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お注射日和

お注射はオッサンにとっては非日常のことではない。

人の血管に針を通すというのは並み大抵のお仕事ではない。しかもご自分のためでもなく、オッサンの健康のために、お注射をしてくれる。オッサンはそんな看護師さんたちに感謝の思いでいっぱいなのだが、感謝の意を表することができず、いつも看護師さんたちに苦労ばかりおかけしている。

日本の看護師さんはとにかく優しい。

注射針を刺す前に、「アルコールにアレルギーはありませんか?」と、親切にもアル中の私にも聞いてくれる。

三年前のある日。

看護師さん「アルコールにアレルギーはありませんか?」
オッサン「アルコールは外からも内からも大丈夫ですよ」
看護師さん「(笑顔で)お笑いの才能がありますね」
オッサン「(モノローグ)自分にはお笑いの才能がある」

オッサンは看護師さんの言葉を素直に受け取ったのである。

注射を前にするととにかく緊張する。実は、緊張をほぐすためにとっさに出た言葉が、「アルコールは外からも内からも大丈夫ですよ」だった。

血液検査でもワクチン接種でも、日本では必ず「アルコールにアレルギーはありませんか?」と聞かれる。海外では聞かれない、らしい。

持病もちのオッサンは定期的に血液検査を受けている。そして、お笑いの成功体験に味を占めたオッサンはいつも「アルコールは外からも内からも大丈夫」と答えるのだ。

それほど第一回お笑い成功体験は医大な、いや偉大なものだった。

だが、しかしだ。

看護師さんたちは必ず笑ってくれる、

はずがなかった。

たった一回の成功体験に固執するオッサンは、自分にはお笑いの才能などないことをわかる才能すらない。

おまけに「サムイ」という空気を読む才能もない、ないないづくしのオッサンは「サムイ」空気を繰り返し作り続けるのであった。

注射針は狂気だ。いや、間違った。凶器だ。

注射針は一発で入らないものだ。

ある血液検査の日。

一人目は二か所刺したが、採取できず。
二人目は一か所刺した後、「私よりもうまい人を呼ぶ」と言った。
そして、三人目は二か所刺して、「これ以上刺せるところがない」と言って姿を消した。

最初の一人は「アルコールにアレルギーはありませんか?」と聞いてくれたが、そのあとは誰も聞いてくれなかった。オッサンはつまらんなと少しさみしい気持ちになった。

少し時間がたつと、やがて4人目が針を持って近づいて来た。ラスボスだ。

看護主任「いい血管してるけどね。腕の奥に埋もれて見にくいわ」
オッサン「(モノローグ)デブだから?」
看護主任「(厳しい目つき)うまく刺せたと思ったら血管が逃げちゃった」
オッサン「(モノローグ)血管が逃げる?」
看護主任「入れ直すか」
オッサン「(モノローグ)え?入れ直す?」
看護主任は言う通り、針を抜くことなく、腕のなかに針を残したままゴリゴリと刺し直した。

注射針を刺した後の青あざが6か所残った。

たった一回の成功体験を引きずるオッサンだ。この苦い体験がオッサンを捉えて離さないことは言うまでもない。

オッサンはお注射が嫌いないのだ。

今日は二か月ぶりの血液検査。

やはり血液検査は怖い。緊張する。

が、逃げるわけにはいかない。オッサンには健康を取り戻す任務があるのだ。

看護師さん「アルコールにアレルギーはありませんか?」
オッサン「アルコールは外からも内からも大丈夫ですよ」

ところが今日はいつもと展開が違う。

看護師さん「(笑顔で)お酒好きなんですか?」
オッサン「(真顔で)あ、大好きです」
看護師さん「お酒は何が好きなんですか?」
オッサン「(ちょっと笑顔で)ビールか焼酎ですかね」
看護師さん「私もビール大好きなんですよ」
オッサン「でも、痛風もちなんで・・・」
看護師さん「ビアガーデン行きたいんですよね」
オッサン「もうすぐ、そんな時季ですよね」
看護師さん「はい、お疲れ様でした。次は心電図ですね」

オッサンは驚いた。そして感動した。

注射針が刺された感触も、抜かれた感覚もなかったのだ。

初めての「成功体験」だった。そしてオッサンは、お注射が少し好きになったのであった。




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