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漂泊幾花 第2章 古都の桜花

6 「自然のお方」との出会い

 咲は、終始黙っていた。僕は、咲があそこで踏ん切りをつけたにもかかわらず、改めて伊集院家に咲をいざなった事を半ば後悔していた。
東山の小さな堂宇に二人でたたずんでいた。何という言葉もなしに、お互いにかける言葉も探せないで、ただ二人、よりそうしかなかった。何か声をかけるとたぶん咲はこらえていたものが一気に吹き出し、心が乱れてどうしようもなくなるような気がしていたからだ。だから、僕は咲に話しかけるのをためらっていた。

「なぜ・・・?」
「え・・・?」
「先輩、何故あたしに話しかけてこないの?」
「言葉が・・見つからないんだ・・・、その・・、なんて言っていいか。」
「同情・・・かな?」

 咲は迫力のある眼で僕を見た。僕は心では否定しなかった。
少なくとも、僕の感覚からはあそこでの咲の心は
ぼろぼろに惨めだったかも知れない。

老人たちの愛情は咲ではなく、
明らかに咲の母に向けられていたからである。
咲の顔を見たとたん、咲に逢えた喜びと言うより、
咲の母である伊集院江里子の面影に出会えたと言う喜びの方が明らかに全面に出ていた。

 人の心とは所詮この程度のものなのだ。

僕は自分の実の祖父の前で「母親」を演じた咲を健気で愛しく感じていた。

「・・・・違うと言えば、ウソになる・・。」
僕は正直に告げた。咲はくすくす笑った。
「ばかねぇ、あたしには、ちゃんと心の支えがいるもの。同情なんかしなくたって、大丈夫なのに・・・、うふ、咲のいい人さん?」
「・・・・・・。」

 またやられた、と言う感じになった。
「だから・・・あたしをちゃんと支えてくれないと、ひどいぞ。覚悟しろよ、先輩。」
「あはははは・・。」

 僕はつくづく、咲に恐れ入った。
夜のとばりは、徐々に深まっていった。
「咲・・・呑みに行くか・・。」
「うん・・いいよ。」

 この日は京都にもう一泊するつもりでいた。
京都で、咲が自らの健気な思いが不本意なままで終わり、
本当なら咲は一刻も早くこの街を離れたかったのかも知れない。
しかし、僕はそれが咲の本意でないことも気づき始めていた。
咲は・・失意をむしろ楽しんでいた。そんな気がし始めていた。

  木屋町筋の小さな赤提灯に僕たちは入った。

 カウンターしかない小さな店だったが、僕たちは不思議な安堵感を持ってそこに座った。カウンターの奥には割烹着を着た30代後半くらいの女将が僕たちを迎えた。
そのあまりの清楚さに、僕たちは一瞬入る店を間違ったかと思った。
京都は一見断りの店が多い、僕たちのような旅人が入る店とは異質な気がしていたのだ。

「あぁ・・おいでやす。」
女将はそう言った。
「あの・・・よろしいんですか?」
僕がそういうと女将はけらけらと笑って答えた。
「あはは、けったいなお人やなぁ。お客はんが恐縮してどないしなはりますか。」
「・・・はい・・。」
僕は全く情けない声でそう答えた。咲はとなりでくすくす笑った。
「先輩・・変な先入観があるんじゃない?・・ねぇ?おねぇはん。」

 女将はもう一回笑って、ぼくの顔をのぞき込みながらもう一度言った。
「一見さんお断りやと思いはったんでしょ?、ほんに、外の人は考えすぎやさかい、そんな店、よっぽどの店どす・・。」

 それから、ぴんと背筋を伸ばし、人差し指を上に立てて、まるで女教師が生徒に言って聞かせるような仕草で言った。
「変に通ぶるのは怪我のもとだす。あんはん。」
「あはは、そう言う事みたい。大丈夫よ、いざとなったらあたしが奉公に出るわ。」
「・・ばかめ・・。」
僕は咲の言葉でかえって恥ずかしくなった。
「そうやねぇ、ねぇはんやったら、うち大歓迎やわぁ。」

 もうすっかり二人で盛り上がっていた。僕の方が何となく不機嫌になりかけるくらいだった。

「綾、いいます。よろしゅうごひいきに。」
女将はそう言って名刺を渡した。
「東京のおかた?」
「・・はい。」
「新婚旅行はんだすか?」
「え・・・・?」

 僕が驚いた顔を見せると、綾さんはけらけら笑って言った。
「違いますやろなぁ・・・。ま、訳ありの好きおうたもの同士の旅行みたいな感じにみえますわなぁ。」
「そう・・訳ありなの。ね、先輩!。」
咲はしゃあしゃあとこたえた。
「まぁ、はっきりしたお方やなぁ。」
綾さんはまた笑った。

 がらがらと木戸を開ける音がして、一人の僧形が店に入ってきた。年の頃はゆうに70は越えているような初老と言うより、老境に入りつつある僧であった。

「あら、御前はん・・おいでやす。」
「あぁ・・。おじゃまするで。」
高貴と言うより、破戒僧の雰囲気だった。御前と言うからには住職以上の職だろうが、中世の破戒僧、一休禅師のような雰囲気で、髭は伸び放題、まさに破衣無縫といったどこか独特の雰囲気を持った僧であった。

「般若湯・・・・。」
「へぇ、お待ちやす。」
綾さんは笑いながら僧に銚子を出した。

「うわー・・・煩悩・・・。」
咲は笑いながら言った。僕は焦った。咲の悪い癖がまた出たと思った。僧は明らかに気を悪くしたと思った。僕は「すみません」そう言いかけたとき、僧はかかと笑った。
「ははは、その通りじゃ、煩悩なきところに悟りもなしじゃ・・。」

「・・ああ、そうかぁ・・・。」

 咲はにこにこして僕を見た。
「すごいすごい・・・なんかすごく心が軽くなったわ。」
僕は、咲が今日一日見せていた、ややアンニュイな雰囲気がいきなり消えてしまった。そんな感じを受けた。
「・・どうして?」
「・・・お坊様のおかげ・・・。」

 僧は気にもせずに、ただ、銚子を傾けていた。
「わいはだだのぐうたら坊主でっせ。なんもしとらん・・。」
そう言ってかかかと大笑いした。
「おなごの方が感受性が豊やさかい、なんか感じたんやろな・・ほっほっ・・。」
「またぁ御前はん、そないな事言うて・・・。」
綾さんは淡々と仕事をしながらそう言って老僧を笑いながらたしなめた。

「せや、嬢はんにな、たぶん今の心根がこういう事なんやゆうことで、ちょいとありがたい経の一節や、なんや何かさまようてるみたいやから、これを考えながら旅するがよし、のう、おかみ、紙と筆」

「へいへい・・・相変わらずやなぁ」

そう言うと、さらさらと何か経文を書いたと思うと、ふうっと乾かすような仕草をした後、「もうええやろ」といいつつ、その紙を幾重に折って咲に手渡した。

「嬢はん、わしの餞や、たぶん、あんたの旅の目的に役にたつやろ。」

 咲は、不思議なほどに自然にそれを受け取っていた。何の言葉もなく、ただ頭を垂れて、不思議だが妙に神々しかった。

「・・・いいなぁ・・・・。」
僕は思わず声にしていた。
「ほほう・・・・。」

 老僧は、ぼくの顔を見ながらにこにこと笑った。ものすごくしみいるような笑いだった。横を見ると、咲も全く同じような顔をしていた。みると、綾さんまで全く同じ顔をしていた。僕は何となく狐につままれたような気持ちになった。もしかしたら、僕も、同じ顔をしていたのかも知れなかった。もしそうだったら、とても嬉しいと心から思っていた。

「嬢はん・・、あんた、真如ちゅうもんに気づいたわけやな・・・。あぁ善哉、善哉や・・・。」
「・・はい・・、こないだ講義であった、これある時かれあり、これ生ずればかれ生ずる。これ無きときかれは無く、これ滅するときかれ滅す。・・・・と言うのが何となくすっと入ってきました。その時に、よくわからなかったんです。」

すると、老僧はもう一度かかと笑った。
「ふむふむよいよい・・・。ほうか、嬢はんは、大学で仏法を学んでおるのか?。殊勝な心がけや。かかか・・・。  じゃが、おかみ・・・。」

綾さんは、また、沁みいるような笑顔を見せた。
「ふふふ・・・、嬢はんは嬢はんとしてそこにおる、これまたええなぁ・・・どすやろ?」
「ほっほっほっ・・・そのとおりや・・。」

 そのあとは、老僧は何も言うこともなく、にこにこと酒を飲んでいた。綾さんもそのままの表情で淡々と仕事をしていた。

 小一時間して、僕たちは店を後にした。
別に急ぐ旅ではなかったが、いつの間にか僕たちは京都駅に向かっていた。夜行があれば乗ろうかという話になっていたのだった。
無ければないで駅近くで宿を取るつもりだった。

京都駅のコンコースに僕たちはいた。

「長崎行きの電車・・・やっぱり終わっちゃったね。」
「・・そうだな・・。最終の新幹線で東京に帰るか?」
「うーーん・・・。」

 咲は暫く考えていたが、また、にこにこして僕に告げた。
「それでもいいと思ったけど・・・。」
「・・え・・・?」
「うん・・・、半分答えが出たから・・・。」
「・・半分ね・・。」
「だけど、やめとく、あたしはまだ東京には帰らないよ、先輩。だって、かわいそうなマリアにまだ逢っていないよ。」

 僕は咲の旅に寄り添うと心に決めていたから、それでもいいと思っていた。咲を連れ戻すのが僕の目的ではないからだ。
「今日はここに泊まるか・・・。」
「・・うん、そのつもりだった・・・。」

 咲は何か今日は吹っ切れた感じがして僕にとっては何となく心が軽い感じがしていた。しかし、それが何であるかは僕には容易に測りかねていた。

以降 次回へ
 

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