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【ソシュールの言語学と構造主義のつながり】 4/4 ソシュールの「言語の恣意性」からフーコーのエピステーメーへ


構造主義ってそもそも何?

進歩史観とは、歴史は一貫して発展し続けるという「発展神話」に基づく信念があるが、構造主義は社会主義や共産主義のようなイデオロギーではないので、時代や社会を大きく動かす力はない。しかし、60年代にフランスで発展した構造主義の影響は世界に広がり、日本でも80年代には学術の世界だけでなく、社会的にもブームになった。浅田彰の構造主義・ポスト構造主義についての本「構造と力」が、難解な哲学書にもかかわらずベストセラーになったのもこの時期である。

構造主義はそもそも「みんなそれぞれでいいんじゃない」というものの見方や考え方の総称のようなものだ。それに「世の中こういう構造で動いているよね」というような、ある意味、達観したような見方もする。しかも自分の価値観に基づいて自己中心的に見るということを避けようとする。だから、構造主義には確たる立場や信念のようなものがないと言えばないし、とらえどころがない言えばない。しかしながら、あえて大切なものがあるとすれば「事や物のそれぞれの差異に着目する比較相対の観察法」と「メタ認知的な思考法」ということになる。

ソシュールからフーコーへ

この構造主義的な観察法と思考法はソシュールの功績によるもので、この見方と考え方が構造主義を生み、後の発展とブームへとつながっていった。ブームになったのにはそれなりの理由がある。

構造主義以前、世の中に流布していた古典哲学もサルトルの実存主義もマルクス主義もどれも素晴らしいことを言っているが、どこかしっくりこないと感じていた当時の人は、ニーチェのニヒリズムの影響もあっただろうし、少なからずいたはずだ、と私は思う。

そこにソシュールが「言語の恣意性」を打ち出す。

ソシュールは数多くの言語の違いを比較研究するなかで、擬音語や象形文字のような有縁的な言葉は存在するが、言葉の発生をそもそも裏付ける決定的な根拠や言葉の意味に普遍性はないことを発見する。

”dog”や”犬”はどうしてdogや犬になったかは説明できないし、逆にイヌと言う”存在”に対応する言葉は”dog”や”犬”とまちまちである。犬という実体的な”存在”がイヌという概念を生んでいるのではなく、”dog”や”犬”という言葉がネコでもないイヌという違いを切り取って、イヌという概念を作り上げているに過ぎず、イヌという概念を支えているのは差異でしかない。このように言語の成り立ちを説明できるのは、普遍的な根拠はなく差異しかない。そして、その差異の発生には必然性はなく恣意的なものである。

うまく説明できないが、「言語の恣意性」についてはこんな感じになるが、それを専門的には「言語の恣意性」は言葉(シニフィアン)とその意味するところ(シニフィエ)には必然性がないことを説明する。この「言語の恣意性」を理解した者のなかには、これは他でもない聖書のテクストとその意味にも、必然性はないと暗に指摘しているではないかと気づいてしまった者がいた。

そして、気づくだけでなく、パンドラの箱を開けてしまったのが、ソシュールの差異から構造的に意味を見出すという思考法を受け継いだミシェル・フーコーやレヴィ=ストロースなど、後に構造主義哲学者として呼ばれる彼らだったのだ。

西欧的な「主体」観について

さらに、構造主義の「事や物のそれぞれの差異に着目する比較相対の観察法」と「メタ認知的な思考法」は進歩史観の根底に流れている「発展神話」を物語ってきた「主体」のもつ信念をも解体することになってしまう。ここで言う「主体」は個の主体のことというよりも、もっと広い意味での西欧哲学的な概念としての主体である。

この「主体」は理性をもつ「主体」であり、真理を追求することができる選ばれし「主体」でもある。「主体」が理性をもって真理を追究することで世界も発展する。つまり歴史の発展とは「主体」の真理追究のプロセスであり、「主体」そのものの発展でもあるという信念が、進歩史観の「発展神話」の根底に流れている。

確かにこの信念に従えば、歴史は真理追究のプロセスとして発展し続ける。そして「主体」は一途で、横道にそれてしまうことも、途中で折れたり壊れてしまうこともないと信じられているので、歴史の発展には一貫性と連続性があることに論理的な矛盾はない。

そこに構造主義が出現するとどうなるか。

フーコーが見出した「認知体系と知の枠組(エピステーメー)」

構造主義の「事や物のそれぞれの差異に着目する比較相対の観察法」は、「真理の追究と言ったって、所詮主体(人間)が考えたものに過ぎないし、仮に真理の理想が達成されたとしても、時代とか文化が変わったら真理も変わるんでしょ?」という観察をしてしまう。

また「メタ認知的な思考法」は、「確かに主体をもった人間が理性的に考えることは大事だけど、人間を主体としか捉えず、それを選ばれし人間というなら、どうやって主体である人間を客観的に観察するんですか?それだといつまでも人間のことが分からなくないですか?」と考えてしまうところがある。

そして、フーコーは、時代時代に支配的な「認知体系と知の枠組(エピステーメー)」があり、しかもそれは変化していることを発見する。

フーコーは「主体」を中心軸として歴史を思い描くのとは逆のアプローチで、「主体」を中心とせずに一歩距離を置いて外から眺めるように観察(メタ認知)をした。そのことにより、「主体」には見えていない「認知体系と知の枠組(エピステーメー)」が見えてくるという知の体験をすることになった。そして、フーコーは、エピステーメーは大きく3回ほど変化していて、歴史は断絶していると、「進歩史観」を否定して「断続史観」を提示したのだ。

断続の1回目はルネサンス期(14世紀から16世紀)で、神中心のカトリック的な世界観からアリストテレス的なギリシャ・ローマ時代を再生させようとする時期。

2回目はガリレオやニュートンに始まりデカルトらによる科学的合理主義(機械論的自然観)の誕生の時期。コペルニクス的転回に象徴されるような時期(17世紀)。

3回目は実証科学が成立し、産業化・都市化により神秘的・超自然的なものへの関心が薄れ、ロマン主義が衰退する時期(18世紀末から19世紀初め)。

これらの「認知体系と知の枠組(エピステーメー)」の変化は、どれもパラダイムシフトと言っても過言ではない大きな変化で、歴史の発展には一貫性も連続性も決してないと、当時支配的かつ常識的だった進歩史観を、フーコーはまるっきり新しい理論で覆してしまった。

このような構造主義の「事や物のそれぞれの差異に着目する比較相対の観察法」と「メタ認知的な思考法」による発想は、今でこそおかなしな発想ではないが、「主体」こそが真理を追究し、世界は発展し続けるのだという進歩史観的信念が深く根付いていた時代には、まさに天と地が逆転するような考え方だったのである。この発想の転換のインパクトが構造主義がブームを巻き起こした理由だと私は思っている。

そして、構造主義のベースとなっている「事や物のそれぞれの差異に着目する比較相対の観察法」と「メタ認知的な思考法」は、ソシュールの観察眼と思考体系から連続的に受け継がれたものなのである。



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