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「日本仏教」と「止観」の接点 その11《最終講》

日蓮の疑問

日蓮さんの猛烈な「勉学」の末に、
たどり着いた「法華一乗の理念」だったわけですが、
日蓮さんの解釈は、革新的なものでした。

まず、日蓮さんには二つの疑問が当初からありました。
まず一つは当時の日本仏教のあり方でした。

日蓮さんの時代、表向き仏教は興隆していました。
南都六宗に加え、真言・天台、そして浄土や禅。
日本史の教科書では、「鎌倉新仏教」というくくりでも述べられています。

 ところが、日蓮さんには、
この状況がどうも納得がいかなかったのです。

つまり、「仏陀の教えは、そもそもただ1つであるはずなのに、
なにゆえこのように宗派の優劣を争うのか

これは国に多数の王がいるようなもので、民は穏やかではない。
では、この中にどれが仏陀の真の教えを述べておるのか、
あるいは、このほかに仏陀の真意を示した教えはあるのではないのか。」
 という疑問でした。

そしてもう一つは、
仏教が広まっている国は平和であるというが、現状はどうか、
源平合戦や承久の乱など、実に混乱を来している
ではないか。」

日蓮さんは「日本第一の智者」になろうと思った理由が、
この二つの疑問を解くためだったのです。
ですから、この疑問を解くためには、
あらゆる経典や教義を徹底的に究め尽くし、
これらに対する批判を行う力を身につけることが
目標となったわけなのです。

 そして、清澄寺に始まり、各寺院の門を叩き、
比叡山において「これだ!」という経典に出会ったのが
「法華経=妙法蓮華経」だったのです。

 日蓮さんは、自身の持つ二つの解決策は、まさに「これだよ!」
という確信を得たのでした。
すなわち、「法華経」に対する絶対的な帰依でした。

法華経こそ仏陀の最終的な教えであり、
その内容こそが真理を現しているのだ。という結論でした。
そして、その思想の表れと言えるサマタのあり方は、
唱題目南無妙法蓮華経の実践である
と考えました。

 また、日蓮さんの根本的な主張は
「現世でこそ人は救われ、仏陀になるべきだ」という事でした。
ですから、「法華経」の内容を根拠に、各宗に批判を行いました。

すなわち、最終的な仏陀の教えである「法華経」に照らすと、
おまえたちはおかしくね?という塩梅で、
「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」
という「四箇格言」を主張をしたのです。

 すなわち、この末法における現世こそ仏国土であり、
法華経の絶対理念である。
それが現出していないのは、完成された法華経を曲解し、
世に流布している各宗のせいである。

しかるに、正しき教えである
妙法蓮華経法華経のみに帰依すべであろう。と言う主張でした。

これは当時では非常にユニークな立場ではありました。
そのため日蓮さんは迫害に遭います。
なぜならば、当時の社会13世紀の民衆は念仏信仰に凝り固まっており、
為政者である武士は禅宗を庇護し、
貴族や朝廷は比叡山や高野山と関係が深かったからです。

既成仏教勢力となっていた各宗は、
当然ながら日蓮さんを危険視します。
そのため、日蓮さんは故郷にもいられなくなってしまいました。

日蓮への弾圧

 鎌倉の小町の辻説法では、民衆から罵倒や石つぶてを加えられます。
しかし、日蓮さんはこれを、
法華経の中にある「法難」であるとしました。
法華経を信奉するものは、これらに耐え、
邪悪な信仰に染まった人々を救済するために必要な「受難」である。
と主張するのです。

日蓮小町辻説法図

 この強い信念は、やがて何人もの
「日蓮シンパ」を生み出す原動力となりました。
そうしてやがて日蓮さんの教団が形成されていったのです。

そして、日蓮さんは立正安国論りっしょうあんこくろんという予言の書を発し、
法華経に帰依しなければ、国はますます乱れ、
さらには未曾有の国難が起こると予言までしたのです。
その内容とは、このままでは他国の侵略を受ける。と断言しました

このような勢力が生まれると、時の為政者北条時頼はますます危険視します。
そのため、日蓮暗殺まで命じます。
しかし弟子が犠牲になりましたが、
日蓮さんはこれらの難をピンクパンサー並みに切り抜けました。

 そして、とうとう「予言」はあたり、モンゴルの侵攻元寇に遭うわけです。
この一連の事件は幕府を怒らせ、日蓮さんの流罪が決まり、
密かに処刑の命令も下りました。
しかし、この時も日蓮さんは道すがら通った鶴岡八幡宮に向かい
「八幡大菩薩は何をしておるのだ!」と叫び、
さらには現場の処刑人に
処刑を断念させるような「奇跡」を起こしたと伝えられています。

言ってみれば日蓮さんの「迫力」に負けたのでしょう。
日蓮さんは予定通り佐渡に流刑になりました。

 このあとのお話は割愛しますが、
日蓮さんはこの「滝口の奇跡」によって、
自分はもう死んだものであり、以後は現世を救う菩薩になろう。
と心に決めたようです。

 そして、法華経の理念法華一乗を実現させるべき、
「三大秘法」をまとめ、後進にむけ「行法」を託しました。
いわゆる、本門本尊、本門戒壇、本門題目という
言ってみれば「宇宙は法華経の世界のもとに一つである法華一乗
の実現を目指せという教えを託したわけです。

End

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