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まず「神」の類型から考察する

まず、身近な例から考えていきますので、
とりあえずこの記事テキストを参照してください

たとえば日本人が本来持っている「神」の概念は
八百万やおよろずの神」です。

すなわち、すべての物が神であるという「多神教」というものです。
 日本の場合は「自然崇拝」がベースにあり、
神という存在は、基本的に「触れてはならない」もの
であるという考えにたっています。

「神」に祈り、その結果は「有り難い」わけで、
神に対する基本的な戒律は存在しません。
ただ、その風土に生活している中で、ある意味なんとなく
神に守られて日常を送り、季節の節目に「まつり」を通じて、
その神は、「地縁社会」のシンボルとなっています。
しかしながら、「神の領域」にはあえて立ち入らない。
そのような形で、日本人の「神」は存在しています。

 では、次の記事テキストを見てみましょう。
対比しながら、概念として読んでいただければ幸いです

 ここで登場するのは「モーセ」という預言者です。
ちなみに「預言者」とは「神の言葉を預かる者」という意味です。

 この出エジプトexodusの事件がきっかけとなり、
「ヤーヴェ」 という神を崇拝する「 ユダヤ民族イスラエル )」
と呼ばれる集団が成立するのです。

「出エジプト」の物語には、 ヤーヴェ
さまざまな奇跡を生じさせて、そのおかげで
パレスチナの人々の脱出が成功したことが記されています。

(海を割った)みたいな・・

 しかし、その前にヤーヴェはモーセを通じて、
エジプトに災禍をもたらしています。
このことは、「エジプトの神々」を信仰する人々にとっては、
災いをなす「邪神」である位置づけになります。

ですから、そういった神をいただき、
国土から逃亡する人々は許されざる者たちだ
という論法も成り立ちます。

 そのため、概念としてはヤーヴェはユダヤのみの神であり、
その立場は彼らを救うので信仰するという、双務的な関係になります。

 モーセの強力な指導十戒の下に、ユダヤ民族は一致して
「ヤーヴェ」を自分たち の唯一の神として崇拝することにしたのです。
同時にこの神を崇拝する人であれば「ユダヤ民族」である
という論が立ちます。
つまりこの神を崇拝する「ユダヤ人」だから救われるわけです。
すなわち、ヤーヴェは彼らだけを救うため存在する「神」である
ということになります。

流浪の民

 このように「神」の概念は、様々な形態があるということです。
それで、その違いは人々の置かれた様々な経緯が深く関わっています。

次回はこれをもう少し分析してみましょう。



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