言っても、特徴はそれぞれです。それは、優劣の問題ではなく、特徴であり、用途によって選ぶべきです。同じ車でも軽自動車よりフェラーリの方が高価で高機能ですが、子供の保育園の送り迎えには軽自動車の方が適している場合もあります。

そういう意味では、大手二社のバズーカーのようなレンズがズラリと並ぶ状態は、F-1サーキットのようなもので、そこに当時のミラーレスカメラで入っていくのは、軽トラで参戦するようなものだったのかもしれませんね。

Web制作現場やSNSの普及における写真

良いカメラに出会ったので写真が好きになった、という単純な話ではなく、写真やカメラの遍歴は、仕事にもかなり密接にリンクしています。自己紹介にも書いていますが、私は1993年に起業し、1996年から現在に至るまでWeb制作に携わっています。

1996年頃のWebサイトは、まだほとんどの情報がテキストでした。テキスト以外の情報、つまり画像や動画等もひとまとめに扱うことができる「マルチメディア」という言葉が使われ出した頃かと記憶していますが、まだまだ通信環境やパソコンの処理能力の都合上、ロゴマークに小さなGIF画像を使う以外は、ほとんどテキストだった時代です。灰色の背景のWebブラウザ「Netscape Navigator」に、ロゴマークだけ画像の「Yahoo!」を思い出せる方は、それなりの年代ですね。

2000年頃になると、Webデザインに写真が多用されるようになりましたが、それでもまだファイル容量にはかなり制限がありました。一方で、一般の人が気軽に情報発信することができるブログが流行し、カメラ機能が搭載されたガラケーも普及。インターネット上で写真や画像を取り扱うことは自然なことになっていました。

ブロードバンドインターネット接続や常時接続がようやく普及し、通信環境の改善に伴い、Flashを多用した動きのあるWebサイトが増え、次第に全てをFlashで制御する「フルフラッシュ」と呼ばれるWebサイトも増えました。当時は私もWebデザインを含め実務をしていたので、アクションスクリプトもバリバリ触っていました。

MacOSがいち早くFlash非対応になり、HTML5へ移行していくと、極端な動作をデザインに取り入れたWebサイトは減少傾向になり、写真や動画が中心となったコンテンツが増えました。その頃に、スマホやOSのUI(ユーザーインターフェイス)もフラットデザインになっていき、従来までのスキューモーフィズム(他の物質のように見せるデザインや装飾=画面の中のボタンを実際の立体的なボタンのように表現する等)が排除されていきました。これは、パソコンやスマホの操作がわかりにくく、他の物に置き換えたり、例えたりする必要があった時代が終わったことに加え、より直感的かつ効率的なインターフェイスを実現する流れでもあり、コンテンツにおいて装飾よりも中身(情報)が重視されるようになったわけです。

つまり、Webサイトにおいても、飾りのような写真、印象操作をするためだけの素材写真ではなく、情報として価値のある本当の写真が求められるようになってきたわけです。

なんだか文章にすると小難しく聞こえますが、簡単に言えば、私のカメラ遍歴は、Web制作現場において必要とされる写真を撮るためのものだったということです。

ライカの魔法

カメラや写真が好きな人は、きっとライカへも多少の憧れがあると思います。私もマイクロフォーサーズを使っていますから、パナライカと称されるライカブランドのレンズをたくさん愛用しています。

ライカのボディも所有していたことがあります。ライカCL(現在は生産終了しているライカのCL/TLシリーズ)のスペシャルエディションを入手し、古いライカレンズも集めていました。

ライカで撮ると、特別な写真が撮れそうな気がします。空気までもを写し出すズミクロンとライカのボディがあれば、何となくそんな世界を味わえるかなと思ったのですが、私は正直あまり手応えは感じませんでした。

ライカCLだから(Mシステムではないから)、あるいは試みた時間が短すぎたからかもしれませんが、一番の理由は自分の中にあったのかなと思います。私の場合、仕事で必要な写真を撮る、またはSNS等で人に見てもらい評価をしてもらうために撮る、そんな薄っぺらい写真が多かったように思えます。不特定多数の人の評価より、今の自分の内面と向き合うような写真、自己表現としての写真を撮ろうとしていなかったような気がします。

SNSで高評価をたくさん得ようとすることは、最大公約数を見つけようとするようなものであり、自分の中にしかない唯一無二を探すことと逆行する部分もあります。

今、振り返るとそう感じるのですが、今も尚、それは出来ていません。おそらく、心が成長し、人間的にも余裕が出来ないと、それは実現しないのかもしれません。

動画の時代へ

Youtube、TikTokのような動画のプラットフォームが一般化し、コンテンツにおいて動画は重要な位置付けとなっていることは周知のとおりです。Web制作やSNS戦略においても、動画の需要はますます高まっていくことは随分前から分かっていました。ただ、ご存知のようにOLYMPUSのカメラは、写真機としてのイメージが強く、実際に動画性能は遅れていました。

さらに、2020年6月にOLYMPUSはカメラ事業からの撤退を発表。ユーザーとしては不安しかありません。

「動画機はフルサイズ」みたいな風潮というか雰囲気もあり、いよいよマイクロフォーサーズからの移行を検討している時に、Panasonicが「Lumix GH6」の発売を発表(2022年3月)。

求めていた動画性能が盛り込まれていて、当時のYoutuberのレビューも大絶賛(たぶん)。マイクロフォーサーズのレンズ資産も活かせるので、すぐに乗り換えることにしました。

かくして、長らく迷っていたフルサイズ移行にはならなかったものの、長年愛用していたOMシステムからは離脱することになり、Lumixユーザーになりました。

Lumix GH6

GH6には購入後すぐに満足したため、2台目も調達。軽くてコンパクトにできることがウリのマイクロフォーサーズですが、GH6はとにかくデカくて重い。ボディだけで約823g、相性の良い「LEICA DG VARIO-SUMMILUX 10-25mm/F1.7 ASPH.」と組み合わせると、1.5kgを超えます。でも、その動画機としての性能を鑑みると、気になりません。

仕事でも動画制作の案件が増えました。プライベートでも、勉強のつもりで動画を撮り、Youtubeを更新してきました。頻繁に動画を撮っているので、稼働率も高く、何も問題ないのですが…

いつの間にか、写真を撮らなくなっていた

ふと気づくと、写真を全く撮らなくなっていました。動画と写真の設定、考え方が全く異なるため、動画を撮っている時に、写真の脳になっていないので、撮れないのです。それでも静止画がどうしても必要な時(例えば、動画のサムネイル写真が必要な場合等)は、4Kで撮影した動画から切り出して済ませるようになっていました。

写真撮影用の設定は、カスタムモードにしっかり登録しているため、すぐに写真を撮ることは可能ですが、問題は意識です。何度か試みたものの、やはり動画をメインに撮影している時に、写真はなかなか撮れませんでした。

動画と静止画は、ライティング等の撮影技術的に大きく異なりますが、何より脳内の意識が全く違っていて、その切り替えが上手くいかないのです。

そして、カメラを常に持ち歩く生活が終わった

GH6とレンズが重くてデカいということもありますが、動画は写真と違って日常をささっとスナップするように撮ることは少ないので、次第に持ち歩かなくなりました。

こうして、待ち望んでいたカメラ GH6と出会ったことにより、30年以上続けてきた常にカメラを持ち歩く生活は終わってしまいました。そして、毎日欠かさず撮っていた写真も、ほとんど撮らなくなりました。

車も運転も好きだった

カメラや写真についての話題から、いきなり車の話になると脱線しているようですが、実は自分の中では繋がっています。

10代の頃に運転免許を取得して以来、かなりいろんな車に乗ってきました。カローラ、トレノ、クレスタ、ジープチェロキー、プレリュード、アテンザワゴン等々、かなりの台数を乗り換えてきたと思います。

脱線ついでに思い出話をしていくと、かなり個性的な車だったら、アメリカ生活時代のデロリアンです。生産台数が少なく、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で知られるスーパーカーです。ボディはステンレスの独特の質感で、車高はかなり低く、運転しづらくて故障ばかりのどうしようもない車でしたが、良い思い出です。

1992年くらいに所有していたデロリアン
普段使い用に、かなり古いカローラも所有していました。

自分の中で一番思い入れがある車は、15〜20年くらい前に所有していたスープラ(JZA80)です。当時としても既に生産終了していた古めの車種ですが、とても大好きな車でした。ベタ踏みできるようにSZ(ターボではなくNAモデル)のマニュアルトランスミッションに乗っていました。

吸気や排気をいじっていたので音や振動がリアルに伝わってきて、MTなので車との一体感もあり、こんなにデカい車なのに「人馬一体」感をめちゃくちゃ感じる車でした。コクピットも戦闘機のように計器類に囲まれていて、楽しかったです。

そんな感じで車が好きでしたが、40代になり、再婚もして子供も生まれたので、ヴェルファイア(2013年モデル)に乗り換えました。スポーツタイプ以外の車には乗りたくなかったのですが、当時のワンボックスの中では比較的スタイリッシュでしたし、AT車なので妻も運転できます。

当時の最新の車種だったので、機能はかなり充実していました。大きいボディでしたが、四方八方にセンサーやカメラが付いているので、車庫入れも余裕です。中も広々で快適でしたが…

まだ子供が生まれたばかりだったので、後部座席にチャイルドシートを装着して、妻も一緒に後ろに乗ると、室内がかなり広いので、運転席との距離がかなり空いてしまい、まるでバスの運転手になった気分です。

今時は当たり前ですが、ライトもワイパーも自動で作動し、あらゆるセンサーが目や耳の代わりをやってくれて、とても安心安全です。運転性能も非常に高いので、リビングでくつろいでいるように運転することができますが、人馬一体感は全くありません。

快適でしたが、運転の楽しさは感じませんでした。

最新の高機能車に乗って、運転が好きではなくなった

そして何より、燃費がめちゃくちゃ悪かったです。急勾配の山道を登ったり、遠距離を走ったり、日常的にブレーキと発信を繰り返す街乗りが多かったり、車の使用頻度が高かったため、週に一度は給油し、その都度1万円弱の燃料代がかかりました。当時は一人で一日何百kmも移動する仕事もしていたので、毎月かなりの燃料代になっていました。

近くのコンビニに行くにも、巨大なバスを動かしているような気分になり、ストレスでした。

たまりかねて、燃費がめちゃくちゃ良いと評判だったトヨタのコンパクトカーであるアクアを買い足しました。ヴェルファイアは妻に乗ってもらい、私はアクアを使うことにしたのですが、バスから自転車に乗り換えたような軽快な気分でした。

必要最低限の車に乗り換え、再び運転が好きになる

スープラや、これまで乗ってきたMT車のような楽しさは流石にありませんが、自転車のような気楽さがとても快適で、それまで億劫だった「夜中に二時間かけて星空を撮りに行こう」みたいなことも、気軽に腰が浮くようになりました。

まだ子供も小さかったし、私の仕事や生活のスタイルに、ヴェルファイアはオーバースペックだったんですね。

アクアはとても気に入っていて数年愛用していましたが、キャンプが好きになったので、家族や荷物が乗らないこともあり、何年か前に現在のRav4アドベンチャーに乗り換えました。Rav4も、運転が楽しい車というわけではありませんが、無骨なスタイルがキャンプやアウトドアにマッチしていて、とても愛着を持って乗っています。

大きくて高機能な車にしたことで運転が好きではなくなったり、気軽に乗れなくなったこと。そして小さな車にしたら、気楽に快適に運転を楽しむことを思い出せたこと。この話をしたのは、カメラの話にも通じるからです。

めちゃくちゃ満足している Lumix GH6 に切り替えてから、動画はそれまでの何倍も撮るようになりましたが、次第に写真を撮る機会が少なくなり、30年以上続けてきた常にカメラを持ち歩く生活が終わってしまいました。それでも良いのではないかとも考えることはできますが、私は良くないと考えるようになりました。

写真を撮るということ

写真を撮る意味や理由は、いろいろあると思います。仕事では、情報の伝達や表現、演出において必要とされる写真やその分野は山ほどあります。趣味の範囲でも、子供の成長の記録を残したいとか、単に美しい写真を撮りたいとか、SNSに投稿して人に見てもらったり高評価をもらいたいとか、人それぞれ撮る理由はあります。

デザインが仕事の私にとっては、日常の現実の空間、時間をどのように切り取って、どう表現するかという脳や目を鍛えておくことは、とても大切なことなんじゃないかと感じています。コーポレートサイト、観光情報、レストランの料理、会社のリクルート等々、仕事の上で必要とされる写真の種類やその写真を撮るための技術はキリがない程幅広いのですが、自分が撮れるかどうかではなく、何が必要とされているかを見定める目、新たな価値を創造する思考は、ディレクターやデザイナーにとって不可欠です。

写真を撮らない優秀なデザイナーやディレクターもたくさんいますが、私にとっては、とても大切な訓練の一つだった気がします。

デザインとアート

デザインとは「常にヒトを中心に考え、目的を見出し、その目的を達成する計画を行い実現化する。」この一連のプロセスだと日本デザイン振興会は定義しています。

学術的に広く用いられる定義の一つに「特定環境・制約・要件下での目的達成を意図して、ある主体が、基本的な構成要素を用い、対象の仕様を生み出すこと  - Paul Ralph & Yair Wand」というものがあります。

Appleの創業者 スティーブ・ジョブズは、「It's not just what it looks like and feels like. Design is how it works.(それは見た目や感触だけではありません。デザインとはそれがどのように機能するかです。)」と言ったそうです。

デザインという言葉は、色や形等の視覚的要素だけを指して使われることが多いのですが、達成すべき明確な目的があること、そして機能的要素、構造的要素、心理的要素が含まれ、計画的に構築されていること、そのプロセス全体を指します。

視覚的要素や心理的要素には、感覚、感情、文化的価値、創造性と独自性といったような価値、美しさも含まれ、審美性も問われます。

一方、アートとは人の創造力を通じて表現された作品や活動を指します。目的志向や実用性は低く、制約も少なく自由度も高く、あえて目的を設定するならば、受け手の感覚、感情、思想を喚起することになります。

仕事で必要とされる写真の多くは、目的が明確に設定されており、技術やコスト、その他の様々な制約があり、デザイン的な思考と、目的に合ったテクニカルスキルや条件が求められます。

但し、写真としての価値や評価の多くは、誰が何を考え、感じ、撮ったものなのか。そこからどんな感覚を受け、どんな感情が刺激されるのかといったアート的な要素も大きく影響します。

つまりここで言いたいのは、目的が明確で実用性の高い写真を撮れる、または理解できる能力とは別に、それらの目的を失っても、自身の内面に目を向け、表現していくための一つの手段として、写真を撮る生活があるのではないかと思っています。

写真を撮る生活に戻るために

高機能でデカくて燃費の悪いバスみたいなヴェルファイアは、超快適で気合を入れた遠出には向いていましたが、近所のコンビニや深夜の思いつきのお出かけを億劫にしてしまい、運転が楽しくなくなりました。そして、コンパクトカーに乗り換えたことにより、いつでも気軽に出かけていく軽快さを取り戻しました。

カメラも、高機能で重くてデカいものではなく、軽くて小さくて、そこそこの機能のものが必要でした。

スマホではなく、ファインダーを覗いて撮ることや、レンズを交換したり、絞りやピントを自分で調整できることも大切でした。

Lumix G-100

そんなわけで、同じマイクロフォーサーズ規格で、コンパクトなカメラを探しました。長く愛用していたOM-Dシリーズのエントリーモデルでも良かったのですが、出来ればメイン機とUI(操作画面)が大きく変わらない方が、瞬時の設定変更時にもたつかずに済みますので、Lumixシリーズから選ぶことにしました。

その頃、ちょうど Lumixの最小カメラ「G-100D」が発売されました。G-100Dは、三年半前に発売されたG-100の後継機で、違いはファインダーが液晶から有機ELになったことと、充電用のUSB端子が Micro-BからType-Cになったくらい。写真撮影の機能はほとんど変わず、型落ちになったことで多少安くなっていることから、G-100を購入することにしました。

本体重量は約303g、バッテリーやレンズを含めても約460g(LEICA DG SUMMILUX 15mm/F1.7 装着時)。バックに入れていても気にならない重さと大きさで、何より気持ちが違います。

GH6が、キャリーケースからパーツを取り出して、組み立ててからしっかり構えるスナイパー用のライフルのようなものだとしたら、G-100はジーンズの隙間に突っ込んだワルサーP38(ルパンが愛用するピストル)のようなイメージです。

GH6がヴェルファイアだとしたら、ライカMシリーズはクラシックカー、スマホはテスラ、G-100はまさに国産コンパクトカーです。次第に、何を言ってるのかよくわからなくなってきました。

ともかく、G-100は、写真を撮りたくなるサイズ感です。GH6と並べると、子供のようで可愛いのも愛着が持てます。

一日に何度もファインダーを覗く生活が戻ってきた

こうして、再びカメラを肌身離さず持ち歩く生活が戻りました。そして、写真を撮る楽しみ、時間や空間を意識する時間を取り戻すことができました。

今回はカメラの話が中心で、車の例を出してみたりもしましたが、何事においても、本質的に「何を求めているのか」を考えてみること、その実現に必要な道具や環境を整えていくこと、そして人の影響を受け過ぎずに、自分の心の声に耳を傾けることを大切にしていきたいと思います。

誰かに読んでもらえる前に

要するに、写真を撮る気になるような小さなカメラを買ったよ、という話だったわけですが、この内容を書いていく上でも、今回の一つのテーマである「目的志向や実用性よりも、自分の内面に目を向ける」ことを意識して、好きなように、思いのまま、書いてみました。

SNSで「いいね」がたくさんもらえることも、noteで「スキ」をたくさんもらえることも、嬉しいものです。誰かに喜んでもらえることも、何かの役に立つことも、大切なことです。

ただ、私にとっての目的は、そこではない気がしています。そして、今足りないものは、自分と向き合うことかなとも感じています。だから、こうして、思いのままに書いていますが、その結果として誰かに読んでもらえていたら、それはそれでとても嬉しいし、誰にも読んでもらえなかったら、ちょっと寂しく感じてしまうのも、また現実なんですよね。

しょうもない話にお付き合いいただいていたら、感謝いたします。



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