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スザンヌ・ランガーと「~について (aboutness)」

人間のシンボル的なプロセスについて、多大な考察を残したスザンヌ・ランガー。彼女の代表作『シンボルの哲学 (Philosophy in a new key) 』 (Langer, 1957; ランガー, 2020) の中で、何気なく"about"という前置詞が出てきます。「我々はあからさまに何も反応しないで、その対象について考える (think about) ことができる。」(Langer, 1957, p. 64; cf. ランガー, 2020, p. 137)

具体例としては、次のような箇所です。

もし犬に主人の名である「ジェームズ」と言えば、犬はその音をサイン [シグナル] として解釈し、ジェームズを探すであろう。ジェームズと呼ばれる誰かを知っている人にそう言えば、その人は「ジェームズがどうしたんだ (What about James?)」と尋ねるであろう。この単純な質問は、犬にとって永遠に理解が及ばないのである。(Langer, 1957, p. 62; cf. ランガー, 2020, pp. 132-3)

シグナル的にではなく、シンボル的に使われる用語は、その対象の存在にふさわしい行為を呼び起こさない。私が「ナポレオン」と言っても、私が紹介したかのようにあなたはヨーロッパの征服者にお辞儀をするのではなく、ただ彼のことを思い浮かべるだけである。(Langer, 1957, p. 60; cf. ランガー, 2020, p. 130)

つまり我々人間は、あからさまにジェームズを探すことなくジェームズについて考えることができるし、あからさまにナポレオンにお辞儀することなくナポレオンについて考えることができるのです。

これらの具体例は、ジェンドリンが『プロセスモデル』の第7章で論じる「~について (aboutness)」を考察する上で私がいつも参考にしている箇所です。

ただし、ジェンドリンの場合は、明確な「語 (word)」や「統語 (syntax)」が出てくる前の段階で「~について (aboutness)」が発生するところに考察の重きをより置いているのかな、とも思っています。

上のランガーの例では「ナポレオン」という「語」を発しても、「あからさまに何も反応しないで、その対象について考える (think about) ことができる」ということでした。しかし、このことは、「語 (word)」のようなシンボルの「論述的な (discursive) な使用」に限らず、「絵 (picture)」のようなシンボルの非論述的な使用に対しても当てはまることでしょう。すなわち、「私がナポレオンの絵を見せても、私が紹介したかのようにあなたはヨーロッパの征服者にお辞儀をするのではなく、ただ彼のことを思い浮かべるだけである」とも言えるわけです。

その辺りのことを念頭に置きながら、「パターンを超えて思考すること」(Gendlin, 1991) のB-2章や『プロセスモデル』(Gendlin, 2018) のVII章A-(g)を読んでみると、次のようなところが対応していると考えられます。

例えば、猫の頭に大きな2つの耳がついた絵があるとしよう。この絵は視覚的には猫であるが、厚紙でもある。我々人間は、この二重の知覚を持つことができる。すなわち、我々は一度に両方に反応する。つまり、我々は猫を見ているけれども、あくまで絵として見ているのであって、その絵を撫でようとは思わないのである。(Gendlin, 1991, p. 113; 1992; p. 40)

絵に絵として反応することは、~について (aboutness) を生きることである。...絵に反応することは、描かれた対象があたかも存在するかのように行動することとは異なるのである。 (Gendlin, 2018, p. 125; cf.
ジェンドリン, 2023, pp. 210-1)

ただし、ランガーは絵のようなシンボルの非論述的な使用について考察しなかったと言いたいのではありません。むしろ、ジェンドリンに先駆けて、そうした考察を切り開いていました。

獣はシンボルを読み取らない。それは獣が絵を見ないからである。…犬が我々の絵画を軽蔑するのは、色のついたキャンバスを見ていて、絵を見ていないからである。猫の描写を示しても、犬は猫を思い浮かべない。 (Langer, 1957, p. 72; cf. ランガー, 2020, pp. 150-1)

動物は、あからさまに何も反応しないで、絵などの対象について考える (think about) ことができないということをランガーは少なくとも考察していたと言えるでしょう。

ジェンドリンであれば、次のように考察を引き継ぎます。

この絵の二重性は、動物が絵に絵として反応することができないことを思い起こせば、よく理解できるだろう。鳥は一度に両方に反応することができない。すなわち、鳥は厚紙をつつくか、恐怖を感じて猫から逃げるか、どちらかの反応をする。それが猫についての絵であることを鳥に伝えるすべはないのだ。(Gendlin, 1991, p. 114; 1992; p. 41)

加えて、絵を「部分どうしの釣り合い (proportion of parts)」(Langer, 1957, p. 69)として捉えたランガーは、そういう意味でも、ジェンドリンのパターンに関する考察の先駆者だったと言えるかもしれません。

パターンは反応を引き出すが、鳥の反応は実際の猫に対するものであることも明らかである。この対比については、かなりはっきりさせることができる。視覚的パターンは鳥の反応を引き起こすが、その反応は猫に対するものであって、パターンに対するものではないのである。(Gendlin, 1991, p. 115; 1992; p. 41)

シンボルの非論述的使用から論述的使用に至るまでを、「二重の知覚」や「パターン」や「~について (aboutness)」といった用語を使って、漸次的に、しかも統一的に捉えることをしたのは、ランガーを引き継いで発展させたジェンドリンの功績だと言えるでしょう。

参考文献:

Gendlin, E. T. (1991). Thinking beyond patterns: Body, language and situations. In B. den Ouden, & M. Moen (Eds.), The Presence of Feeling in Thought (pp. 21–151). Peter Lang.

Gendlin, E.T. (1992). Meaning prior to the separation of the five senses. In M. Stamenov (Ed.), Current advances in semantic theory, pp. 31-53. John Benjamins.

Gendlin, E. T. (2018). A process model. Northwestern University Press. ユージン・T・ジェンドリン [著] ; 村里忠之・末武康弘・得丸智子 [訳] (2023). プロセスモデル : 暗在性の哲学 みすず書房.

Langer, S.K. (1957). Philosophy in a new key: A study in the symbolism of reason, rite, and art (3rd ed.). Harvard University Press. スザンヌ・ランガー [著] ; 塚本明子 [訳] (2020). シンボルの哲学 : 理性、祭礼、芸術のシンボル試論 岩波文庫.


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