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私たちが住む世界の原点は「欲」

「ねぇねぇ、三界ってなんだか知ってる?」
彼女がいきなり訊いてきた。

「う~ん、政界、芸能界、経済界?・・、あれ、まだあるなぁ・・・。」

「ぼ~っと生きてんじゃねえよ!」

うわ、彼女に叱られた。

 彼女によると、三界とは、「欲界」「色界」「無色界」の三つを言うのだそうだ。
で、何でも、自分たちが生きている世界は、
「欲界」であるということなのだそうだ。

そうか、僕たちは「欲にまみれて」生きているんだな・・・。
「で、あとは、センセに教えてもらお!」

 という助手のむちゃぶりで「三界萬霊」のお話と、
あたしたちが生きている「欲界」というものが、
どんなことであるのか、ざっくりとご説明してみます。

そもそも「欲界」とはどんな世界でできているのでしょう

 さて、先ほども言いましたが、
この三界という考え方は、大乗仏教で言う「尽十方界真実」
という根源をなしていると言えます。

この概念については、話すと膨大なものにもなりそうなので、
ここではこのくらいにしておき、
まずは、あたしたちがいるという
「欲界」についてお話しいたしましょう。 

あたしたちは、そもそもが「欲」のもとに生きていると言うことです。
つまり、「欲」そのものはなんの色もないものですが、
それに様々な「縁」が付くことによって、
「欲」の性質が生まれる「起」のだ。という考え方です。

たとえば「欲」そのものには「性質」はありません。
ところが「食べたい」と思う=食欲、のように、
それぞれ無色透明な「欲」に
様々な「分別」がつけられている世界
なのだ。
というのがあたしたちのいる「欲界」である。
という論理です。

 欲界は六つの要素でできている。

 さて、あたしたちがいるといわれる「欲界」ですが、
その結びつく「分別」の違いによって、
六つの世界があるといわれております。

それが
地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界
の六つのセクションです

そして、人はこの六つの世界を
ぐるぐる回っているのだというわけですが、
人はこれらの世界のどこかに生まれては死に、
そしてまれるという「六道輪廻」の中にあるというのが、
一般的な民間信仰の考え方です。

よく、悪いことをして死んだら「地獄」に落ちるというやつですが、
そもそも「輪廻転生」はそのことをもともと言っているわけではなく、
生まれ変わりの繰り返しで、人の魂が浄化されるという、
古代インドの信仰にルーツがあります。

 大乗仏教での考え方にたつと、
生まれ変わりの繰り返しということではなく、
「人は生きている中において六道を繰り返しているのだ。」
というスタンスに立ちます。

つまり、六道輪廻という考え方は、
仏教においては、人の生まれ変わりの繰り返しというものではなく、
人が生きている中において、自分の心や行動の中において、
つねに「六道輪廻」の中どこかにあるということなのだ
と言っているのです。

つまり
「欲界」の構成要素である「六道」とは、
実は死後の世界の事ではなく、
今生きているあたしたちの「意識の世界」であるという事です。

これを当てはめると、

時には精神世界に生き寛容で高貴になり (天)
泣き笑いしつつ幸福に喜び(人間)
人と諍い互いに罵倒しあい(修羅)
愚かに何も解らずたださまよい、与えられたことだけに生き(畜生)
果てしなくものを追い続け、飽くことを知らず(餓鬼)
その結果不幸にあがく(地獄)

を人生の中で繰り返していないか・・。という事です。

 すなわち、この世界(人生)にいる私たちというのは、

つねに「迷い」の中にいると言うことなのだということです。

絶対だと思える「天界」であろうと、
それは常にあるものではないということなのです。
仏教の「空」の観点から言えば、
この六道も「我」のなすものです。

「諸法無我」であるなら、
この欲の世界である六道も、
実は「空」である。

これが「三界」をとらえる要素にもなります。

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