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雑司ヶ谷の鬼子母神さん

「そうだ、都電に乗りたいな。」

そんな提案に、ならば入谷の鬼子母神ではなく、雑司ヶ谷の「鬼子母神」を選んだのだ。鬼子母神きしもしんとは、いわゆる「如来」や「菩薩」ではない。

 まさに元々は「鬼」なのだ。言ってみれば「悟りを開いた鬼」というべきなのかもしれない。

 鬼子母神という存在は、仏教ではなく言ってみればヒンズーの神だ。大乗仏教の巻き返しにインドで生まれた「密教」は、当時のヒンズー教との習合が進んでいたのだ。

 そこで「仏法擁護」の神としてヒンズーの神が習合し、すべてを包括した「華厳経」「大日経」「法華経」が仏法擁護の神として習合したのが、中国に伝わり、さらには9世紀の日本に伝わったのが、こういった「現世利益」の神たちだった。しかも本地垂迹といって、日本の八百万神までも、ここに収斂されたのが、今の日本の民間信仰の姿なのだ。

 さて、鬼子母神とは子育ての神だと言われている。
「鬼子母神って、なんか恐い名前ね。

  彼女は少女のような感想を口にする。そうだ、感覚的に言えば鬼は鬼だし、そもそも悟る前の鬼子母神は、めちゃくちゃ性格が悪いのだ。しかし、鬼と神が同居するこの名前は、不思議と何かを感じさせるのだ。

 この神はそもそも「ハーリティ」という邪神で、500人から1000人くらいの子供がいたとされている。しかしながら性質はいたって邪悪で、他人の子供を食らって暮らしていた。そこで仏陀がこの邪神の一番かわいがっていた子供である「愛奴」を隠した。すると彼女は気も狂わんばかりに嘆き苦しんだ。そこで仏陀は彼女にこう諭した。

 「ハーリティよ、大勢いる子供が一人いなくなっても、そのように悲しいではないか。ましてや少ない子供のうち、一人でもいなくなる親の気持ちはどうであろうか。」

鬼子母神はそこで善心に立ち返り、子の代わりに吉祥果ざくろを食することによって、逆に子供を守る神となったのだ。

こういう伝説があるが故に、子育て、恋愛成就の神として特に江戸っ子に親しまれた。

 「え?なんでなん?」

彼女は不思議な顔をする。確かに幼子を連れた若夫婦の姿が見えた。

 「当時の江戸ってね、男性と女性の人口比、8対2だったんだよ。
「ほほう・・。」

彼女は納得したようなよくわからないようなそんな表情を見せた。
ちょっと艶っぽいたとえを言ってみたのだが・・・。
ふむ、やはり彼女は永遠の少女なのかもしれないな。参道の大きなケヤキを観ながら、そんなことを考えた。

 「オン・マリギャキティ・ソワカ」

「あはは、なにそれ?呪文?」
「鬼子母神さんの真言。」

納経帳に書いてくれたら、なにか御利益あるかもしれんな。

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