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”教室のえんがわ”開催レポート 「民主主義」 2021/8/15


オンラインコミュニティ
『教室のえんがわ』の目的

教育は、誰かの犠牲の上にあってはいけない。
大人都合の教育は子供を犠牲にし
子供中心の教育は、
大人が犠牲になる可能性をもっています。

目指したいのは、
「大人も子どもも幸せに生きる教育」

また教育は
その単体で成立しているものではなく
社会に関わるすべての人で取り組むべき
協働作業だから

孤立・断絶しがちな教育者(大人)たちをつなぎ
「大人も子どもも幸せに生きる教育」を
協働的に探求できる場として
『教室のえんがわ』を開きました。

『教室のえんがわ』H P
https://kyoushitsu-engawa.com/



<今回の開催>

2021年8月15日 10:00-11:30
テーマ:「民主主義」
教材:

『民主主義』(角川ソフィア文庫)



『北欧の幸せな社会の作り方』(かもがわ出版)


大正新教育運動の失敗について(運営者調べ)

スクリーンショット 2021-08-15 15.04.57


<なぜ、民主主義をテーマにしたか?>

私は、
日本の民主主義は
ガラスケースの中に入ってるように感じる。

触れることはできないけど
見ることはできて
何かキラキラした
美しそうなものを
ただ眺めているだけ。


その存在は知っていて
魅了されるものの、


ガラスケースを
どう開けていいのかわからない
どう触れていいのかわからない
どう扱っていいのかわからない


そのもどかしさが
時々、たまらなく気持ち悪い。

ガラスケースをこじ開けようと頑張る人もいれば
我関せずと背を向ける人もいる。

日本の投票率から考えれば
多いのは、おそらく後者。

右向け右の全体主義から逃れ
みんながバラバラの方を向くことで始まった
個人主義。


多様性は広がっているけれど
ガラスケースをこじ開けない限り
その多様性への尊厳はないまま
社会は動いていく。


対処療法は
あらゆるもののつながりを断ち切ることで
個人の安堵を確保する日々。


有限である地球環境を
資本主義が破壊し尽くしているという
最大の課題を抱える今。

多少の破壊で耐えられるのは
富裕層のみで
一般人の暮らしは
あと何年、守られるかわからないという。


CO 2の排出量が世界第5位の日本が
民主主義をガラスケースに入れておいたままで
いいのだろうか。



<言葉が尽きないテーマ>

今回、ありがたかったのが
参加したメンバーが
それぞれに目的意識をもって
参加してくれたこと。


それでも、これまでのえんがわで
最も時間が足りないと感じたテーマだった。


参加者の言葉が
次から次へと出てくることを感じた。


尽きない。


みんなのそれぞれの暮らしの中で感じてきた
課題や違和感、疑問。


それが溢れ出していることを
感じた。



<場に出てきた言葉>

みんなが話したことをまとめることは
できそうにないので、
その場に出てきた言葉を
私なりの解釈も加えて
とにかく書いていこうと思う。


・・・・・・・・・・・・

日本は多数決の意見によって
流されていると思う。
本当に自分はそう考えているのか?
それぞれが問い直していかないといけない。


多数決が正義なら
そもそもマイノリティは生きていけない。


もっとわがままになっていい。
自分を大事にすればいい。
それを叶えやすい
自分の要望を言いやすい雰囲気がいる。



今は、多くの人が自由に生きるようになった。
これまで絶対的な存在であった宗教の存在が
少しずつ小さくなり
”価値の在りどころ”がなくなっている。

それゆえに、個人の自由な幸福が尊重される。

でもそこから出発する”民主主義”は間違った方向に進む。


地球環境の問題を絡めると
個を大事にしすぎて
自分中心な思考に陥っている。




一人一人は
地球の一部だと自覚し、

それぞれの役割は何かを考える必要がある。





教育現場から少しずつ変えていけるという
希望はある。
ただ民主主義などを
ほとんど考えていない教員たちと
どう向き合っていくかが課題。


学校や学級の1番の目標は
「荒れさせない」になっている。
これをクリアしてかないといけない。


悲観していてもしょうがない。
民主的な教育は
子どもの姿が変わってくる。
それを根拠に、共感してくれる人から
味方をつくっていく。



<なぜ、民主主義は必要なのか?>

最後に参加者に
投げかけた問い。


地球という生命体を破壊している人間に
なぜ、民主主義は必要なのか?


今の社会をよくするには
「思いやり」しかないと思う。
民主主義はいらないと
投げやりになってしまったら
その姿勢もなくしてしまう。


どこに根ざして生きていくか
大事。


実現が難しいとわかっていても
そこからスタートしていくしかない。
ひとつでもいいからやっていきたい。



<みんなの感想>

民主主義、多数決に息苦しさを感じる。
話すことでそれが軽くなった。


話していると視野が狭くなりがちだけど
みんなの話を聞いていると
全部繋がっていることを感じた。


民主主義は、やっぱり原点であり、本質。
昭和22年の学習指導要領の思案がある。
それも原点になっているので、
読んでみてほしい。


大正時代の自由教育運動の失敗
クリアになった。


自分の考えていることを話すことってないから
本当に貴重な時間だった。


モヤモヤが残るけど
こういうのをまた対話していきたいと思う。


私たち国民は
自分たちに主権があるって思っていない。
自分が当事者意識をもって
学校の先生たちと対話できる人に
なっていきたい。


権利を行使することは練習する
てことを知った。
失敗を受け入れていけるの学校でありたい。


民主主義とは
自分の自由を行使するために
相手の自由も認めること。

その経験を積むことが大事。


民主主義のことを考えながら
いろんな実践をしている
教員の方々に出会えたことが嬉しかった


正しさや完璧に縛られすぎている。

”誰もが納得できるルール”
そんなものないよって思う。
でもそれを目指すことをやめたくない。
民主主義は、柔軟性だと思う。




<運営の反省点>

今回の参加者は全部で10名。



その人数に適していない
プログラムにしたこと
対話の時間が十分でなかった。


テーマ自体が壮大なため、
時間だけの問題ではないけれど
今後は工夫が必要。


参加者の言葉から
やっぱり自分の考えを言葉にする時間っていうのは
改めて大事だと思ったから。


かといって、
長時間のzoomは疲れてしまう人もいるから
1時間半という時間は伸ばしたくない。


限られた時間内で
できるだけ対話の時間を増やせるような
工夫をしていけたらと思う。



ただ、どれだけ時間を増やそうと
参加者全員の
全ての言葉を出しきるということは
現実的じゃない。



言い残したこと
後から思いついたこと


それを実生活の中で
いかにアウトプットしていけるかも
大事だとも思った。



それを突き詰めていくと


社会の中に
対話の機会や余裕が満ちて足りていき


「教育のえんがわ」の必要性が
なくなっていくこと

えんがわが目指すゴールなのかもしれない。

























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