「日本仏教」と「止観」の接点 その2
末法思想によって「わかりやすい仏教」がトレンドになった
日本に伝来した仏教は、
そもそも「鎮護国家」という政治思想であったわけです。
しかし、今もそうですし(建前はちがうけどね)
そもそも仏教は、高い教養と政治の理念ととらえられていたわけです。
ですが、空海さんと最澄さんの二人がもたらした
真言密教や法華一乗という理念で、
仏教そのものというか、「寺院」というか、
「僧」自体が民衆により近づいたというわけですね。
ただ、やはりこのことは別の意味で
寺院の世俗化を進めていき寺院自体が、
世相不安を受けて「城塞」のようになることにもなります。
そんな中で、まさに「民衆」の救済に向かう僧が
世俗化する本山から生まれていくのです。
彼らが思ったのは「止」のフィールドを
どこに置くかを民衆に説いた事にありました。
この動きが生まれた背景は「末法思想」にありました
さて、この末法思想とは、ざっくりと説明いたしますが、
これは仏教における独特の歴史観にあります。
すなわち、「ブッダの教え」はやがて衰退し、
そののち新たなブッダである弥勒菩薩によって
新たに説かれる。
という概念から導き出されます。
釈迦の死後、1500年後、または2000年の間が
正法=仏弟子や教団が正しく教えを伝える。
そして像法=教団は変質するが、
根本の教えは残っている世です。
それを過ぎると「末法の世」となり、
仏法が衰えて世の中が乱れるという教えです。
ブッダの入滅が紀元前10世紀とされていますから、
10世紀の平安時代末期はまさに「末法」に入る時代だと
信じられていたわけです。
ですから、もはや「仏法」にすら救いはないのではないのか。
という考えが人々の中に広がり、
この世ではなく来世で悟りを求めるのがよいのではないのか?
あるいは、世俗における救いはもはやないのではないのか?
という考えが広がる中。
天変地異や政治の荒廃、社会不安が広がっていったわけです
ですから、この世での悟りはない、
極楽浄土の主である阿弥陀仏にすがり、
来世において極楽浄土に往生したい。という考えに至るわけです。
校内暴力激しい中、なんとか「いい環境の学校」に合格して
いい教育を受けたい。という考え方だと思えば、
わかりやすいかと思います。
こうやって生まれたのが「浄土信仰」です。
であるならば、どうすればそこに行けるのだろう。
その方法を示したのが、
法然さんの「専修念仏」という考え方でした。