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私にとっての”イエナプラン”

イエナプランは
私に
たくさんの影響を与えてくれたもの
一つだと思う。


そんなイエナプランには
良い思い出も
そうじゃない思い出
もある。





<衝撃的な言葉>

イエナプランに初めて出会った時、
すごくうれしかった。



電車の中で
「イエナプラン」と
初めてググって



小さなスマホの文字を
かじりついて読んで
ワクワクしてた。



自分が求めていたものが
形となって現れた瞬間だったと思う。



理屈じゃなく
直感で惚れたと思う。



だからもっと知りたかったし
できるようになりたかったし
いろんな人に知って欲しかった。



そんなふうに思って動いていた
私にこういう言葉言った人がいた。



「イエナプランを使って、名を成したいんですか?」
と。



数年経ってもはっきりと
覚えている。



衝撃的な言葉だった。

私はとっさに否定をした。




でも後から考えたら
”名を成すこと”が悪いことなのか
分からなくなった。


今、
イエナプランを社会に広げよう
日本に根付かせようと
努力をしている人たちは
名を成すに値するのではないだろうか。



名を成すことが目的でなくても
結果、そうなる。


それは決して悪いことじゃない。


なぜ、あの時そう言えなかったんだろう




<"イエナプラン”なのか?>

イエナプランを学び、
教室で実践する中で

「イエナプランとは?」
自分なりの言葉で表現することが
増えた。


そんなとき、
「それはイエナプランなのか?」
と問いかけられたことがある。


日本のイエナプランにも
歴史がある。



その歴史から見れば
私は新参者だと感じてた。



だから
その言葉は


「あなたは、何かを間違えている」
と聞こえた。



でも何が間違っているのか
正しい答え
他の人がもっているようにも
思えなかった。



そこから、
イエナプランについて
”私は語ってはいけないのだろうか”って
いう意識をずっと持ち続けるようになった。




でもそれが
悔しかったんだと思う。




だから、猛勉強した。
個人で手に入る限りの
イエナプランに関する書物
関連資料、論文を読み漁った。


私の知る限り
イエナプランの創始者
ペーターセンの書籍で
和訳されているのは
2冊だけ。



一つは、
『学校と授業の変革 - 小イエナ・プラン』

もうAmazonでも手に入らない。



もう一つは、
『現代の教育学』

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これは大きな図書館の
書庫から出てくるレベルのもので
旧かなづかいだから
すごく読みにくかった。



これを読んでも
分からないことは
なくならなかった。


いっそ
ペーターセンが夢に出てきて、
聞ければいいのに
って考えた時もあった。



調べていくと
『学校と授業の変革 - 小イエナ・プラン』
の後に
「大イエナ・プラン」という書籍が
ドイツ語で発刊されていることを分かった。

しかも3部作。



日本の大学を
探せばあったのかもしれない。

実際に、そのあと、
それを翻訳した大学生に出会うこともできた。



でもその時の私が思い付いたのは
ドイツに行って手に入れること



オランダのイエナプラン教育協会が
ライブラリーをやっていて
そこでなら借りることができると
見込んだ。


それが、この旅。


結局、ライブラリーで本を借りることは
できなかったけど
オランダの先生から借りることができた。


借りた本、すべてのページを写真に撮った。
こうすれば、Google翻訳のスキャン機能が
読み取ってくれて、読むことができるから。

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日本に帰り、1ヶ月後には
長野への移住をして
大日向小学校で働き始めたから


いまだに、全部は
読めていないまま。



きっと
もう読むことはないと思う。



きっと
読んでも分からないことは
なくならないだろうから。





<結局、正解はなかった>

”Points of you”という
イスラエルのコーチングツールの資格を取る
研修を受けたことがある。

https://points-of-you-japan.com/ja/


”Points of you”は、
常にリニューアルを重ねている。


どんなリニューアルをしても
それを正解にできるのは
考案者がまだ生きているから
と思った。



そして、考案者や創始者が生きている限り、
正解があると思った。


でもペーターセンはもういない。



だから
彼の理念を
彼の残した言葉から読み解き



それを
それぞれの解釈で
広げていくしかない。



だからこそ
その広げる過程に
ただ一つの正解などない。



彼がいない今、
そこから
それぞれが良いと思うものを拾って
つくっていけばいい。



それは
ペーターセンにとっても
うれしいはずだ。


そうなると、もはや
純・イエナプランなど
存在し得ないのかもしれない。


オランダ・イエナプラン
大日向・イエナプラン


どれも正解。

勉強不足は防げても
それぞれの解釈まで変えるのは難しいから。



ならば、
「それはイエナプランなのか?」
という問いかけに

「私のイエナプランはこうです」

と答えればよかっただけだった。


ようやくそう思えた。


いろんな言葉を投げかけられ
傷ついたり
悔しい思いもしたりした。


でもそれがあったから
ここまで学ぶことができたと思う。



<好きだったのは…>

少しずつ
分かってきたこと。



私はきっと
ペーターセンの語るイエナプランでは
ここまで好きにならなかっただろう。



なぜなら、彼の言葉は
かたすぎて
難しすぎる。
眠くなる。



私が好きになったのは
オランダ人が魅せてくれた
Jenaplanだ。


彼らがすごいのは
ペーターセンの難解な言葉を


誰にでもわかる形や言葉に代えて
そこにユーモアを加えたこと。




そういえばよく言ってた。



「楽しむんだ」


「そうでなければ、人は寄ってこない」


「そうでなければ、人は続けれない」



私は
彼らの人生の中にある
Jenaplanに惚れこんだ
今なら言える。




ならば、きっと
私が学んできたこと
やってきたことは
何一つ無駄にはならない。



私が良いと思う
”ひでこや”プランを描き

それを
体現できる人に私がなればいい。




イエナプランは
私にいろんな経験をさせ
いろんな想いをさせ
それを気づかせてくれた。


私にとっては
そういうもの。



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