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神の存在は自由無碍なら、どうしたらいいか


祀る神は、すべて畏敬するが、その時で違う「多神教」。

  多神教の神様は、それぞれ得意技があります。
日本の場合は、そもそもが八百万ですから。
前回も述べましたが、日本人の生活文化の中において
「神」は多様にあり、それは自分たちの住むこの世とは、
違う世界のものである。
という基本的な構えスタンスをもっています。

  ですから、日本文化の中においては、
こういった神の領域Untachablleを大事なことに思っていたわけです。
 つまり、存在というより「領域」自体が価値の高いものであるという考えです。

 すなわち、人間の側で自分の神を選択したり、
この神は何かということではなく、「たまたま神がしてくれた」、
「有り難いこと」に感謝する
というわけです。
 まぁ、言ってみれば、チョコボールの「金のエンジェル」が当たったようなものと考えていいでしょう。

 そこから考えれば、「神」とは、自由奔放で気まぐれであり、 
人の考えや願いなんか聞くような存在ではない。という説が立ちます。

ですから、神々のなさることは、
人間どもが「自分たちのためか否か」などと考えることは控え、
まず畏れることを第一にして、祈った結果、
自分たちに、もし御利益都合がよかった結果があったのなら
「有り難い」と祭り上げるわけです。

 これは、「たまたま御利益」があった神に感謝する。
という形をとります。
 つまり、日本文化は「神を畏れているが、一つに選ばない」
だけど、この領域は験がいい。だからそこに「あやかる」というわけです。よくいう「開運」の期待をするわけです。しかし、必ずしも絶対的な「神の保障」を求めるわけではないというのが、特徴なのかもしれません。
 この行動様式は、「宝くじの高額当選有り難し」に並ぶ人と同じ心情でもありましょう。

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「唯一の神」を信仰するメカニズムを探る

「有り難い」という現象は、
言い換えると「奇跡」という言葉にも言い換えられますが、
この二つの語は、似て異なりであるかもしれません。

「唯一神」の代表格はやはり「ヤーヴェ」です。
しかし、この神は元々は「ユダヤの神」です。
というか、この神を唯一の神と認める民をユダヤの民イスラエルと呼んだわけです。
ですから、彼らの象徴として「ヤーヴェ」という神を祭り上げたということになりましょう。
 
 ヤーヴェの起源については、よくわかってはいませんが、
数世紀をかけて書き継がれた旧約聖書バイブルによって、どのような存在か、その概念を形成しています。
これは、古事記の「神代」にもあたりましょう。

 さて、この「唯一神ヤーヴェ」は、
古代オリエントの多神教の神であったのでしょうが、
概念として八百万のような「自然神」であったのかどうかはわかりません。

たとえば日本の神話であるイナザギ・イザナミの国造りと、
創世記に、その制作意図の共通点が見られるからです。

 少し恐い話になりつつあるので、今回はここまで

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