「教師は“つぶし”がきかない」 それでもいいじゃない
「教師は“つぶし”がきかない」
という言葉を
よく耳にする。
教師を辞めて
個人事業で生きていこうとしてみて
その言葉は
本当だなと思った。
でも、それでもいいと思う。
そんな話。
<教師という仕事>
教師という仕事は
研究者と聖職者の
間にあるような仕事。
学問を学び
それを教授する。
教授する方法を学び
実践し、研究する。
教育公務員特例法には
こう書かれている。
教育公務員は
その職責を遂行するために
絶えず研究と修養に
努めなければならない。
研究だけで
教師という仕事を上手にするのは
難しい。
教師は”人格”が
大きな素材となる。
教師という仕事は
その人が人生で経験してきた全てを
投入する。
経験の優劣があるわけではない。
でもそこから築かれた
“人格”が
商売道具みたいなもの。
生き方の幅
考え方の幅が
広い教師ほど
長年に渡って
教え子に
慕われている先生が
多いと思う。
<学級王国>
担任の先生が
王様のように
君臨できることを意味して
学級のことを
“学級王国”という
言葉で表現することがある。
学習指導要領があっても
学校の方針があっても
日々の学級経営は
担任の裁量が大きい。
ましてや
価値観がまだ未熟な
子ども相手だから
圧倒的に強い立場の
教師の価値観が
学級をつくる。
これが
会社ならば
経営者の好きなものだけをつくり
お客さまは欲しくなくても
購入する。
ありえない商売が
できあがる。
ただこれは
よくない教師や学級の例。
心ある教師なら
一人一人の子どもをよくみて
一人一人に寄り添ったものを
提供しようとする。
でも…
<マーケティング>
学級には
マーケティングというものは
存在しないと思う。
なぜなら、
普通の公立小学校なら
その地域に住む
ほぼすべての子どもたちが
来る場所だから。
お受験が必要な私立校なら
入学させたい子ども像は
あるのかもしれない。
それでも、
6〜12歳の
算数とサッカーが好きな
男の子
ようにターゲットを
絞ることはできない。
30人いれば
全ての子のニーズが違い
それによって
提供するサービスも商品も変わってくる。
これは、
30個の事業を
同時に動かしいくようなもの。
365日働いても
きっと無理。
どちらにしろ
商売を仕掛ける側ではない。
こんな感じで
学級の中に
マーケティングという
概念は導入しにくい。
<事業計画案>
“ひでこや”が
塾をやろうと考えていた時
教えてもらいながら
初めて事業計画案を
作った。
市場調査をして
他社や競合の内容や価格を調べる。
参入障壁の高低。
自社の強みと弱み。
PRの方法。
ゴール。
短期目標
長期目標
などなど。
それと比べると
学校の中には
まず競争がない
ライバルもいない。
均一・均等が大事にされる。
ゴールや目標が達成できたか
検証することもむずかしい。
仮に達成できなくても
給料は減らないし、
クビにもならない。
ビジネスの世界から見れば
甘い世界かもしれないけど
でもそれくらいの
保証や安心感がないと
“人を育てる”なんて
根気のいる作業
続けていられない。
教育事業は
ベンチャー企業であっては
いけないと思う。
その甘さにあぐらをかき
怠惰になっていく
教師もいるし
教師はよく
「社会を知らない」
って言われる。
それも否めない。
確かに教師は
子どもたちが生きていく世界とは
違う世界で生きる人たちだと思う。
でも教師の仕事は
研究と修養に励み
人格を磨き
子どもたちの近くで
さまざまな影響を与えていくこと。
そういう教師たちくらい
商売の仕組みやノウハウから
離れたところにいてもいい気がする。
だから教師は”つぶし”がきかない。
それでもいいじゃない。
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