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静岡県の川勝知事のマイクロアグレッションとアンコンシャス・バイアス

静岡県の川勝知事が不適切発言をしてしまった。

「県庁はシンクタンク。野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、皆さまは頭脳、知性の高い人たち」

その後の囲み取材の折、突然、辞職の意向を表明した。そして、次の翌日の記者会見で、職業差別とも捉えられかねないこの発言に対して、以下のように謝罪した。

「私の新規県庁職員としての励ましの言葉の中に人々の心を傷つけるものがあったということを厳しく受け止めております。心を1つにしている、あるいは心を1つにしたいと思っている方々の心を傷つけたということがありましたならば、特に、第1次産業、農業、酪農、あるいは水産業、これは最も大事にしてきた産業であり、そういう方たちの心を傷つけたとすれば誠に申し訳なく心からお詫びをいたします」

詳しくはこちらをどうぞ。

発言の功罪についてはワイドショーにお任せするとして、ここではなぜこのような差別発言をしてしまうのかについて書きたいと思う。

ひとつはメタ思考能力の欠如だ。ここで言うメタ思考能力は、言葉が与える影響を一歩引いて俯瞰的に想像する能力のことだ。

「県庁はシンクタンク」という表現も誤解を生みかねないし、野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかしている方々に不快な思いをさせてしまうことが想像できなかったのだろうか。メタ思考ができていれば、この発言はなかっただろう。

もうひとつはステレオタイプに囚われているからだ。

川勝知事は説得力のあるうまい挨拶をするには、肉体労働と知的労働を対比させると説得力を上げるのに効果的だというステレオタイプにとらわれていたのではないかと感じた。

政治家であるから言葉巧みで演説もうまい。経験値も高ければ、語りの自分の型も出来上がっている。そこに「政治家ならこう語れ」というステレオタイプな考え方が潜んでいたのかもしれない。

このように、その意図がないのに、相手を差別したり、傷つけたり、もやもやさせたりすることがことがある。これをマイクロアグレッションと言ったりするが、川勝知事の場合、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)もあったのではないかと思う。

例えば、ここに長い間ニートな青年と先輩がいるとしよう。

仕事を探そうと失敗続きなニートに対して、先輩が「俺も仕事がなくて困った時があったからな。気持ちわかるよ」と言う。

悩んでいる人にはまずは共感が大事だと学び、そのステレオタイプにただ忠実なだけの先輩には、ニートな青年が「仕事のことには触れてほしくないのに」ともやもやしていることが、残念ながら想像できていない。

ここにもマイクロアグレッションとアンコンシャス・バイアスが見え隠れしている。

そしてもうひとつ。

ある小学校の教室。男の子と女の子が腕相撲をしている。男の子は女の子と「手をつないでいる」のだからうれしい。腕相撲だから照れ隠しにもなる。

すると、見物していた同級生が「お前ら好きなのか?」と言ってきた。
すかさず男の子は「黒いから好きじゃないよ」と言い、女の子を泣かしてしまった。

男の子は日に焼けたその子が好きだった。小学5年3学期のことだ。

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