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咲の覚醒  後編

 

 咲は座って、御前の課題に対して「瞑想」した。自問自答の繰り返しをしてみる。

「自分の物でなければ、とっちゃいけない・・かぁ・・。」

 座りながら咲はため息をついていた。参禅の無想、なんて代物じゃない。「自分の物」とは、いったい何なのか、改めて考えるしかない・・。

   他人の財産や地位みたいな物は、当然とっちゃダメ。あたりまえだし、御前様がこんな問題出すわけがない。これで答えたら「アホ!」と一喝されるのがオチだ。

 まてまて・・・・

 咲はじっくり考えた。まずは自分の悩んできた課題から・・・。そう、あたしのこの身体。「十七清浄句」から考えよう・・。

 あれはまぎれもなくセックス描写だ。しかも、それ以上に欲情どろどろだ。それを清浄というのは何なのか。で、考えてみると、セックスは肉体と相手あっての物。そうなると、たとえば相手がいないとしたら、あたしのこの快感求める「肉体」というのは、そもそも本来あたしの物なのだろうか?

 咲は考えた。

 あたしの身体は、父と母の和合で生じた「縁」の結果。だから、あたしの物ではないのだ。あたしの肉体そのものは、ただの借り物で、耕作に愛されて次の縁を生む因にもなりながら、様々な関係性を糧としてやがて朽ち果て死んでいく、「肉の乗り物」。本来のあたしの物ではない。だから、とることはできないのだ。

 では、目に見えてるもの・・。確かにそこにある。見える。だけど、見えるということは、そこに光があり、物がその光の作用によってあたしに見えるだけの物。真っ暗になったら何も見えない。だから、自分だけの物じゃない。だって、あたしはたまたま見えてるだけ。

 そう考えると、眼だけじゃなく、耳や舌、鼻、そして、耕作を受け入れたあの身体の感触も突き詰めれば自分の物じゃないんだ・・・。

 そして、いいか悪いかとか、気持ちいいとか悪いとか、そういった心の働きすら、自分の物じゃないのだ。なぜなら、「相手」がいないとそれは生まれないからだ。本来的な自分の物ではなく、相手あって生まれるものだから、自分の物なんて言えないな。

 すなわち、心という物だって、「相手あって」生まれるものだ。相手がいない自分だけなら、それも生じることはない。なんだ、もともとほかと対比しない、完璧な自分だけの物なんてホントにあるのかな。みんな、なんかとなんか、ネーミングの嵐。

 う~~~ん

 咲はどんどん悩みつつ、なにか、だんだん軽い気分になっていった。


 「・・え・・・・何??、・・なんで、いろんな物になまえとか意味つけてんの?・・あたし・・。」

 咲は、堂に響くような声を発した。

「・・そうか~~~~~~そうなんだよ!!!!!」


   驚いた若い僧が入ってきたが、その横から御前が咲に語りかけた

「咲ちゃん、・・・なんか悟ったか・・。」

咲は御前の顔をじっと見て言った。

「うん、さっき。 でも、一瞬・・・あはは、なんだったか忘れちゃった。・・もうわかんない。」

御前は大笑いして咲に合掌した。

「・・・たいした子や・・・」

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