政治とは必要なモノなのか?
さて、ちまたでは再び「選挙」だの「政局」だの、
報道がかまびすしくなっています。
で、以前書いた内容も、再編してあわせて書いてみました。
以前の記事も、よければお読みください。
「政治に興味がない」といえば
「意識が低い」だの
「主権者意識がない」だの言われそうなのですが、
ないものはない。
そう言える存在があったっていいんじゃないのか。
そんな事も思うのです。
しかしながら、先進国においてのstandard Thought である
「民主主義」から言えば、これはある意味
「無責任」な態度であるとも評価されます。
そうはいっても「政治」が好きな人というのは、
とかく攻撃的な人が多い。という印象をあたしは常に持ちます。
また、自分の利益のために「政治」に熱心な人もいるでしょう。
はっきり言って、「お友達」にはなりたくない部類です。
緊急に対処しなければいけないときには
「強い指導力」が必要になりますが、
そんな状態がいつも起こっていたんじゃ
たまったもんじゃありません。
そんなモノを必要としない日常が多く、
「指導力」なんかなくても良いという状態の方が、
むしろ望ましいのではないかと思います。
そしたら「政治」なんて無関心でいたほうが、
むしろ平和なんじゃないのか。と思うわけです。
すなわち、中国の古典「十八史略」にある
「鼓腹撃壌」のエピソードのような状態です。
日の出と共に働きに出て、
日の入と共に休みに帰る。
水を飲みたければ井戸を掘って飲み、
飯を食いたければ田畑を耕して食う。
帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか。
(現代語訳)
多くの人々が「政治」に関心を持つような世の中は
ろくなもんじゃないのじゃないのか?
という見方もできます。
逆にどのような「政治体制」であっても、
人々の幸福感があれば、
それはそれで「いい世の中」であるとも考えられるのです。
民主主義とは
自分たちの事は自分たちでちゃんと話し合って、
決めていこうという考え方です。
しかし、これはある意味しんどいし、
手続きはめんどくさいし、
そういうことを考えれば「絶対に正しいやり方」である
とは言えないのかも知れません。
他方で、自分たちで決められない状態が、
ひどい事を起こしてきたという経験から、
めんどくさいけれど、自分たちの事は自分たちで決めた方が良いのだ。
というそんな考え方も非常に大事な事ではあるでしょう。
いずれにしろ、自分たちの方向性を
「誰かに決められたとおり」にやる事は、
楽だけれどもリスクは大きいのだ。
という事が言えるのでしょう。
このことが「優先」されているわけです。
「自己決定」の尊重はなによりも基本的な事だからです。
そこでシンプルに考えると、
「自己決定」と「政治決定」の大きな違いは、
後者が前者に対して「強制力」を持つと言う事です。
ですから、強制力を持ってでも行うべきモノは何か。
という事を決定し、「納得の下に」実行される事が
「政治」というものの本質である。という事です。
そう考えると、「政治」はとりあえず
「あってもよいもの」なのかも知れません。
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