訴訟は社会課題解決の手段になるのか〜『政策形成訴訟』を読んで〜

 最近、中国「残留孤児」国家賠償訴訟弁護団が、訴訟から最終的に自立支援の立法を勝ち取るまでを書いた『政策形成訴訟』という本を読みました。

アドボカシーの第一人者として非常に尊敬している方から「鬼澤さんもしっかり昔のことも学ばないといけない」というご指導をいただきました。そのため、今までの弁護士の活動ももっと学ぶために、弁護団活動に熱心な友人に聞いて、この本を読みはじめました。

実は、多くの弁護士に怒られるかもしれませんが、「国の責任を問うことだけが課題解決の手段なのか?」「個別救済は必ず必要だけど、それだけでは限界があるのではないか?」という疑問を持っていたため、弁護団活動等には、昔から距離を置いていました。それは、自分が大学時代に弁護士を目指しながらも「弁護団活動」ではなく、「ソーシャルビジネス」に興味を持った理由の一つでもあります。

この訴訟は、全国で提起されましたが、実は1つしか勝訴判決を得ることができませんでした。それにも関わらず、最終的な国の支援制度も作ることができたのは、まさにこの訴訟が、最終的に特定の政策の実現を目指して行われる「政策形成訴訟」として機能していたからだと思います。

本の中では、想像を絶する苛烈な原告の経験を尋問などを通じて裁判所及び世論に訴える過程、そして、各裁判所の判断を踏まえて弁護団が法的な理論構成を深化させていく過程、最後法案を作成する段階での厚労省等との攻防、訴訟を終結させる際の原告団・弁護団側の葛藤など、時系列にわかりやすく描かれています。

個人的に印象に残ったのは、残留孤児支援のボランティアの方々の活動です。自分も含め、いわゆるソーシャルビジネスやNPOの方々は、「それぞれの立場で事情があるのだから、訴訟で誰かの責任を問うのではなく、自分たちでできることをして実績を作り、それを国などにまねさせて展開した方が良いのではないか」と考えがちだと思います。しかし、中国残留孤児の方々の支援は実際に民間で行われており、それにも関わらず、残留孤児の方々の生活保護受給率は異常に高く、さらに、残留孤児の方々は言語の壁で日常生活にすらハードルがある状況でした。つまり、既存のボランティア活動や、NPOの支援活動では根本的な課題解決には程遠い状況だったからこそ、訴訟が起こされたのです。

NPO自身が実感していることだと思いますが、NPOの活動も、単体では限界があります。そのような中で、この活動では、司法という機関の力・舞台を通じて、残留孤児の方々が置かれた悲惨な現状を世間に広く発信するとともに、政治や行政にも働きかけ、国を動かしたのです。ここまで、情熱を持って政策の実現に尽力した原告団のみなさんや、弁護団のみなさんに改めて、ただただ敬服します。

では、どのような訴訟が「政策形成訴訟」として効果的なのか、これから深掘りが必要ですが、この本を通じ、少なくとも社会課題解決の手段の一つとしての訴訟を、もっと研究していきたいと思った次第です。

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