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漂泊幾花 外伝 ~般若理趣義解6~

Scene8  般若理趣経十七清浄句

その日の最終の新幹線の中に咲は座っていた。そして、手にした十七清浄句と、帰りがけに妙悠御前がさらさらっと書いた訳文とを交互に見比べていた。

(ええか?字面でわかろうとしてはあかんで、今、心に観じたことを、まっすぐに見つめるンや。)

 御前はそう言いながら訳文を手渡した。咲は今その文に見入っていた。

◎- 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
◎- 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
◎- 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
◎- 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
◎- 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
◎-欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
◎- 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
◎- 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
◎- 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
◎- ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
◎- 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
◎- 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
◎- 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
◎- 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
◎- 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
◎- この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
◎- 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である

(生死即涅槃、煩悩即菩薩。これは、究極のおのれの心のありようじゃ。
 そしてな、如実知自心といって、すなわち、現実あるがままの自分の心を観察し、それを知ることが悟りへの道であるっちゅうわけや。)

 御前の言葉がその回想から語りかけてきた。

「・・そうかぁ、突き詰めて自分の心を見つめたら、このことは避けて通れないっていうことなのかな。」

 咲は思わず独り言を言った。 そして、静かに目をつむり、走馬燈のように巡る今回の旅の中で変わりゆく自分自身の心の変化を思った。

・・・旅の結果、あたしはいろんな新しい命をあたしの中に宿らせた・・・

 そう観じたとき、咲はハッと目を開け、自らの胸に手をおいた。

・・縁と因、その結果がこの命の予感・・。そして、あたしも同じ。 

咲は誰にともなくくすりと微笑んだ。ひょっとしたら第三者の目には聖母の笑みに近かったのかもしれない。

「・・・・ああ・・生まれてきてよかった・・。」

咲は小さくつぶやき、ふうっと息を吐いた。

「ああ・・センパイに逢うのがたのしみ・・。」


煩悩を胸に・・了

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