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ジェンドリンの「焦点化」とディルタイの「合目的性」

『プロセスモデル』 (Gendlin, 2018) では、「焦点化」という用語がよく使われています。「焦点化 (focaling)」は、「フォーカシング (Focusing)」と英語で綴りは似ているものの、意味は異なります。「焦点化」という用語は、1970年代前半のジェンドリンの論文においてすでに使われていました。さらに、「焦点化」という用語こそ使われなかったもの、その考え方の原型は、遡ってディルタイに関する彼の修士論文(Gendlin, 1950)に見出すことができます。


『プロセスモデル』に先立つ「焦点的」の使用例

1990年代前半の『パターンを超えて思考すること』では、「焦点的なインプライング (focal implying)」という言葉が使われていました。

絵が曲がってかかっているのを見ることは、それをまっすぐにすることをインプライする。…問題を感じ取ることは、それを解決するためのステップを焦点的にインプライすることである。私たちが何かを「間違っている」と感じ取ることができるのは、暗黙的な正しさがすでに機能しているからにほかならない。 (Gendlin, 1991b, p. 146)

上記のような「焦点的なインプライング」の特徴は、1970年代前半の「体験過程療法」において、すでに「あれでもなく、これでもない」といったように論じられていました。

…身体的なフェルトセンスの前概念的なインプライングと指し示しは非常に明確であり、これでもなく、あれでもなく、他の行為や発話でもない、 身体を解放する性格を推進したり、もったりする方法以外には、何もできない。 (Gendlin, 1973, p. 326; cf. ジェンドリン, 1999, p. 95)

上記の文章は「焦点化 (価値)」の節で論じられています。この節こそ、初めて「焦点的」ということについて詳しく論じられたのです。

体験過程は合目的的、価値的、焦点的である。体験過程には方向がある。ただやって来て、いくつかのステップを踏むだけでそれ以上は「推進しない」。それ以外は突然の変化か停滞である。 (Gendlin, 1973, p. 326; cf. ジェンドリン, 1999, p. 94)

このように、「焦点的」という言葉は、しばしば「合目的的」や「価値的」という言葉と一緒に使われます。ここでの「合目的的 (purposive)」という言葉の意味を理解するためには、ジェンドリンが生涯で最も影響を受けたディルタイの著作から、次の一節が参考になるでしょう。

心的構造が合目的的であるのは、それが生の様々な価値を生み出し、保存し、高めていく傾向と、どうでもよかったり敵対的なものを排除する傾向とを持っているからである。 (Dilthey, 1927, p. 330; cf. ディルタイ, 2010, pp. 390-1)

ディルタイにおける「合目的的」の意味を踏まえれば、それ以降のジェンドリンの考察を一貫して捉えやすくなるかもしれません。

暗黙的な側面が非常に複雑であるにもかかわらず、そこには焦点があり、特定の方向が感じられ、それは、どんな一歩でも推進するのではないという事実に現れている。 (Gendlin, 1973, p. 326; cf. ジェンドリン, 1999, p. 95)

多くの「目的」と多くの可能な行為が一つに焦点化される。ただ一つの行為だけが次に生起する。わたしたちの「焦点化」の概念は、この「多数が一つになる」という関係から発展する。 (Gendlin, 2018, p. 46; cf. ジェンドリン, 2023, p. 77)


目的は付け加えられる何かではない

『プロセスモデル』第IV章Aにある「f) 焦点化」の節では、「目的は付け加えられる何かではない」 (Gendlin, 2018, p.45; cf. ジェンドリン, 2023, p. 77) といったように「目的」という言葉がよく使われています。これは、事実の中立的な認識と目的による価値づけとの間に予め区別があるということでないことを意味します。例えば、1990年代前半の別の論文「セラピーにおける情動について」では、次のように論じられています。

身体のセンシェンスとは、次の動きをインプライすることである。まず暑いと感じ、その後に涼しくなりたいと感じるのではない。「暑い」という感覚は「涼しくなりたい」という気持ちであり、涼しくなるための動きは暗黙的なものなのである。 (Gendlin, 1991a, p. 259)

身体のセンシェンスは、物事のあり方を知覚するだけではない。委員会の報告書のように、最初に事実の節があり、次に勧告の節があるようなものではない。 (Gendlin, 1991a, p. 258)

暑さについての考察は、1970年代前半の「体験過程療法」にまで遡ることができます。

涼しくなることは、温度という中立的な体験に別途付け加えられる価値ではない。 (Gendlin, 1973, p. 326; cf. ジェンドリン, 1999, p. 95)

さらに、中立的な体験と価値づけとに分離できないことについては、彼の修士論文にすでに書かれています。

人間に関するデータは、観察において切り離されたものとして純粋に与えられているのでもなく、中立的な感覚的知覚として与えられているのでもない。 (Gendlin, 1950, p. 4)

『プロセスモデル』において「目的を別個の付け加えられたものとして表わすのは人為的である」(Gendlin, 2018, p. 46; cf. ジェンドリン, 2023, p. 77)と主張されるのは、こうした背景があるからです。ディルタイに端を発し、当初は人間だけを対象としていた「目的」の考察が、『プロセスモデル』に至ると、「植物は太陽に向かうために別の目的を必要としない」 (Gendlin, 2018, p. 46; cf. ジェンドリン, 2023, p. 77) というように、生命プロセス一般の考察へと適用されるようになったのだといえるでしょう。


補遺: ジェンドリンによるディルタイへの言及

「f)焦点化」という節は、『プロセスモデル』の本文中で唯一、ジェンドリンがディルタイに言及している箇所です。

例えば、人間の出来事において、私たちが「目的」と呼ぶものは、ある行為が何であるかにすでに内在している。あるいは、ディルタイが論じるように、あらゆる体験過程はすでに本来的に理解でもある (Dilthey, 1927)。 (Gendlin, 2018, pp. 45-6; cf. ジェンドリン, 2023, p. 77)

私の知る限り、ディルタイの著作には「あらゆる体験過程はすでに本来的に理解でもある」と論じている箇所は見当たりません。その意味では、ジェンドリンによる言及の妥当性には疑問が残ります。しかし、「焦点化」という考え方は、彼が修士論文 (Gendlin, 1950) で検討したディルタイの哲学に大いに触発され、彼なりに発展させたものであることは間違いないでしょう。厳密に言えば、上記の「私たちが『目的』と呼ぶものは、ある行為が何であるかにすでに内在している」という一文は、彼の修士論文の次の一節に相当するでしょう。

行為は常に目的と、つまり内面的なものと関連がある。行為はその中に行為の目的を含んでいる。 (Gendlin, 1950, p. 34)

したがって、ディルタイの著作から以下の文章を引用するのが最も妥当だといえるでしょう。

ある行為において、状況、目的、手段、生の連関がどのように結合しているのかを解明しなければ、その行為が生じた内的生を全面的に規定することはできない。 (Dilthey, 1927, p. 206; cf. ディルタイ, 2010, p. 227)

…行為が目的に対してどのような関係にあるかに応じて、目的は行為の中に与えられている。 (Dilthey, 1927, p. 206; cf. ディルタイ, 2010, p. 227)


参考文献

Dilthey, W. (1927). Der Aufbau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften (Gesammelte Schriften, vol. 7, pp. 205-27). B.G.Teubner. ディルタイ; 長井和雄(訳) (2010). 歴史論 世界観と歴史理論 (ディルタイ全集, 第4巻, pp. 1-392). 法政大学出版局.

Gendlin, E. T. (1950). Wilhelm Dilthey and the problem of comprehending human significance in the science of man. MA Thesis, Department of Philosophy, University of Chicago.

Gendlin, E.T. (1973). Experiential psychotherapy. In R. Corsini (Ed.), Current psychotherapies (pp. 317-52). Peacock. ユージン・T・ジェンドリン [著] ; 池見陽 [訳] (2023). 体験過程療法 セラピープロセスの小さな一歩:フォーカシングからの人間理解 (pp. 75-138) 金剛出版.

Gendlin, E.T. (1991a). On emotion in therapy. In J.D. Safran & L.S. Greenberg (Eds.), Emotion, psychotherapy and change (pp. 255-79). Guilford.

Gendlin, E.T. (1991b). Thinking beyond patterns: body, language and situations. In B. den Ouden & M. Moen (Eds.), The presence of feeling in thought (pp. 25-151). Peter Lang.

Gendlin, E.T. (2018). A process model. Northwestern University Press. ユージン・T・ジェンドリン [著] ; 村里忠之・末武康弘・得丸智子 [訳] (2023). プロセスモデル : 暗在性の哲学 みすず書房.

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