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どーでもいいことだけれど、あちこちに転がっている、信仰モニュメントを調べてみる。

「庚申塚」ってなんだや? 年中行事を考えてみる

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 さて、当研究室は、年中行事に
様々うんちくを重ねてまいりましたが、
感想としては、クリスマスとか節分しかり、
なんだか商業ベースに乗って変質し、
本来の意味を失っているような気もいたします。

まぁ、ひとの営みって言うのは常に変化するのが道理ですから、
こういった年中行事も時代を追うにつれて
変容するものではあるというものの、
やはり、こういう年中行事本来の意義を
頭のどこかに置いておかないと、
ただ何も考えずに「流されて」いっちゃう風潮が
怖いわけなんでございます。

年中行事がある理由

日本の例で言えば、こういった年中行事というものは、
そもそも「ハレとケ」の民俗文化の構造から来ていることが
学説的に言われています。

すなわち「ハレ」とは
祭りとか盆、正月、節句などという晴れやかな生活で、
それに対する「ケ」が日常の生活であったわけなんです。

そもそも説で言うと、
「ケ(日常)」のエネルギーが枯渇してきたとき
「ケ=枯れ≒穢れ」と位置づけ、それを祓う儀式というものが
すなわち「ハレ」の日である
というサイクルが見てとれるわけです。
あたかも「スマホを充電するがごとく」
言うとなんとなく理解できると思います。

 で、長らくこのことが
「日常(ケ)」≠「非日常(ハレ)」という風に
厳格に区別されておった
わけです。
ところが近代になって、資本主義が浸透してまいりますと、
どうしても大量消費が社会の風潮になります。

こういった需要を伸ばすには、ハレとケの交流が欠かせません。
すなわち「年中なんかの祭り」であることが
理想になるわけなんですな。

 このことを民俗学の大家、柳田国男先生は
「酒の飲み方」で説明されております。

酒の飲み方の変化が日本の文化を変えた

どういうことかというと、
明治以前、酒は本来は「ハレの日に集団で飲むもの」
として作られていたものなんです。

すなわち神と人が、同じ樽の酒で
ともに酔うものである事に意義があり
このことが「ケ枯れ」を払って新たな「ケ」を産む活力とした。
というのが本来の酒の文化的な役割であったということです。

ところが明治以降は、酒屋で瓶酒を売るようになり、
独酌を愛する人が増えてきたということです。
本来は「ハレ」の日で、しかも集団で飲む事とされていた酒の飲み方が
大きく変わったと言うことなのです。

すなわち、ハレとケの区別がつかなくなっているのが
今のあたしたちの社会文化であると言えましょう。
ですから、この酒のようにハレの儀式の厳粛な部分が、
まるで当たり前のような感覚で捉えられるようになり
それこそ「年中お祭り騒ぎ」とでも言う状態で、
知らずのうちに商業ベースに
あっさり乗せられてるってのがあたしたちなんです。

暦の文化的・社会的な意義とは

さて、それはさておいて、
「年中行事」は「暦」のスケジュールが欠かせないわけでして、
この「暦読み」の変遷においても
こういった年中行事は複雑に変遷をとげてきた経緯があります。

したがって本来の意義や形式から
大きくかけ離れていったものの少なからず存在しております。
そこで、そういったものを
一つ一つひもといていこうってのが
あたしの研究者としての意図なんでございます。

 ざっと暦に関わることがらを上げていってみましょう。
暦とは一年のサイクルを何らかのルールで
セクション分けした単位でございます。

 現在世界的には、太陽の運行を基準とした
「太陽暦」がデフォルトですが、
例えば日めくりに書かれている内容をざっと挙げただけで、
例えば明治以前に使っていた大陰暦の旧暦日
「ひのえうま」などの十干十二支、すなわち干支(えと)です。
立春とか時候の挨拶にも使われる二十四節気
農事暦でもある七十二候。
大安とか仏滅といった六曜星。
節分や土用といった雑節などが記されております。

 これらの暦読みにおいても、
あたしたちの「行事」に深く関わっているものも数多くあります。
むろん、商機においてもこれらは大きく関わるんですな。

さて、最初のお題は、画像に上げた石造物でございます。
これは「庚申塚」とか「庚申塔」と呼ばれるものです。
だいたい村はずれの道ばたに建っているものですが。 
次回はこの「庚申塚」について
ざっくりとひもといてまいることにいたします。

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