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「小世界大戦」の【記録】 Season1-15

「そういう子たちってさ・・・。
ひょっとしたら家族がほしいんじゃないのかな。」

 ちょっと意外な涼美の反応だった

「・・・え?」

「うん、お父さんとか、お母さんとか・・。
場合によっは兄弟姉妹・・・かもなぁ・・」

 涼美の言に依れば、今,目の前にいるある
意味「困った子」に限らず、すべからくみな
そういう「絆」のようなものを、
心のどこかで求めているのだというのだ。

「それでね・・・、学校に来られる子はまだ良いのよ。」

「・・・え・・?」

「・・うん、・・・名簿にあるけど、教室にいない子って、
一定数いるでしょ?」

吾郎には思い当たる節があった。

たしか、今年、「原級留置」のままで、
3回目の「中学校1年生」の女の子がいた。
なんでも、その子が15歳の誕生日になった段階で「抹籍」

つまりは、「いなかった事」に書類上はなるのだそうだ。
保護者の「教育を受けさせる義務」も、
その段階で事実上「消滅」するわけだ。

その子の学歴を問うならば「小学校中退」
もしくは「学歴なし」という事になるだろう。

 絵空事だとは思ったが、現実にそういう子どもが、
目の前にいたというわけだ。

「まーさがよ・・・」

吾郎は思わず故郷言葉でつぶやいた。

「・・うん、そのまさか・・。」

「吾郎ちゃんの学校規模なら、各学年一人はいるんじゃないかな。
だいたい1組とかA組とかに所属してるから。
担任持ってなくても、学期の途中で「消える」よ、そういう子。」

 養護教諭は、管理職と同様に
「全校生徒」の情報を把握している存在だ、
深読みはさすがにできないだろうが、
そういった「違和感」は、まだかけだし養護教諭の涼美でも
感じる事であるのだろう。

まぁ、だからこその養護教諭であるのかも知れなかった。
彼女は、自分たちの仕事の質が、以前とは絶対変化するだろうという事を
盛んに主張していた。

 「ねえ、今後のさぁ吾郎ちゃんの指導スタイルの方向性って、
どうするつもり?」

吾郎はそこで少し迷った。
よくよく考えてみれば、吾郎の学校においての「生徒指導」は、
はっきり言って二つの流れがあった。

 単純に言えば、風紀規制派と指導理論派とでも言うのだろうか。
財前先生に言わせれば、「平定」と「予防」だから、
どちらかにって事にはならないんじゃないか。

という事だが、確かに言い得て妙なところだった。

涼美の言葉を借りると「受容と承認」
そして「傾聴」という事が
これから大事になってくると言うのだ。

 いわゆる、「カウンセリング・マインド」という言葉らしい。

いずれにしろ、誰かに任せるとか係や分掌に囚われずに、
「チーム体制」で臨む事が求められていると言う事だな。

そういう答えを言うと。
涼美はまた先輩然とした態度で

「それがわかれば、生き残っていけるよ。」

とえらそうに言ったあと、にこりと微笑んだ。
そして、ぽつりと言った

「そ・・、あたしのような子にはね・・救い・・。」


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